魔女の恋し方

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 アリア・メイディは何事にも動じない女性だったが、さすがに命の危機に瀕した時はドキドキした。その心臓の高ぶりは、助けてくれた命の恩人を五千倍も魅力的な男に錯覚させ、そして彼女は恋に落ちた。それは初恋だった。  やがて二人は恋人になったが、月日が経って慣れてくると、最初の頃のときめきは薄れていってしまった。相手の男は、働きながら官職を目指して勉強中などという面白くもなんとも無いタチだったので、すぐに飽きてしまったのだ。  初恋を失ってしばらくすると、またあの味が思い出されて、無性に恋をしてみたいという欲求に苛まれていく。だが、アリアの鋼のような心臓は少しのことではときめいてくれない。どうすれば、初恋のときのように、胸が内側から張り裂けるような衝動を、血が沸騰するような情熱を味わえるのだろうかと思い悩み、考え抜き、そして思いついた。 「そうよ。あのときと同じにすればいいんだわ」  アリアは秘密裏に、自らに懸賞金をかけた。そして自分の手配書を、裏の世界にばらまいた。大商家の令嬢である彼女は、初めてその生い立ちに感謝した。  手配書が出回ると、すぐさま刺客が彼女を狙い始めた。賞金稼ぎ。殺し屋。盗賊。騎士崩れ。殺しを厭わぬ卑しい冒険者まで。彼女の人生は一変し、スリリング極まるものとなった。  財力はあっても、ただの女にすぎない彼女は、けれどなかなか殺されはしなかった。なぜなら彼女の父によって、報奨金が課されたからだ。理由は定かではないが、命を狙われるようになってしまった娘に用心棒をあてがうのは至極当然のことで、これは冒険者ギルドや騎士団、教会にも広まった。  世の中悪い人間は多いが、同時に正義感の強い人間もいるもので、彼女の周囲ではたちまち争いが巻き起こった。  彼女を殺そうとするもの。そして、守ろうとするもの。その渦の中心で、彼女は生きるか死ぬかのスリルを味わい、胸のドキドキを思う様味わった。恋もたくさんした。精悍な騎士や冒険者、聡明な僧兵、果てには、最初こそ殺そうとして近づいてきた刺客とも恋をした。 「ステキ! 恋はなんてステキなのかしら。情熱的で、甘美で、儚い。ああ、次はどんな恋ができるのかしら」  築かれた死体の山の上で、アリアはうっとりと酔いしれるのだった。  だが、それも長くは続かなかった。  熱しやすく冷めやすい人間は、命のやり取りですら、慣れると冷めてしまうらしい。  アリアは、もうこの方法でもときめくことができなくなってしまった。 「ならもう、懸賞金も報奨金も無意味よね。本当に死にたくはないんだもの」  手配書を簡単に取り下げた後に、本当の地獄が始まった。  最初に激昂したのは裏社会の人間たちだ。酔狂な令嬢の気まぐれに、文字通り命まで捨てて躍起になっていた彼らは、彼女を粛清しなければ気がすまない。そこで、全てを世間に詳らかにした。  懸賞金を懸けていたのは彼女自身。アリアの周りで起こった血みどろの抗争は、彼女自身の手による自作自演でしかないのだと。  彼女を殺そうとして、そして守ろうとして、幾人もの命が燃え尽きた。渦中、彼女との狂恋に溺れた者も多い。生まれた恋も多ければ、終わった恋も多いもの。その中には、アリアに捨てられて恋情を恨みに変えた者もいる。証言はいくつもいくつも湧いて出て、この一連の出来事が彼女の手によるものだとして、明らかになるのにはそう時間もかからなかった。 「魔女め」  人心を欺くその業は、まさしく魔女と呼ばれるにふさわしかった。  彼女は騎士団に捕縛され、国家主導のもと、裁かれることになった。  処刑台に立たされた彼女の目には、何の感情もなかった。何者にも動じない鋼のような心臓は、この場においても、静かな湖畔のように、とくんとくんと控えめに脈打つだけ。 (ああ……もう、この心臓が騒がしく、甘やかに踊りだすことはないんだわ)  何が悲しいって、それが一番悲しい。死ぬのも本当は嫌だけど、もうあのときのような恋ができないのであれば、ここで生涯を閉ざすのも悪くはない。  アリアは、本当にそう思っていた。  処刑台があるのは、王都の中央広場。人々が酔狂な魔女の最後を見届けようと集まり、好奇や侮蔑の眼差しを向けている。そんな視線にも、何も感じない。  処刑方法は絞首刑。縄を首に括り、処刑台の床を抜けば、全体重を首で受け止め、縄が締まる。一瞬で死ぬことはできない。苦しい時間が長く続く、残酷な刑だ。  そして今、床を抜く仕掛けを動かすために、執行官が処刑台に登ってきた。仮面を付けた男だった。  執行官はアリアの正面に立ち、彼女を見つめた。  まだ仕事に慣れていないのか、小刻みに体が震えている。それを見て、彼女は無性に執行官が可愛らしく、愛おしく思えた。 (おかしいわね。もうドキドキもしないのに)  執行官に対して、懐かしいような気持ちにさせられる。不思議な感情は、彼女の胸をじんわりと温めていった。 「なにか、言い残すことはあるか」  くぐもった声が、仮面の奥から聞こえてきた。  その声にまで、懐かしさを感じてしまう。 「ありません。……いえ、一言だけ」 「なんだ」 「それなりに楽しい人生と、恋でした」 「そうか」 「とくに、初恋は」 「……そうか」  民衆から、「殺せ」「処刑しろ」「魔女を裁け」と声が上がる。  その怒号を浴びる執行官と魔女。しかし、見つめ合った二人の間には、そんな声など入り込む隙がないくらい、静かな空気が満ちていた。  アリアが、かすかに笑った。 「さようなら」 「……」  それ以上言葉はなく、刑は執行された。  仮面の奥で、執行官は唇を震わせて、残酷な運命に嗚咽した。  今度は、命を奪う側に回ってしまった、と。  おわり
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