1人が本棚に入れています
本棚に追加
ぴちょん。ぴちょん。
水の滴る音がする。
月明かりに照らされ、埃が銀色に輝いている。
割れた窓ガラスを修復するように、大きな蜘蛛の巣が絡まっていた。
人が住まなくなって久しい旧宿舎は、今こうしている間にも、少しずつ朽ちているようだった。
時折足元で鼠の鳴く声がする。
角を曲がった途端、肩になにかが勢いよくぶつかってきた。
大きく育った蝙蝠だった。
梔子はむっとし、肩を払う。
悲鳴を上げるほどささやかな神経はしていないが、年頃の乙女としては思うところもあるのだ。
ーー近いぞ、梔子。
影の悪魔が囁く。
ーー臭うぞ。獣の臭いだ。
梔子は廊下の先を巣食う闇に、じっと目を凝らした。
ぴ、ちょん。
水の滴る音。
それきり、耳が痛くなるような静寂に閉ざされる。
生温かい風が、耳に、首筋に、触れる。
と。
「女だ」
低い声がして、後ろに引き倒された。
咄嗟のことで梔子は動けなかった。
後頭部を強かに打ち、痛みに息が詰まる。
その隙に馬乗りになってきた男こそ、愁哉の言っていた「お偉方のご子息」だろう。
こんな時に。
生理的に溢れ出た涙で視界がぼやける。
最初のコメントを投稿しよう!