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いずれにせよ、今現在の俺にとっての一番の関心事は、俺がこの瞬間から逃れることができるのか、ということだった。
周囲には飲み物の自動販売機は見当たらないし、鞄の中のペットボトルも空だった。もしここが地獄であるとすると、そんな気休めの選択肢はないのは尤もなことだったが。この環境の中では人間ですら長時間生存することは出来ないだろう。まるで銅窯で煎られる蝗のようなものだと俺は感じていた。それは、さっきの蝉だって似たようなものだっただろう。銅釜で煎られる蝗が、その熱と苦痛の瞬間を永遠に感じていたとすると、それはどれだけの苦しみになるのだろうか。
しかし、と俺は考える。俺が成したのは、そんなに罪深いことだったのだろうか。
道路に落ちた蝉はいずれ死ぬ。熱と苦痛の数時間を這い回るより、なんらかのきっかけに引導を渡された方が、蝉にとっては幸いなことだったのではないだろうか。
もしかしたら俺が、この繰り返しの中では、同じようにしなかった可能性もある。無慈悲に踏み潰したかもしれないし、面白半分に、思いっきり蹴飛ばしたのかもしれない。その罪を無限回かけて俺は償っていて、今回やっと、爪先で除けるという選択肢に辿り着いたのかもしれない。
いずれにせよ、救いとは変化だ。
無数に重なる俺の記憶の中では、太陽はずっと、死の熱線を地上に投げかけていて、日が陰るような気配を俺が感じたことはなかった。
しかし、今日の天気予報では、ところにより夕立と予報されていた、もう一方の、これまでの人生を生きてきた日常に属する俺の記憶では。
俺は空を見る。
抜けるような一面の青空の、しかしながら低いところで、白い雲が確実に育ってきていた。それは部分的に灰色になっていて、やがて雨雲へと成長しそうな、そんな気配を感じる雲だ。
雨が降ってくれば、地上は冷える。人間の体感では湿気に蒸されてより暑く感じるかもしれないが、気化熱を奪われて絶対的に温度が低下する。
つまりこの繰り返しの世界は、雨によって終わりを告げるかもしれないのだ。
今のこの俺が観測しているこの世界、この俺の主観の中で雨が降ってくれば、この夏の地獄は終わる。
俺は目を閉じて、開ける。
雨よ、降ってこい。
(了)
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