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「そういうことなんで。駅前の個室居酒屋なんてどうスか?」  なにがそういうことなんで、だ! 先に立って歩き出す寺田の背中に内心毒づきながら、階段を下りて会社を出る。大沼を真ん中にして、三人並んで暗い路地から大通りに出た。 「大沼さん、いいにおいしません?」  浅草橋駅の方に歩きながら、寺田が大沼の肩のあたりに顔を寄せて、くんくんとにおいを嗅ぐ仕草をする。なれなれしい態度にムッとしながら、俺は自分の気持ちをなだめるためにも空を仰いだ。  老舗の人形屋の、いかにも古そうで立派な木の看板。まっすぐ続く道の上、夜空に浮かぶ雲。明るい都会の空は、星も全然見えない。  大きく息を吸いこむ。まだ気がおさまらない俺は、ちっちぇ人間だな。大沼とはただの同期なのに、内心牙を剥いて怒ってる犬みてえで。 「ああ、ルームフレグランス変えたせいかなあ」  大沼は自分でも半袖の二の腕のあたりを嗅ぐ。  ルームフレグランス? なんちゅうしゃれたもん使ってるんだ、やっぱり言わないだけで恋人がいるのか? 俺んちなんか、タバコやらなにやらでくさいとは思うけど、なんも置いてねえぞ? 「オシャレですねえ、恋人の趣味とか?」 「いや、そんな人はいないよ。俺、子供の頃からいいにおいする物が好きでさ。入浴剤も好きだし」  知るほどに俺とは違いすぎる趣味。金持ちのおぼっちゃんかも、って女子社員の期待も当たってるかもなあ。まだ私服見たことねえけど、私服もオシャレなんだろうな。部屋もきれいにしてそうだし、入浴剤入れてゆったりバスタイム、ってか? うちの風呂広いのかなあ。いいなあ、一緒に風呂入ってみてえわ。 「樹? 怒ってる?」 「……へっ? え、な、なにが?」  大沼と風呂、という妄想が、すっとんきょうな声と同時に爆発して消えた。危ねえ、もう少しでエロい領域まで行っちまうとこだった。  あわてて大沼を見ると、じっと心配そうに見られててドギマギする。奥二重で少し目尻が垂れた、大きな瞳。街のネオンに照らされて、きれいだ。 「ずっと黙ってるからさ」  確かに、大沼と二人だとテンション上がっちまうこともあって、俺はわりとしゃべっちまうけど。やっぱり大沼は優しいなあ。好きだわ。
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