第22話

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第22話

 近所の小さなホテルに投宿した霧島と京哉はどんよりした空の下を歩き、翌朝九時にレイフの隠れ家をノックした。ロックが外れる音と銃口の出迎えは昨日と同じだ。 「おはようございます、レイフ。まだ早いですよね」 「あれから何か探れたか?」 「ううん。今日にご期待です」  地下室に踏み入った霧島はパイプ椅子に腰掛け、京哉は煙草に火を点ける。 「タクシーでどのくらい掛かるんですか?」 「この時間なら二十分弱だろう。十時前には出たい」  少し歩かなくてはタクシーも拾えない。京哉が煙草を一本吸い終えると出発だ。  階段を上がって外に出ると、また降り出しそうに雲が低く垂れ込めている。相変わらず空気がヘドロ臭く湿度も高い。けれど南半球も末端近くなので肌寒かった。  異常なまでに嗅覚の鋭い京哉が既に顔をしかめるのも諦めてレイフに訊いた。 「いつもこんな臭いと暗い中で暮らしてるんですか?」 「環境問題は昔から叫ばれてるが生まれた時からこれだからな。臭いも分からん」 「そうなんだ、それも何だかすごいですね」 「雨季が終われば多少はマシになるんだが。よその国には青い空があるんだってな」 「ええ。他の国に行きたいとか?」  京哉はレイフを見上げる。霧島と同じか、ほんの少しレイフの方が背が低いくらいか。武道をする霧島が着痩せするのを知っているのと、レイフがかなり痩身なのでそう見えるのかとも思う。  問いにレイフは茶色い目を何処か遠くに向けて答えた。 「そうだな……いや、あまり考えたことはない。もうお尋ね者でこのシンハのイズンから外には出られない身の上だしな。先のことは本当に分からない」 「『イズンから出られない』、出る気はないんですね。追って、殺して、それで?」 「分からん。だが許せないんだ。エメリナが何故、あんな風に死ななければならなかったのか俺には分からない。認められない。暗い土の下に埋められるのをこの目で見たというのに、まだ声が聞こえる。姿が見える。笑顔が……納得できたら、俺はこの銃を返す」 「……そっか」  そのやり取りを霧島は双方向通訳しただけで、あとはずっと黙っていた。  通りの向こうにレイフがタクシーを見つけ、合図すると黄色いタクシーは迂回して目前までやってきた。三人は後部座席に並んで乗り込む。レイフがドライバーに、 「フランセル総合医薬品工業のラボまで」  と告げると、タクシーは官庁街の方向へと走り始めた。  官庁街を抜けて一旦オフィス街に入ったのち、ショッピング街に差し掛かる。次のオフィス街へと向かう間、三人は無言だった。オフィス街の端は既に工場地帯と境目がなく、ビルと巨大な倉庫が入り交じって建ち並んでいる。  ほどなくタクシーは停止した。霧島が料金精算して三人は降りる。目前にはフランセル総合医薬品工業の社屋らしき白いビルが建っていた。三十階建て近い高層建築である。  他の会社もテナントとして入っているらしく、ビルの前に立つオブジェめいた銀色の金属でできた看板には多数の企業名があった。  その隣に広大な駐車場を持つ病院があり人々が出入りしている。かなり大規模な病院で六階建てとあまり高くはないが、どっしりとした質量感の建物だった。  霧島と京哉にレイフはそれらがある敷地内へと歩き始めた。重傷者の搬送かドクターヘリが屋上から飛び立って行くのが見えた。 「ラボはこのビルと病院の裏にある」  そう言ったレイフに二人はついて行く。五分も歩かぬうちにラボが見えてきた。七階建てで、この辺りでは珍しい円筒形をした建物だった。人工芝に囲まれている。  屋上にヘリが何機か駐機されているのを三人は仰ぎ見た。 「あれは要チェックだな。京哉、お前ならかっぱらって逃げられるぞ」 「忍さん、貴方ってば最近言葉が乱れてますよ」  たしなめつつ以前の特別任務でヘリの操縦を覚えた京哉もチェックしている。  そうして仰ぎ見ていると空を低く切り取ったビルの谷間からは、あまり遠くない所で何本もの工場の煙突が炎と煤煙を交互に吐くのがよく見えた。 「お産とか薬の研究とかに適してるようには、ちょっと思えませんよね」  工場地帯からの濃いヘドロ臭に京哉が顔をしかめる。 「この辺りのビルは全て空気清浄機がフル稼働だ」 「早く中に入りたいものだな。私でもこの臭いは厳しいぞ」  口々に雑談しながら三人はラボの門前に立った。 「これはまた厳重だな」  呟いた霧島はラボの周囲を巡るフェンスと設置してあるIRセンサ、赤外線装置を眺める。侵入者か脱走者が不用意に通れば赤外線が遮られて感知するシステムだ。 「でも僕らは治験者で登録もしてありますし。行きましょう」  先端が尖った青銅の門扉の前には小さな門衛小屋があり守衛が詰めていた。そこで声を掛けられ昨日の治験申し込みの返信を見せる。こうしている間にも何処からかセキュリティチェックされX‐RAY検査されているのかも知れないと霧島は思った。  だが三人共に職業は『刑事』だと昨日の登録時に申告してある。喩え銃がバレても構うことはない。皆、備考欄に『お尋ね者』とは書いていないので霧島は暢気に構えていた。 「どうぞ、このまま真っ直ぐお進み下さい」  守衛に会釈しつつ晴れて青銅の門をくぐった三人は、人工芝を突っ切る石畳の歩道を足早に円筒形の建物へと向かった。  エントランスは彫刻が施された石材の円柱が立つ瀟洒な造りで自動ドアになっていた。中に入ると清涼で快適な温度の空気にホッとする。目前にカウンターがあり制服の受付嬢が座っていて、守衛から連絡が来ていたのか微笑んで挨拶をされた。 「ようこそおいで下さいました。治験は三階E会議室になります。申し訳ありませんが、時間が押しておりますのでお急ぎ下さい」  ロビーを右手に通り過ぎ、エレベーターに乗る。三階で下りて配置図通りにE会議室まで歩いた。入ったE会議室はかなり広かった。ノートパソコンが幾つも起動された長机が何列も並び、前の方のパイプ椅子に十名ほどの男女が既に着席している。一番前の演壇にはスーツの男と白衣の男が立っていた。 「シノブ=キリシマさんとレイフ=ギャラガーさん、キョウヤ=ナルミさんですね。お待ちしておりました、空いた席にお掛け下さい」
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