3人が本棚に入れています
本棚に追加
昼の章
頭上から落ちてきたものを私は避けた。
下に勢いをつけて落ちて、それは叫ぶ。
「痛いー!」
「こら、平太!」
私は大きい声で言った。
「痛いのがわかってるなら最初からしないこと」
「雪華、きびしいー」
「雪華、こわーい」
「うるさい、雪華雪華呼ぶな」
まわりにわらわらと寄ってくる子どもたちをかきわける。
背後に気配。
仕方ない、これは受けてやるかと思うと頭に衝撃が走った。
拳を握って向こうは耐えている。
なんで殴ったほうが痛がっているんだか。
「雪華、すごーい」
女の子たちはそう言ったが、男の子たちはそれを見て囃し立てた。
「やーい石頭女!」
「猪頭!石でも詰まってんのか?」
「もういっぺん言ってみなさい!」
私が拳を握ると蜘蛛の子を散らすように子どもたちは逃げていった。
「それで、手を上げたと」
喧嘩騒動からしばらくして。
私は、師匠の前に正座する。
「私は手を上げていません。勝手にあの子たちが盛り上がってただけです」
「口ごたえしない」
うっ、と私は息をつまらせる。
女顔の柳腰に見えるのに、師匠は強くて怒ると怖い。
人は見かけによらぬものとはこのことだ。
「君はまだ半人前なのにねえ。こんなことが続くと困るね」
師匠はわざとらしくため息をつく。
「なにか言うことは?」
「……申し訳ありません」
私はしっかりとした姿勢で頭を下げた。
「ま、許しましょう。ただし仏の顔も何度までとやら言いますからね。次はないように」
笑顔の圧がすごい。
「はい」
叱っていた言葉が嘘のように師匠は言った。
「そうしょげないでください。子どもたちもあなたに構ってもらいたがっているんですよ。あなたは、よく人に好かれる。人徳かもしれませんね」
師匠は静かな口調で言った。
その言葉に私は少しむずがゆくなってしまう。
「正座してばかりいると体が鈍りますから、掃除に行ってきてもよろしいでしょうか?」
「よろしい」
師匠がうなずいたのを見て、裾を整えると立ち上がる。
障子の外からハラハラと紅葉が舞っているのが見えた。
「秋って草木が綺麗だけど、枯れ葉が多いのが難ね」
竹箒で掃き掃除をして、庭の片隅に落ち葉を集める。
「これだけあれば焼き芋ができるか……?」
腕を組んでそう言ったときだった。
「雪華」
垣根の向こう側から声がした。
「茨郎さま……!」
私は黒い髪を翻して、かけ寄る。
「外にいていいんですか?お体の具合は……」
「平気だよ。雪華は心配性だね」
上品な着物に身を包み、色素の薄い髪と目の色をした美男子。
甘い顔で私に微笑みかける。
「それよりほら、いいものを持ってきたんだよ」
「なんですか?」
私は首を傾げてみせる。
「当ててご覧」
「……食べ物ですか?」
茨郎さまは私がよほど食いしん坊だと思っているのか、お菓子や高そうな食材をよく持ってくる。
「半分当たり」
そう言って懐からなにかを取り出す。
「芋ですか……!」
茨郎さまの腕の中にはいい感じに太った立派なさつま芋が収まっていた。
「どこから取り出したんです?手品ですか?」
「いや、ちょっと冷えてきた時期に焼き芋はいいんじゃないかなあと思って。入れてくれるかい?」
「もちろんですよ」
茨郎さまは垣根を超えてこようとするので私が慌てて引っ張る。
茨郎さまはなんというか、運動があまりできないのだ。
「やあ、助かったよ」
そう言って砂糖菓子のように甘く笑う。
「子どもたちを呼んできますね」
そう言って私は表で遊んでいる子どもたちを呼び寄せに行った。
「わーいあったかいー」
「ホクホクだー」
案の定、子どもたちは大喜びである。
「よしよし、たんと食って大きくなりなさい」
「雪華」
そんな子どもたちの様子を見ていると茨郎さまが私に芋を差出してくれた。
「遠慮してないで、雪華も食べて」
「は、はいっ。じゃあいただきます」
手と手がわずかに触れる。
それだけで電撃が走ったように私は手を離してしまう。
慌てて芋を受け取った。
「おいしいですね」
アツアツの芋は甘くて頬張るだけで幸せな気分になる。
「雪華は本当においしそうに食べるね」
そう言う茨郎さまの笑顔はまぶしい。
食いしん坊だと思われてないといいんだけど……。
芋を食べ終えると、茨郎さまが誘ってくれた。
「ちょっと町のほうまで歩こうか」
私はうなずく。
「おともします」
町を歩いているとたくさんの視線を感じた。
視線は全て茨郎さまを見ている。
「お綺麗な顔ね。どなたかしら……」
「いま、目があった気がするわ」
「あのかた、藤ノ宮家のお人じゃ……」
藤ノ宮茨郎。
それが茨郎さまの名前だ。
華族、藤ノ宮家の嫡男。
本来、こんな町娘となんか並んで歩くはずなどないのに。
「隣のあの女は誰かしら?」
「あのかたの想い人?」
「まさかね。使用人じゃないの」
全ての視線が茨郎さまに向いているわけじゃなかった。
まあ、仕方ない。
こんな芋くさい町娘と見目麗しい茨郎さまが歩いていたらやっかみの目で見られようというものだ。
「もっと近場の散策にしたほうがよかったかな?」
「かまいません。これくらいの視線には慣れているので」
「雪華はたくましい」
茨郎様は微笑む。
「号外、号外!」
瓦版屋が叫んでいるのが聞こえた。
「なんだろう?」
茨郎さまが足を止める。
「また鬼が出たよ!生娘が襲われた!」
配っている瓦版を受け取って、茨郎様は銭を渡す。
「ありがとうよ!」
そこにはおどろおどろしい字でこう書いてあった。
『美しき娘、また妖に襲わるる』
「妖……」
茨郎さまが表情を固くする。
最近、夜の闇を狙って瓦版屋が言うところの妖が町娘に酷い仕打ちをしていっているらしい。
生き胆を喰われただの、魂が抜けたように呆けてしまっただの、夜な夜な悪夢を見るだのといった話が書いてある。
「心配することありませんよ。妖じゃなくて人の仕業かもしれないし」
私はあっけらかんと言うが、茨郎さまは厳しい顔をしていた。
「心配なさらずとも、茨郎さまのお屋敷は大丈夫ですよ。使用人がたくさんいるし、腕っ節のよい者もいるんでしょ?」
「私は自分のことじゃなく、雪華のことを案じている」
険しい顔で茨郎さまはそう言う。
「大丈夫ですって。私にはいざとなればこれがあるし」
私は剣を振る仕草をする。
それでも心配そうな茨郎さまに私は言った。
「日ごろ鍛錬しているから大丈夫ですよ。危なくなったら人を呼ぶし」
「危険なときは己の身を第一にして逃げるんだぞ。約束だ」
「はい」
私は両手を胸の前で合わせるとうなずいた。
「大丈夫さあ」
そのとき、突然横から声がかかった。
「妖斬りの椿が退治したそうだから、往来を歩いても問題ないってよ。ただし夜は出歩かないこったね」
見るからに下男といった風情の男がそんなことをぼそりと呟いて、主人のところに去って行った。
「今のはなんだ?」
「さあ。ところで茨郎さま、町まで出てきたのはなにか理由があったのですか?買い物なら荷物持ちしますけど」
茨郎さまは病弱なのだ。
こんなときこそ私が役に立たなくては。
「雪華にそんなことはさせないよ。きて」
茨郎さまはぐい、と私の手を引く。
「ちょっと茨郎さま!」
茨郎さまは人混みをかけぬけながら笑った。
全く、普段は上品なのにこんなところは子どもみたいなんだから。
寺子屋に通う子どもたちと変わらない。
「ここだ」
茨郎さまはある店の前で足を止めた。
「ここって……」
女物のかわいらしい雑貨を商っている店だ。
勝手知ったる様子で入っていくと茨郎さまは言った。
「頼んでおいたものは用意できているかい?」
「まあ、藤ノ宮さま。はい、ご用意できていますよ。そこでお待ちください」
女は布に丁寧に包んだなにかをうやうやしく茨郎さまに差出した。
「ありがとう」
茨郎さまはそれを丁寧に受け取る。
そして、私に渡した。
「開けてご覧」
手の平の上で広げると、そこには美しい簪が入っていた。
紅葉の繊細な細工がついている。
「綺麗……」
見惚れていると茨郎さまがにこやかな顔でこちらを見ていた。
途端に気恥ずかしくなる。
「こんなの私の柄じゃありません」
「そんなことない」
そっと簪を手に取ると私の頭につけてくれた。
「思った通り、とてもよく似合っている」
「あの……。茨郎さま、これ」
「あげるよ。帰ろう」
そう言って茨郎さまは私を手招きする。
促されるように、歩いてそれから立ち止まる。
「あの、茨郎さま」
「なんだい?」
「お腹、空きません?」
「へい、お待ち」
「毎度ありがとう」
「それはこっちの台詞でえ」
私は叔父さんから団子を受け取る。
「さあ茨郎さまも食べて」
「あの……、雪華。これは」
「まずは食べてください」
ずい、と串を突き出すと茨郎さまは手にとって食べた。
「ん、おいしいね」
「でしょー!」
私は飛び上がらんばかりに言う。
「この甘塩っぱいタレ!モチモチのお団子!茨郎さまに食べさせてあげたいと思っていたんです。ほら、茨郎さま食が細いからこれなら食べられるだろうと……」
自分だけがペラペラ喋ってしまい、慌てて私は口をつむぐ。
「すみません、私ばかり盛り上がってしまって」
「なにを謝ることがある?」
茨郎さまは目を細めて私を見た。
「私は雪華の元気のいいところが好きなんだ」
続けて、言う。
「私のことを気にかけてくれている優しいところも」
「そんな……」
私はパタパタと手を顔の前で振る。
「持ち上げてもなにも出ませんよー!」
そう笑うと茨郎さまも笑った。
ああ。
寺子屋で子どもの指南をしたり。
師匠と剣の稽古をしたりするのも好きだけど。
茨郎さまの前では素直な自分でいられる。
そのことが、なによりも嬉しく感じる。
茨郎さまも、そうだといいんだけどな。
「雪華の前では私は素直でいられる」
茨郎さまがぽつりとそう言ったので、私は驚く。
「屋敷の者はとてもよくしてくれる。でも、私はそれに報いられているのか不安になる。家の名声で近づいてくる者は、心の内が読めないから企みがあろうとわからない」
私を真正面から見つめて、茨郎さまは言う。
「雪華は私と対等でいてくれようとする。簪のお礼に団子をくれたんだろう?」
「あっあの、私はあのお店の団子が好きなので茨郎さまのお口にあえばと思いまして」
茨郎さまは口に手を当てて笑う。
「そういうところだよ」
なにか形に残るもののほうがよかったかな、と思ったがそれが茨郎さまの負担になったら嫌だし。
団子のお店を教えておけば、茨郎さまがお一人のときでも食べに来られると思った。
もしくは、また二人で……。
なにを考えているんだ私!
「よければまた来ようか」
茨郎さまは晴れやかな顔で言った。
もしや以心伝心。
運命とはこのようなことをいうのだろうか。
「雪華?」
「はい!私でよければ喜んで!」
張り切ってうなずくと茨郎さまは言った。
「よかった」
町に背を向けると私に手招いた。
「行こうか」
茨郎さまの背を追って、私も帰り道を歩きはじめる。
もうじき夕暮れだ。
空から太陽が落ちようとしていた。
最初のコメントを投稿しよう!