1.謀議

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1.謀議

 夕たちは飛鳥山公園の遊具で遊ぶ家族連れを横目に、京浜東北の線路に面した崖沿いにある茶屋に足を運んでいた。自販機が何台か並んでおり、中にはテーブル席、外側にも木のテーブルが数席点在している。 「林先輩、お先にお選びください。遠慮はいりませんよ。どうせ大杉先生のポケットマネーです。あの人も外部の部活の人を危険な目に合わせて反省してるようですから、お酒以外なら何でも頼んじゃってください」  お品書きの看板の前で、東雲は林に注文を促した。 「いいの?それじゃ、親子丼とコーラ」 「はい。わかりました。夕ちゃんは?」 「……醤油ラーメンと、烏龍茶で」 「それだけでいいの?」 「確かに緊張の糸がほぐれてお腹がすきましたが、夕飯もありますから」 「そういえばそうね。私は天丼とラムネでも頼もうかしら」  午後4時過ぎ。売店は喫茶目的でそこそこの客が入っていたので、外の木の机に3人は座り、東雲が注文を届けに行った。先程の東雲の怒声を聞いたばかりの夕は、東雲の体育会系っぷりを感じていたので、先輩にさせてはまずいと思い変わろうとしたが、東雲は「2人への労いなんだから休んでなさい」と言われてしまう。  結果、林と2人きりになった。  あの後だとかなり気まずい。話のきっかけすら出せない。 「ええと、」  最初に口を開いたのは、林だった。 「は、はい」 「さっきの義理の兄作戦はすごかったね」 「あ、あれは咄嗟に出たんです」 「いや、今思うと、ただの兄とかじゃなくて義理にした森本さんの作戦は大成功だったよ。ほら、俺はこんなキモオタだけど、森本さんは可愛いからさ。明らかに他人だってわかっちゃうし」  夕は、この林という男がどうも自分を卑下しているように感じてならない。夕も決して自己肯定感は高くないし、ネガティブ思考になりがちだが。  林は確かに「イケメン」と呼ばれるような男ではないが、決してブサイクというわけではない。髪型に多少気を遣えば、そこまで悪くないはずだ。 「お待たせしました」  東雲の声がしたので振り返ると、なんとお茶屋のおばちゃんと一緒に料理を運んできているではないか。さすがに夕と林はすぐにお盆を手にして机に置いた。 「さて、大杉先生からのラインは未だ無し。でも、“便りがないのは元気な証拠“と先人の教えにあります。頂いちゃいましょう」 東雲は合掌した。夕や林も手を合わせて、遅めの昼食と言うよりは早めの夕食にありついた。陽はだいぶ傾いており、気温も少し下がってきた。これはラーメンを頼んで正解だったなと思いながら、夕はちぢれ中細麺を啜り上げる。 「先輩。先程のお話、少し聞こえていましたが、そんなにご自分を卑下するものではありませんよ」  東雲は清楚な外見をかなぐり捨てたように、豪快に天丼をかき込みながら言った。 「太宰治の『富嶽百景』を、一年の頃大杉先生に読まされましたが、その中で太宰はこう書いてるんですよ。  “私には、誇るべき何もない。学問もない。才能もない。肉体汚れて心も貧しい。けれども、苦悩だけは、その青年たちに、先生、と言われて、黙ってそれを受けていいくらいの、苦悩は、経てきた。たったそれだけ。藁一筋の自負である。“  先輩にもそうしたものがあるはずです。私のクラスメートには、先輩方の知識量に圧倒されて、鉄道研究部入部を辞退した人もいたんです。自信をお持ちになってください」  東雲はタレに塗れた唇をポケットティッシュで拭き、大きく一息ついた。 「さて、残ったお金は985円。レシートもある。このお金はどうします?甘味でも行っちゃいます?」  どこまで食い意地が張っているのか。夕は苦笑いを浮かべるしかなかった。 「おう、やってるな」  聞き覚えのある声に振り向いたら、大杉が歩いてきていた。 「先生! どうでしたか!?」  夕は立ち上がって大杉に駆け寄った。 「うん。そのことで言おうと思ってな……おい、何だこれは。3人ともガッツリ頼みやがって。紙の金が残ってないじゃないか。俺の分も入ってたんだぞ」  大杉は机に置かれてある硬貨とレシートを見るなり東雲を問い詰める。 「先生、それはない。途中で切り上げたとはいえ現役剣道部員と男子高校生、女子高生。この3人に五千円渡して好きなものを頼めと言ったら、これくらい行っちゃいますよ。食べ盛りなんですから」 「貴様。あの輩よりタチが悪いな」 「お釣りがあっただけマシです。それで、何かわかりましたか」  大杉は茶屋のおばちゃんにホットコーヒーを注文して、席に座った。 「あいつは駅前にあるメガバンク四ツ井東京銀行の王子支店に入って行った。俺は行内のカタログを見るふりをして動向を確認したが、あいつはATMに通帳を入れて、記帳を行った。確認を終えるとそのまま奴は退店し、あのアパートまで帰って行った」 「拠点はやはりそこですか」  林はカメラを取り出し、撮影したアパートの写真を表示して3名に見せる。 「そうだろうな。この写真にある2階の202号室。ここに入っている。そこからこの茶屋に来る道中に調べたんだが、あのアパートの名前は若葉荘。築45年。風呂無しの1DKだ。家賃は月6万。空き部屋はいくつかあるが、1階だけだな」 「敵が2階にいるなら、階段さえ押さえれば袋のネズミですね」 「いや、そうもいかん」  林が他の写真を表示した。アパート裏の駐車場だった。 「見ての通り、2階はそこまで高い位置にない。雨樋や様々なものを伝って、裏から逃走する可能性は十二分にある」  東雲がその写真を見ながら、 「では、この駐車場にも人員配置が必要ですね」  と言いながら、駐車してある車や塀を見ていった。ここに2人は配置可能で……など、実戦が既に彼女の頭の中で想定されている。 「敵の武器だが、こればかりはわからん。奴らは極道か半グレかは知らんが、今時極道ですら滅多に拳銃を所持してはいない。リスクが高すぎるからだ。極道の場合は10年以上刑務所に入ることになるし、一般人でも懲役は確実だ。だからあったとしても刃物の類かとも思うんだよな」 「防刃チョッキや鎖帷子の出番ですか」  東雲がプライベート用の手帳に必要な武具防具を書き連ねていく。 「そうだね。ただ、仮に鎖帷子が用意できたとしても、この春の陽気が敵になるな」 「どうしてですか?」  夕が訊くと、代わりに東雲が答えた。 「鎖帷子は暑くて重いから、すぐにバテちゃうんだよね。鉄を纏ってるんだからしょうがないとは思うけど」 「ああ、それは確かに」  大杉は得意げな顔をして夕に話しかけてきた。 「森本くん。鎖帷子が暑くて大変だというのを東雲くんに教えたのは私だ。『四十七人の刺客』と言う本を読ませたからね」 「ああもう、余計なことを」  東雲が頰を膨らませている中、林は自分の撮影した写真を見返していた。 「100枚くらい撮ったけど、最低5、6人は居そうだね。全員は無理だった」 「えっ!?100枚も撮ったんですか!?」 「めぼしいものが撮れないんじゃ、100枚も1000枚も一緒だよ」  ニコンのカメラを置いて、林は悔しそうに親子丼をかき込んだ。「畜生、すっかり冷めきってやがる」と独り言を口にした。 「いやいや、林くんの写真のおかげで敵の拠点の資料はしっかりとわかったよ。しかも電話口の男の顔もバッチリ押さえている」  言われて、「そうだ」と夕はスマホを取り出した。 「私の方は、あいつの声を押さえました」  大杉や東雲は「おおっ!」と身を乗り出した。  映像は、男が電話をしている時や、夕をナンパした時などで、大杉は「よしよし」と満悦気味だった。  茶屋のおばちゃんが珈琲を運んできた。大杉は薫りをゆっくり楽しむと、一口飲み込んでみる。「うん。並だな」と呟いたので、三人の学生は苦笑いを浮かべるしかなかった。  大杉はカップを置くと、三人を見渡した。 「今この瞬間にも松下くんの携帯は鳴りっぱなしだ。決行は明日。若葉荘に殴り込む」
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