会いに行く

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会いに行く

「そうだ、彼女に会いに行こう」  ふと、なんの脈絡もないタイミングで彼はそう言った。  向かい合った白のテーブルには、食欲もそそらない茶色い栄養食のブロックが乗った白いプレートが一つと、水の入ったグラスが一つ。私はいつものように、彼が食事を終えるのを待っていた。  何の冗談か、あるいはもう太陽は傾き始めているというのに寝ぼけているのか、彼は硬い栄養食を咀嚼しながらおもむろに立ち上がる。 「何を言ってるんですか」 「会いたくなってしまったんだ。無性に、今すぐ」 「今すぐ?冗談でしょう」 「冗談なんかじゃない、僕は、本気だよ」  まるで子どものように目を輝かせながら、彼は早歩きで部屋へと向かった。  彼女に会うために身支度を整え出すのかと思いきや、彼はガラクタ置き場となった部屋でがちゃがちゃといつもの工作を始めた。 「何をしているんですか」 「だから、彼女に会いに行くんだよ」 「彼女に会うために、何をしているんですか」 「ロケットを作るんだよ。どうせ会いに行くなら、カッコいい登場がいいだろう?」  ガラクタの前で屈んでいた彼は首だけこちらに向け、にやあ、っと口角を上げ、だらしない表情で笑った。手に持ったレンチを揺らして見せながら。  果たしてロケットに乗って会いに来た彼に、彼女が格好良いと瞳を輝かせるのかは知らないが、そもそも、根本的に現実味がないことに彼は気づいていないのだろうか。 「ねえ、ここのパーツを僕はどこへやったか、覚えているかい?」 「それならこの間、困っていた隣人のために砕いて、畑の肥料にしていたじゃないですか」 「……ああ、そうだったっけか。すっかり忘れていたな」  早くも、彼は脳の老化が進行してしまっているのかも知れない。  そんなことを考えながら、すっかり手の止まった彼を見つめる。右手に持った錆び付きレンチを、右へ振って、左へ振って、それから目の前のガラクタをこんこんと叩く。 「よし。それじゃあ、ロケットはやめだ。カッコよく、車で行こう。車だ」 「それも不可能です」 「なぜだい。車ならパーツは揃っていたはずだろう?」 「今はもう、車は使われていないため燃料がありません」 「……ああ、しまった。そうだったか。なんて間が悪いんだ」  いよいよレンチで、ボサボサの頭を掻きながら彼は俯いてしまった。  まるでつい最近、急に車というモノが廃止されたかのような反応に、私は何も言えずただ、彼を見下ろしていた。彼の目の前にある、ロケットとも車とも言えない形をしたガラクタは、うんともすんとも言わず私に似た表情で彼を見ている。 「なら、もういい。徒歩だ徒歩」 「それが良いと思います」 「よし、行こうか」 「待ってください」 「今度は何だい」 「せめてその髪形と服装と、髭とその他諸々を整えてからにしましょう」 「それってもう、全部じゃない?」  彼は苦笑しながら、ようやく重い腰を上げて風呂場へと向かった。  屈んでいたせいか、腰を痛そうに擦る彼の肩を支えて一緒に向かう。間近にあるボサボサの頭は、白髪がまた少し増えたように思えた。 「お背中流しましょうか」 「年寄り扱いしてくれるな、それくらいは問題ない」 「それでは、洋服を持ってきましょう」 「とびきりカッコよく見えるやつで頼むよ」  さっきからずっと、格好良さを重視する彼のために、繰り返し手入れをしていた衣装棚から比較的新しめのシャツとズボンを取り出し、浴室へと早足で戻る。案の定、自分の体力の衰えを把握できていない彼は、体を洗うのも一苦労なようで、腰掛けたままぐったりとしていた。 「だから言いましたのに」 「だからって、こうなるか普通」 「背中、流しますよ」 「こんなはずはない。おかしい。君が僕の食事に、毒でも混ぜているんじゃないか」 「妄言はせめて、毒を混ぜられるような、人らしい食事をしてから言ってください」  ぶつくさと不満そうな彼を気にも留めず、さっさと湯浴みを済ませてしまう。髪を整え、新しい衣服に袖を通せば、ガラクタ屋敷の主人も少しは見栄えがよくなっただろう。彼風に言えば、格好良くなったとも言えるはずだ。 「やれやれ、彼女に会うにも一苦労だな」 「見栄えを重視するなら、仕方ないですね」 「はいはい。それじゃあ、行くよ」  玄関を開け、銀杏の並木道を歩幅を合わせてゆっくり歩く。  すっかり落葉し、枯れ葉の絨毯となった道は道と、そうでない部分の境目すら覆っていたが彼は迷いなくまっすぐ、杖をつきながらゆっくりと歩いていた。 「すっかり老いぼれた気分だ。乗り物一つ作れないなんて」 「たまには運動もいいものですよ」 「まあ、いい。本当に作りたいモノなんて、僕には作れやしないから」 「おかげで、ガラクタばかりですもんね」 「ガラクタと言わないでくれ、あれでも、僕の努力の結晶だ」  彼のガラクタは、努力の産物ではあるが、やはりガラクタばかりだ。  行きたいところへどこへでも行けるロケット、自動で目的地にたどり着ける車、どんな病も治す万能の治療AI。どんな崇高な発明も、彼の願いを叶えることはなかった。  そんな軽口を叩きながら、息切れしつつある彼と共にようやく到着したのは、小さな墓のある場所だった。彼は杖を私に託し、両手を合わせて静かに目を閉じた。 「……今日もダメだったよ。君に会いに行くための乗り物一つ、作れなくなってしまった」 「……」 「早く君の元へ行きたいのに、何一つ叶わない。カッコつけるどころか、身支度ひとつ、一人ではままならない」 「……」 「こんなことを言っていては、君に怒られそうだけれどね」  彼は目を開き、首だけを私に向けて優しく微笑んでから手を伸ばす。  これは手を繋ぐ合図でもなければ、ただ私は彼に杖を返す。彼は杖で、銀杏の葉を一筋蹴散らしてから、来た道をまた歩き始めた。 「少し、休憩してからにしませんか」 「なんだ、君まで老いぼれてきたか」 「博士と一緒にしないでください。博士の心拍数がまだ落ち着いていませんから、休憩が必要だと判断したんです」 「君に、治療以外にも色んなことを学習する機能をつけたのは失敗だったかな。口うるさいったら」  おまけに、と言いかけて、彼は口をつぐんだ。  おまけに私のせいで、彼は健康そのものだ。彼はそれが不満なのだろう。どれだけ運動不足が祟ろうと、寝ている間に彼をストレッチをさせるので筋力は最低限を保てている。食事だって、栄養食の製造も慣れたモノだ。もちろん、毒なぞ入れる筋合いもない。  私が発達すればするほど、彼は残念そうに私を見る。  それでも。風呂に入れなければ、私が手伝う。忘れるものが増えても、私が覚えている。私にできることは、全てやるつもりだ。  だから、彼は、まだ、彼女に会いに行くことはできないだろう。 「本当はね、タイムマシンが作りたかったんだ。過去に戻って、君を彼女に届けたかった」 「聞きましたよ、散々」 「何度でも聞いてくれよ、きっとまだ時間はあるんだろう」  子どものように拗ねた顔で笑う彼の隣を、私は歩幅を合わせてゆっくりと歩く。
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