6人が本棚に入れています
本棚に追加
第17話
恥ずかしくて堪らず京哉は芋虫の如く丸まっていたが、その程度で霧島という男は防げるものではない。
「ん、ああ……傷はついていないな」
「お願いですから、もう――」
「今更だろうが。もっと恥ずかしいことをしたばかりだぞ?」
「そうなんですが、何か違うというかですね……本当に勘弁して下さい! せめてシャワーだけでも」
勿論、二人共にもう一度シャワーを浴びるべき状態と分かっていたが、羞恥から自力でシャワーに挑戦した京哉はベッドから流れ落ち、バスルームへの道のりの半ばで力尽きて霧島に拾われ担がれた。
汚した原因として責任を感じているのか、多少は羞恥もあるのか霧島も黙って京哉を全身洗い、シャワーで温めてから先に部屋に戻す。
あとから戻ってきた霧島が何も言わずにさらりとした京哉の黒髪を指で梳いた。すると腕時計が目に入る。もう夕食を摂ってもいいような時間だった。
「えらく長くやっていたのだな」
「そうですけど、その直截的な表現は何とかなりませんかね?」
二人の腹が同時に空腹を訴えて鳴り響いた。
「どうする、ルームサーヴィスかレストランか」
「レストランに行ってみたいです。メニューも多そうだし」
「ふむ。歩けるのか?」
「あったかくて大きな支えがあったら大丈夫ですよ」
◇◇◇◇
「大丈夫か、京哉。無理しなくてもいいんだぞ?」
「大丈夫ですって、お蔭様でたっぷり寝かせて貰えましたし」
食事をして帰ってからの長い夜の間、二人が何をしたかと云えば霧島の要望でまたもやナニをしてしまった訳で、今度こそ霧島は京哉を失神させてしまい、少々心配な朝なのだった。
分厚く黒い雲が垂れ込めて薄暗い中、相変わらずのヘドロ臭を含んだ空気に京哉は顔をしかめつつ、霧島と喋りながら一棟の高層ビルの前をさりげなく通り過ぎた。
このビルの三十六階から四十階をベルトリーノ理科学工業は占め、支社長室が三十八階にあるということはネット検索で調べてあった。
「ふむ。一階ロビーの隣にファストフード店か。裏も回ろう」
ここでも背の高い巨大なキノコの根元を彷徨う気分で京哉は霧島と共にワンブロック歩き、左に曲がる。ビル沿いに暫く行ってまた左に曲がった。
「裏口は……うーん、こっち側もロビーの隣にブティックかあ。エントランスも立派ですね。どっちを精確な『入り口』と考えても変わらないくらい」
大通りから一本入った所にビルはあり、行き交う人々が割と少ないのはラッキィだったが、それでも日本を基準とするなら裏通りと云えない人通りがあった。
「いったい何処からこんなに人が湧いてきたのだろうな?」
「狭い土地にこんなに高層建築があって、その全部に人が入ってるんですもん」
「なるほど、人口密度も縦積み方式か」
「それより裏か表、どっちを張るんですか?」
霧島カンパニーの時とは事情が違う。ここでは二人に捜査権もなく外から見張るしかない。だが表も裏も襲撃者の逃走経路としての条件は同じに思われた。
選択を誤ればベルトリーノ理化学工業シンハ支社でどんな殺戮劇が繰り広げられようと、自分たちは蚊帳の外で終わる。
しかしチャンスはそれほどある訳ではない。これを活かしたかった。
もう一度表側を歩いた霧島は、これ以上は何者かを警戒させると判断した。
「よし、こちら側にしよう」
朝から喧騒にまみれたファストフード店を見て、迷うことを殆ど知らない霧島が即決した。捜査員としての勘も超一流なので、バディの二者択一に京哉も文句はない。
そこで朝食もまだ食べていない二人はビルの真向かいのカフェレストランに入店する。出入り口の自動ドアから近い窓際のボックス席に陣取った。
通りに面しているのは一面の窓で、片側一車線の道路と両サイドの歩道越しに目的のビルのエントランスとロビーまでが見える。何事かあれば即座に気付ける位置だ。少々遠いが二人共に視力は抜群である。
「現在八時十五分。ここなら一日でも粘れそうですね。何にしますか?」
メニューを眺めて霧島はミックスサンドとコーヒー、京哉はメープルワッフルと紅茶を選んだ。料金を先払いするシステムで咄嗟の場合を考えると有難かった。
「一見してマル被と分かるくらい大笑いでもしてくれてたらいいですけれどね」
「マル被も問題だが、裏もこちらも張っているのに気が付いたか?」
「んー、たぶん。両方二人ずつですよね?」
そう京哉が言うと霧島は灰色の目に笑みを浮かべる。
「さすがは私のバディだな」
「裏はブティックの前に堂々としてましたから。こっち側は右隣のビルの陰ですね」
「ああ、あの目つきは間違いなく同業者だ」
「中央六分署の捜査一課でしょうか?」
「分からん、他課の応援かも知れん。私たちは昨日、面も割れてしまったしな」
「向こうにもヒントをあげちゃいましたもんね。三つ巴かあ」
「中央六分署がパクっても『心神耗弱または心神喪失』では仕方がない。その前に無傷で手に入れたい。それが今回の至上目的だ」
「でも手に入れて実際どうするんですか? 拷問でもするとか?」
「そういう仕事は何処かのスナイパーに任せる」
適当な返事に京哉が少々ムッとした時、注文した品が運ばれてきた。京哉はメープルワッフルにナイフを入れ、生クリームの載った最初のひとくちをフォークで差し出し霧島に食わせてやる。霧島はもぐもぐと食いながらミックスサンドを一切れ京哉に差し出した。
仲良くシェアして食しながら霧島は事実として、ジャンキーを手中にしても血液検査ひとつできない自分たちはどうすべきかと考える。だが手繰る糸はこれしかない。
「警戒すべきはレイフだな」
「これ以上、可能性を消される訳にはいきませんからね」
二人は朝食をさらえてしまうと、なるべくゆっくりと飲み物を口に運ぶ。
ベルトリーノ理化学工業支社長の予定はホテルで借りたパソコンで調べ済みだ。給与体系の透明化政策とやらでネット上に上がっていたのを二人で眺めただけというお手軽さだが、今日明日は定時の十七時まで支社から動かない筈だった。ランダムになる外出先より、侵入手段さえ確立されていれば狙いやすいだろうと思われる。
少しずつ飲み物を減らす間も通りの向かいから目を離さない。出社した男女がビルに次々と吸い込まれてゆくのを見つめ続ける。自家用車やタクシーもひっきりなしに停車した。ビル関係者ではないファストフード店の客もうろついている。
三杯目のドリンクを注文したとき、窓の外をジーン=ブラッドレー警部補が歩き過ぎて行って二人は笑った。相変わらずの雨合羽を着た姿だった。
「だが、当然だろうが懐に呑んでいたぞ」
「レイフはグロック17を持ってましたよね。ここの制式拳銃はグロックなのかも」
「フルで何発だ?」
「あのマガジンは九パラを十七発プラス、チャンバに一発の十八発モデルですね」
「ガンヲタもたまには役に立つものだな」
最初のコメントを投稿しよう!