第19話

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第19話

 遠くから緊急音が聞こえてくる中、レイフ=ギャラガーは現場に背を向け、雑貨店の方向に歩き始めた。霧島と京哉はそれに続く。  レインコートで雨を弾かせ歩きながら、京哉がポケットからハンカチを出して数秒だけレイフの歩みを止めさせた。  二の腕を縛り上げられながら痛みを感じさせない口調でレイフが訊く。 「何故、ついてくる?」 「これ以上、手掛かりを逃せん。あんたは私たちが欲しいものを持っている筈だ」 「ただで教えるとでも思っているのか?」 「だからこうして恩を売っている」  追われる身でありながらレイフ=ギャラガーはそぼ降る雨の中を、焦りを見せないゆったりとした足取りで歩いていた。暫く歩くとタクシーを拾う。  レイフに続いて二人も押し入るように強引に乗り込んだ。ドライバーに早口で告げた行き先は京哉には分からなかったが、霧島が聞いているので心配はしていない。  タクシーは一旦大通りに出るとショッピング街と官庁街を抜け、イズン空港方面に向けて走る。数分で右折。そこから入り組んだ細い道を何度も曲がる。途中で京哉が霧島に囁いてタクシーを停めさせて貰いドラッグストアで少々の買い物をした。  最終的にタクシーが駐まったのは寂れた感じの裏通りだった。レイフはタクシー料金を精算すると降り立ち、また雨の中を歩き出す。  周囲を京哉が見渡すとここらはせいぜい十階建て程度のビルが殆どで、その一階にはどれも店舗が入っていたが規模の小さいものばかりだった。ダウンタウンといった風情のそこを歩くこと十五分ほどでレイフは足を止める。  そこはゲームセンターの前だった。昼間は営業していないのか、やけに静かだ。  窺うようにレイフは二人を見てからゲーセンの脇にある合板のドアを開ける。そこには階段があった。上ではなく地下に下りる。一階分を下りるとまたドアだ。レイフがポケットから出したキィでチャチなロックを外す。  湿気を含んだ空気の満ちた、そこがレイフ=ギャラガーの隠れ家らしかった。  蛍光灯が一本きりの天井は立つには充分だが圧迫感を感じるくらい低い。百九十近い身長の霧島は慣れずに何となく頭を下げて歩くハメになった。  階段裏の天井が斜めになった壁際に狭いベッド。塗りの剥げた木製のデスクとパイプ椅子が一脚ずつ。小さく古い冷蔵庫。奥のドアがバスルームとトイレだろう。  デスクの上にはカットグラスとウィスキーの瓶にフォトスタンドが載っている。  それだけの、淋しく殺風景な部屋だった。  レインコートを脱ぎながら霧島と京哉はそんな室内を見回す。京哉が冷蔵庫の上にナイフを見つけ、レイフを椅子に腰掛けさせると腕を締め上げていたハンカチを切った。ネイビーのジャンパーと下に着ていたワイシャツを脱がせる。 「弾丸、貫通してない。救急箱なんて……ないですよね?」  京哉の問いを霧島が訳すとレイフは首を横に振った。予想していたので京哉はドラッグストアに寄ったのだ。自分のオイルライターを出すとナイフの先を炙って滅菌し、更にドラッグストアで買った消毒液で刃先を洗って煤まで流す。 「少し痛いけど我慢して下さい。すぐ終わりますから」  左の二の腕にめり込んだ弾丸をナイフの刃先でほじくり出す。精悍な顔が引き歪んだ。摘出した弾丸は三十八口径弾だった。  血のついた弾丸をデスクの上に転がすと傷に消毒液を盛大にかける。乾くまで放置してから三本のステリテープで引っ張って傷を閉じると、抗生物質入りの傷薬を塗りつけたガーゼを当て包帯で巻き固めた。  ベッド上のタオルで血を拭き、新しいワイシャツに袖を通したレイフが口を開く。 「すまない、助かった。俺もブラッドレー警部補も」 「話の前に顔を洗わせてくれ。それと京哉に煙草を吸わせてやってもいいか?」  頷くのを見て霧島と京哉は奥のドアを開け、交代で洗面所の水でピリピリする肌を洗い流した。部屋に戻ると京哉はポケットから吸い殻パックを出して、パッケージから一本咥えて引き出し火を点ける。霧島が自己紹介から始めた。 「シノブ=キリシマだ。そっちがキョウヤ=ナルミ。霧島と鳴海で構わない」 「俺は……知ってるな? レイフでいい。冷蔵庫にあるものなら何でも飲んでくれ」  通訳されて京哉が小さな冷蔵庫を開けてみた。ビールとウォッカしかなく、頭を振って冷蔵庫を閉める。確か上のゲーセンの前に自販機が数台あった筈だ。 「リクエストはありますか?」 「私はホットのコーヒーを頼む。微糖が分かれば」 「俺も同じで構わない」  微糖らしきコーヒーを三本抱えて部屋に戻った。霧島とレイフに配給する。勧められて霧島と京哉はベッドに腰掛けた。コーヒーを開封して飲んでみるとこの国の微糖なる基準は本当に糖分が少なかった。飲みつつ霧島は京哉に双方向通訳しつつレイフに訊く。 「それでレイフの仇は何処の誰なんだ?」 「今のところは『グリーンディフェンダー』だ」 「グリーンディフェンダーとは某大国で旗揚げされたエコテロリストのことか?」  それが暫く前に日本国内で出遭ったテロリスト集団の前身だったのを思い出し霧島と京哉は顔を見合わせた。その件にミケが絡んで二人に押しつけられたのである。 「そうだ。元は『水と緑を守る会』という環境保護団体が母体だ。そこから分派してグリーンディフェンダーなる同じ環境保護団体でも過激思想を持つ集団ができた」 「それは知っている。だがここではより過激な思想、環境汚染する化学製造業や資源採掘関係の企業を目の仇にして企業トップや役員を消し続けているということか?」 「まさにその通りだ。奴らは使い捨ての兵隊にアッパー系薬物を与えて暗示をかけ、ごくシステマチックに殺しを続けている。環境を破壊し汚染する者を、牽いては何れ、その恩恵を受ける全ての人間を消す……それが奴らの掲げる理念らしい」  言ってレイフは右手で缶コーヒーを潰さんばかりに握り締めた。 「だが『今のところ』というのは、どういうことだ?」 「グリーンディフェンダーに依る企業トップ殺戮は他国と同様、このシンハでも約三ヶ月前から始まっている。それまではただ叫んでいただけの奴らだ。それを誰かが変えた。あちこちから兵隊をかき集め、使い捨ての奴らに薬物を与えては企業トップを殺す手順を刷り込み、ときに整形までさせた上で殺しを実行させるシステムを作り出した誰かが裏にいる筈なんだ。奴ら自身が気付いていなくても、な」 「ふん。それでレイフ、あんたは片端からエージェントを殺して、その裏にいる『誰か』を引きずり出そうとしているんだな、自分を囮にして」  霧島の問いに返事はしなかったが、レイフは否定もしなかった。既にクセになった動きでウィスキーに手を出そうとして止め、レイフはコーヒーを開けて口をつける。 「それが誰なのか、全く見当もつかないのか?」 「マル害の企業の共通点からグリーンディフェンダーに目を付け、幹部を尾行して何とか兵隊たちが出入りしていることまでは探り当てた。そこから先がどうしても見えない」 「そういうことなら単なる兵隊を叩いても、何も知らない可能性が高いですよね。下手に捕まえて拷問係なんてやらされなくて良かったのかも。でも……うーん」  どうやらここでどん詰まりらしい。霧島と京哉は顔を見合わせた。  次に打つ手を考えねばならない。だがずっと連続企業トップ殺害を追ってきたレイフですら復讐すべき真の敵に辿り着けていないのだ。  刑事としては一流と評された男を眺めながら、京哉が呟いた。 「まさかグリーンディフェンダーに潜入もできないし。薬物投与で記憶がとぶだけならともかくとして、兵隊として整形までさせられたら困りますしねえ」 「エネルギー財団の線を繰り返しても、既に意味がない気がするのだがな」 「じゃあ、どうするんですか?」 「現在はノープランだ。思いつくまで待て」 「分かりました、閃きを期待してます」  霧島が通訳してくれるが京哉も英語の勉強だと思い、片言であってもなるべく英語を使う努力をしていた。レイフはパイプ椅子に腰掛けて黙したまま話を聞いている。 「とにかく一歩前進には変わりない。グリーンディフェンダーを洗うとしよう」 「レイフ、パソコンはあるの?」  殆ど置き去りにされていた形のレイフは二人に注視され肩を竦めた。 「これでもお尋ね者なんでね、文化的生活は望んでいないんだ」 「なら携帯で我慢しなきゃですね」 「では京哉、私たちは一旦ホテルに戻ってチェックアウトだ」 「あ、六分署にバレてるんでしたっけ」 「私たちに糸が付くとレイフが危なくなる。急ごう」  腰を上げた二人は階段を上がって外に出た。周囲警戒を兼ねて見送りに出てきたレイフに霧島は片手を挙げてから歩き始める。二人は十分ほど歩いてタクシーを捕まえた。道は入り組んでいてもドライバーはレキシントンホテルの場所を間違わない。  一七〇二号室に戻った霧島と京哉は荷物をまとめると、さっさとチェックアウトした。フロントでの要件を済ませ一階ロビーにサーヴィスとして置いてあるパソコンに近づいたとき、二人の背後を中央六分署の捜一の一団が通り掛かる。  これ以上ホテルに留まるのは危険と判断し、サーヴィスのパソコンは諦めて二人は外に出た。
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