思い出の花をどこに咲かそうか

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思い出の花をどこに咲かそうか 朝日が昇って、窓辺に一輪の花が飾られた部屋に日差しが差し込んだ。そこには過去を懐かしむ少女が一人。彼女はとても穏やかな顔をしていた。 ***** 「おはようございます、母さま」 窓辺の花に挨拶をして、私の1日は始まる。この街に住み始めて、明日でちょうど太陽暦でいうところの10年になる。同じ街に10年とどまるのは覚えている限りで初めてだ。この街はとても暖かい。春には色とりどりの花が咲き、住民は誰も私を傷つけない。 私は魔女だ。人間でいうところの13歳くらいの姿のまま1000年以上生きている。老いない姿を晒し続ければ魔女であることを気づかれてしまうから、同じ場所に長くはとどまれない。近頃はSNSとやらが発達しているから、無闇に写真に写らないようにするだけでも一苦労だ。 魔女と言っても、御伽噺の世界のように、人に危害を加えたり世界を滅ぼしたりするような魔法なんて使えない。ひとたび魔女狩りに合ってしまえば、ひとたまりもないからひっそりと生きている。私が使える魔法は、2つ。植物の生命力を強めることと大切な人との思い出を植物の種にすること。 私は10世紀ごろの英国で生まれた。13世紀の魔女狩りで命を落とした母は、いかにも大和撫子という風貌だった。とても綺麗な黒髪をしていた。会ったことの無い父も東洋の生まれらしい。窓辺の花は母の記憶の花だ。正確には、母の記憶の花が実をつけてその種がまた芽吹いて……それを幾百も繰り返した花だ。 何百年も安住の地を求めて、島から島へとさすらった。辿り着いたのは英国の植民地になっていたアメリカ大陸。広い大陸をさすらっているうちに魔女たちが魔女であることを隠しながら人間たちと暮らしている集落にたどり着いた。 太陽暦1689年、水の村セイラム。そこで私はレオという少年と出会った。出会いはちょうど今日のような晴れた日だった。 セイラムの港の外れに行ったとき、とても美しい少年を見かけた。岩場に腰かけて楽器を演奏する彼に目を奪われた。私が立ち止まると、彼と目が合った。その瞬間、風が吹いて私の帽子をさらった。宙に舞い上がった帽子を、手を伸ばして捕まえる。綺麗な人の前で少し恥ずかしかった。 「綺麗な人……」 「すごく綺麗だ……」 2人は、ほぼ同時に綺麗だといった。彼は東洋人を初めて見たらしい。この時に感じた感情は、たぶん恋ではなかったと思う。ただ、美しい絵画を見たときのような感情をお互いに抱いていた。 彼はよくここに来るらしい。この村で生まれ育った彼と、最近越してきた私。彼は村の市場を案内すると言ってくれた。彼は私の見た目の年齢と同じく13歳。名前はレオ。獅子のように強くあれと名付けられたけれど、森で狩りをするよりも美しい鳥や花を愛でる方が好き。レオは村の美しいものを一つ一つ教えてくれた。 「ただ、この村の冬は少し寒いから、もう少し暖かくて綺麗な街にも行ってみたくなる」 海の向こうをまっすぐ見つめる目は水晶のようにきらめいていた。 ヨーロッパの魔女狩りの噂を聞いた魔女、魔女狩りを逃れた魔女たちは、同じ集落にいてもお互いに深くは関わらない。魔女同士でいると、目立ってしまうリスクがあるからだ。こんな風に誰かと笑い合うのは初めてだった。とても楽しかった。 レオはここを寒い場所だといったけれど、私の心は春の日向のように暖かくなっていった。私たちは人目を盗んで、村の外れでよく話をした。ある晴れた夜、レオは私を運河へと呼びだし、私を小さな舟に乗せた。レオは舟を自らの手足のように巧みに操る。港町生まれの男の嗜みだと彼は無邪気に笑う。二人が乗るのにギリギリの大きさのボートを漕ぎながら、彼が夜空の星を指さした。 「羅針盤がない時代の人々は、星を見ながら船旅をしていたんだよ」 私はその時代を生きてきた。でも、レオにとってはその時代は御伽噺や神話の時代だ。時々思う。私が普通の人間の少女ならば良かったのにと。レオと同じ時を生きられれば良いのにと。 「レオは物知りね」 「いつか、君と舟に乗ってどこか暖かい島に行けたらいいな。そしたら、船旅で星の物語をたくさん教えてあげる」 レオが私の手を握る。胸が高鳴った。700年間生きてきてこんなにドキドキしたのは初めてだった。レオは私に告げる。 「君が好きだ」 彼の言葉で、私は自分の中に芽生えた感情が何であるかはっきりと認識した。私は彼にいつの間にか恋をしていた。二人きりの水面で、私たちは唇を重ねた。 恋人になってからは、彼は私の家を訪ねるようになった。私が具現化した記憶の花は人間界に存在するものだから、特に見られて困るようなものはない。 「綺麗な花だね」 レオは窓辺のピンク色の花を見て言った。あの花を人間たちが何と呼んでいるのかは知らないけれども、私は「母さまの花」と呼んでいる。の思い出を具現化した花だ。種から育てた。種は巾着袋に入れて肌身離さず持ち歩き、どこかの街に定住するたびに育てている。 「花の名前は分からないの。でも、母との思い出の花よ」 「きっと素敵なお母さんだったんだろうね」 レオは出逢った頃のまま、ずっと美しい。少しずつ背が伸びて逞しくなって、それでもずっと美しい。澄んだ心は汚れを知らず変わらない。時の流れが止まったように感じていた。寒い冬を繰り返しても時の流れを実感することはなかった。魔女の性もあり、私はレオ以外の人間とかかわることはあまりなかったので余計に外界の時の流れとは切り離されていた。 私はレオと会うとき以外は帽子を深く被り、ただでさえ目立つ東洋風の顔立ちを覚えられないようにしていた。でも、こちらが顔を覚えることはあった。村に来た頃は果物市場のおじさんは赤ちゃんを抱いていたけれども、最近その子はもう大きくなって舌っ足らずながら店の前で「いらっしゃいませ」と元気な声で笑っている。 1692年3月のある朝、私の家のドアを激しくノックする音が聞こえた。どうやら外も騒がしく悲鳴も上がっているようだ。火事かと思い避難しようとしたところ、ドアが複数人の男たちによって破壊された。 男は、「貴様、魔女だな」と言った。どうして。新大陸で魔女狩りの噂は聞いたことがなかったのに。私は銃を突き付けられた。 威嚇に打った1発が私のほほをかすめるくらいの距離をすり抜けて、壁に銃弾の痕をつけた。わずか数秒の間に走馬灯が流れた。私もここまでか。レオに最期に会いたかった。私は捕らえられた。雨が降っている。迂闊だった。こんな日に火事なんて起こるわけがないのに。私以外にも、捕えられ連行されている女性、追っ手から逃げ惑う女性がいた。  さようなら、レオ。愛してた。誰かの足音が聞こえた。 「離せよ。その子は魔女じゃない」 間違えるはずもない愛しい声がする。目を開けると、あの人がいた。足音の主はレオだった。どうしてこんなところに。 「何だ、お前も魔女の手先か?」 お願い逃げて。あなたまで処刑されてしまうから。 「まあまあ、落ち着いて。俺は怪しい者じゃないよ、なーんてね!」 レオがそう言うやいなや、ズドンと大きな銃声が鳴った。さっきまで銃を持っていた男が倒れた。レオは銃を構えている。レオの発砲によって男は倒れたようだ。男たちは私をそっちのけでレオを捕えようとした。 「初めて出会った場所へ逃げろ!必ず追いつくから!」 レオが私に向かって叫ぶ。レオを置いてはいけない。 「早く!」 母さまもそう言って私を逃がした後、処刑された。どうしても躊躇してしまう。私のために命を懸けてくれる人を見捨てられない。 「まったく、世話が焼けるお姫様だな!」 短剣を振り回して男たちを振り払ったレオが、呆然としている私のもとに来た。私の手を取ると路地裏に向かって走り出す。 「何もしゃべるな!とにかく走れ!」 魔女狩りの目をかいくぐり、いつもの港の外れへとたどり着く。停留してある小舟に飛び乗って、荒れはじめた海へと漕ぎ出した。 荒れ狂う海をものともせず、レオは北へと針路を取った。舟の操縦はセイラムの男の嗜みだと、あの日と変わらない笑顔でレオは笑う。 「謝らないといけないことがあるの」 「本当に魔女なんだろ?」 言おうとしていたことを的確に言い当てられた。 「知ってたよ、とっくに」 レオは、私が大人になる兆しを見せないことに気づいていた。万が一魔女狩りが起こった時に逃れられるように港に小舟を停留させ、自治警察から私を守れるように鍛錬をしていたらしい。気づいても指摘しなかったのは、その会話を誰かに聞かれないようにとのことだった。 「でも、魔術で人間なんて蹴散らせるものだと思ってた」 私が使える魔法や今まで生きてきた700年の話をした。レオが綺麗だと言ってくれた花は、母の記憶を具現化した花だということ。魔女であると知られないように同じ場所にとどまれなかったこと。母は魔女狩りで亡くなったこと。300年天涯孤独の身で、恐怖で眠れない夜を生きてきたこと。 レオが握る私の手に涙が落ちた。レオが泣いている。私も泣いている。この手に落ちた涙がどちらの涙なのか分からないけれど、私のために泣いてくれる人に初めて出会った。この人とどうしても離れたくなくて、3年間あの村にとどまった。 「大丈夫。もう1人じゃないから。俺がいるから」 レオが私を抱き締める。不揃いな魂の光が2つ、船の上で揺れる。神様がいるのならば、私たちにご加護をくださいと心の中で何度もつぶやいた。 追手に怯えながらも夜が何度も明けて、陸地へと流れ着いた。春が訪れようとしているというのにセイラムに比べて少しだけ肌寒い気がした。北極星を頼りに、北へ北へと人里を避けるように進んだ。 夏の終わりごろ、私たちは北の果ての草原に小屋を建ててそこに住み始めた。私たちはまるで夫婦のように暮らした。父のいる家庭を知らず、母を早くに亡くした私にレオは家族の温もりをくれた。人生で1番幸せなひと時だった。川で魚を釣り、野菜を育て、薪を割って自給自足の生活をしていた。 でも、幸せな時間は冬には終わりを告げた。長旅や心労で体に蓄積したダメージと、極度の寒さでレオは肺を患った。リスクを承知で遠くの街から呼んだ医者は今の医学では治療法はないと首を横に振った。 とても空気が澄んだ夜のことだった。 「なあ、一つだけお願いがあるんだ」 最期の、という枕詞が付くような気がした。 「外で光のカーテンが見たい。連れて行ってくれないか?」 「でも……」 こんな極寒の中で外に出たら、体が弱っているレオはきっと……。レオを失いたくなかった。 「死ぬ前に一度だけでも、光のカーテンが見たいんだ」 彼に肩を貸して、ありったけの上着を彼に羽織らせて外に出る。綺麗だとレオがつぶやいた。悲しいほどに光るオーロラは700年生きてきて初めて見るほどに美しかった。あのカーテンの向こうに神様がいるのならどうかレオを連れ去らないでほしいと思った。 「俺が死んだら、俺も花になる?」 厳密には、レオが花になるのではない。レオと私の記憶が、植物の種か何かになる。 「ここは綺麗だけど、少し寒いなぁ」 だから、ともうほとんど力の入らない手にかすかな力を込めてレオが言った。 「俺が花になったら、暖かくて綺麗な場所に咲きたいんだ。君がずっと住んでもいいと思えるような優しくて暖かい街を見つけたら、君の部屋に咲きたい」 一つだけ、とさっきいったはずなのに二つ目のお願いをされた。レオのお願いならば何でもかなえてあげたいけれど、死が前提になるようなお願いは聞きたくなかった。 「君のお母さんが生まれた場所でも、どこでもいいから、君が怯えて眠らなくてもいい場所に巡り合えたら、そこでずっと君を見守るから」 「どうか、幸せで」 それが彼の最期の言葉だった。どうして私から離れていくの。神様、お願いです。レオを奪わないでください。私をひとりにしないでください。彼だけが私の支えなんです。 どんなに泣いても、彼が二度と目を開けることはなかった。 彼ともう1度会いたくて、彼にもう1度触れたくて、記憶を具現化した。現れたのは、いまにもどこかに飛んで行ってしまいそうな綿毛だった。彼の記憶からはタンポポの花が咲く。神様に与えられた恋の花、そして別離の花。彼の名前と同じ花。暖かい春の花。この花は絶対に、彼が安らげる場所に咲かせると決めた。それまで、大事に大事に小瓶の中にしまっておこう。 庭にレオのお墓を作った。そこには母さまの花の種を植えた。レオのお墓に、レオが綺麗だと言ってくれた花を供えてあげたかった。 極寒の地に花を咲かせるために、ありったけの魔力を注ぎ込んだ。花が咲いた夜、流れ星が流れた。どうか、レオが安らかに眠れるようにと祈った。 数年後、夏には花畑とも呼べるくらいに花が咲くようになった。同時に、少し離れた町で「花畑の魔女」の噂を聞くようになり私はレオと暮らした家を離れた。私がそこにいることでレオが眠る場所を荒らされたくはなかった。レオとの最期の約束である、暖かくて綺麗な場所を探してレオの花を咲かせたかった。ヨーロッパではいまだに魔女裁判が幾度となく行われているらしい。南へ、南へと終の棲家を探しに行った。 1782年を最後に魔女裁判はなくなった。差別と紛争と暴力という過ちを繰り返し、21世紀となった。レオが望んだ世界には程遠いかもしれない。でも、世界は少しずつ良くなっていると思う。世界中をさすらう中で、私はずっと終の棲家を探していた。結局私は母の生まれ育った日本へと辿りつき、そこに定住した。この街は暖かい。そして、今日気づいた。私はこの街が好きだ。私は怯えずに眠れる街に来られたのだと。 小瓶に詰めたレオの花の綿毛を取り出す。レオではないと分かっているけれど、それでもレオなのだ。300年あなたとゆっくり暮らせる場所を探したの。ここで一緒に暮らしましょう。ここはとても暖かくて平和で綺麗な場所なの。 綿毛にふーっと息を吹きかける。流れ星のようにレオが部屋の中に舞い上がった。 「レオ、大好き」 この部屋には私の魔力が満ちている。ここならばフローリングの床であっても花は咲く。きっと明日にはレオの花が部屋一面に咲いていることだろう。花はその命をその種を媒介して何度でも何度でも永遠につなぎ続ける。これからはずっと一緒にいられる。 「おやすみなさい」 愛しい人の花が咲くのを待ちながら、私は眠りについた。 「ずっと見守っているよ」 レオの声が、聞こえた気がした。 朝日が昇って、たくさんの花が咲く部屋に日差しが差し込んだ。その中でタンポポに囲まれて眠る魔女が一人。少女はとても穏やかな顔をしていた。
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