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「は? お前も行くのかよ?」  定時の六時。俺は思わず、左隣の席の寺田秀司にとんがった声を投げていた。ウキウキと仕事を切り上げ、PCを閉じてさっさと帰ろうとしていたら、寺田が俺も行きますって言うじゃねえか。いつの間にそんなことになったんだよ? 「そんな露骨に嫌そうな顔しないで下さいよ~。俺も大沼さんと飲んでみたいんスよ~」  寺田は今年新卒で入ってきた後輩だ。新卒研修を終えて営業に配属になり、まずは営業部で扱う書類の処理とか、事務仕事を中心に覚えてもらっている。 「あいつは飲めねえから、飲み屋には行かねえぞ」  大沼とは、会社のすぐ近くのイタメシ屋に行くことが多い。俺はガンガン飲める方だけど、酔っぱらって大沼とまともにしゃべれなくなったり、話した内容を覚えてないとか、もったいねえ。それに、カッコ悪いとこは見せたくない。勝手に、二人でメシに行くのはデートだと思ってるから、なおさらだ。 「いや、寺田君も飲めるクチなら、俺は居酒屋でいいよ」  カバンも持って、自分の席から俺達のところに来た大沼の、穏やかで柔らかい声。ふわりとかすかに、いいにおい。給湯室の会話を思い出して、ちょっと唇がゆがんだ。 「寺田君、樹に自分も行くって言ってなかったの? 頼んでおいたのに」  おっとり首をかしげる大沼。一番大きい営業部でも十人ぐらいしかいない会社だから、俺達の会話は奥の広報部の方まで聞こえていたんだろう。俺は恥ずかしくなり、無言で寺田をにらむ。  俺達の横を、お疲れ様で~す、と言いながらみんな続々と帰っていく。給料日直後の金曜日だから、予定があるに違いない。 「すんません、サプライズで」 「そんなサプライズ、いらねえっちゅうの」  へらっと笑ってみせる寺田に本気でイラついて、俺はドスがきいた声でつぶやいた。 「なんかごめんね、樹。俺も寺田君と話してみたくて」  寺田と話してみたい、だあ? 心の端が嫉妬で焦げる感覚を無視して、俺は少し申し訳なさそうな大沼に、笑顔を作った。ここは心が広い男でいるべきだ。
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