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第31話
話しながらもレイフは窓外の地下駐車場の入り口から目を離さない。時刻は八時、京哉が調べた情報に間違いやアクシデントさえなければ、九時前には目標が現れる筈だった。
エメリナが殺されてからここには何度も足を運んだが、あれから誰かと来たのは初めてだ。注意深く外に目を向けていないと、向かいの席にある気配にいつの間にか意識を占められてしまいそうになる。遅刻を怒った顔で咎め、一瞬後に許してほころぶ口元――。
カップを持つ京哉の手とエメリナの白い手がダブる。そう、あの日、指輪を嵌めてやった時に喜びで細かく震えていた華奢な白い手。
胸が締めつけられ、腹の底が焦燥感で炙られる。何故、何より大切なものを護れなかった? 刑事だったこの自分がいったい何を間違えた?
戻らぬ者を乞い続け、己を責める時間が流れる。
「……来た!」
同時に京哉も気付いていた。会社のロゴが描かれた白い社用送迎車が大通り側の車寄せで主を降ろし、待機すべく地下駐車場に回ってきたのだ。
「出るぞ」
「はい」
マスターにレイフが紅茶代を払い、二人は外に出た。
「『来客』の挨拶訪問予定は九時から十五分間、間違いないか?」
「こういうのは流動的だから。でも『来客』は次にスズモト製鋼株式会社にも訪問のアポを取ってるから、そんなにはズレ込まないと思うよ」
なるべく自分たちが表にいる時間を短くしたい二人は、地下駐車場の入り口にある柱の陰にさりげなく立った。車の主の秘書が携帯で連絡し、ここから社用送迎車が出たら大通り側のエントランスにある車寄せに駆け付ける手筈だ。
じりじりと時間が経つのを待つ。レイフに言われて京哉は煙草を咥えた。目立たぬよう煙草休憩するふりだ。片手に吸い殻パックを持って紫煙を吐く。だが気が急いて味も分からない。もう一晩が経ってしまった。霧島は無事なのだろうか……足踏みしたくなる。
だが仕損じてはならない。努めて呼吸を整えた。ターゲットを前に元スナイパーの京哉は心音と呼吸を同調させて精神統一を図る。心音三回で一回、吸っては吐いた。
そんな京哉を意外に冷静に見ている自分にレイフは気付いていた。追い続けていた奴らに手が届く、その緒戦を迎えるというこのときに却って頭は冷めていく。
そこには刑事に立ち返った自分がいた。
「鳴海、あんたは警察官の仕事が好きか?」
「僕は警察官をやってる忍さんを傍で見てるのが好き」
「何だ、そんな不真面目な勤務態度で日本の刑事は務まるのか?」
「事実として僕は忍さんの秘書であって刑事じゃないし。でも僕だって真面目に仕事はしてるよ。非常勤のスペシャル・アサルト・チームのスナイパーだし、忍さんとの特別任務で発砲せずに済んだ事なんて一度もないし、何人殺ったかなんてもう分かんないし」
「それは……案外日本は物騒なんだな」
「特別任務の時だけだってば。全部終わったら一度日本に来てみれば?」
「ああ、いや、お尋ね者はこのシンハから出るのは無理だ」
「だから、全部終わったら。待ってるから、青い空の下で」
「いいな、それは……車が出てくるぞ!」
地下駐車場からどの車が出るかは見てみないと分からない。二人が注視する円盤状の地面が沈み、次にせり上がってきた時には一台の車を載せている。独特のロゴが見えた。
「ビンゴ! レイフ、行くよ!」
駆け出す京哉とレイフは併走する。大通り側に出た。ロビーからエントランスの自動ドアをくぐって出てくる人影が二。企業トップ連続殺害事件が発生していても自分たちだけは大丈夫だと思い込んだツケでガードの姿は見当たらない。
車寄せに白い社用送迎車が滑り込む一瞬前に、京哉とレイフはディン資源公司ビルから出てきたスーツの男二人の傍まで駆け寄っていた。
何もかもを打ち砕く鋭い声でレイフが叫ぶ。
「警察だ! グラチェフコーポレーション社長アキーム=グラチェフ、フランセル総合医薬品工業付属病院での違法生体実験幇助の容疑で逮捕する!」
驚愕にポカンとしているアキーム=グラチェフと秘書が騒ぎ出す前に、京哉はシグを突き付けていた。オフィス街を歩くビジネスマンたちが何事かと振り返る。
それらの視線には何ら構わず、ドアを開けて待ち受ける社用送迎車へと京哉が銃にものを言わせて二人の男を押し込んだ。続けて京哉自身が乗り込み、レイフはドライバーの隣にこちらも抜き身のグロックを手にしてお邪魔する。
「はーい、お静かに。言いたいことは色々あるだろうけど、頭に風穴を開けられたくなかったら暫くは大人しく付き合ってよね」
京哉が口は朗らか目は笑っていない状態で宣言した。翻訳ソフトで覚えた科白だ。
手にしたグロックを上下させたレイフがドライバーに目的地の変更をさせる。勿論行き先はフランセル総合医薬品工業のラボだ。ここからなら十分程度で着く筈である。顔色を真っ青にしたドライバーの運転で社用車は出発した。
「鳴海、霧島の携帯の位置は?」
「昨日から変わってない。対地高度からみて、たぶん地下三階。セオリーだよね」
「それだけに厄介だ。厳重警戒されているだろう」
「どのくらいこの『盾』が持ってくれるかが勝負だよ」
ほどなく円筒形のラボが見えてくる。白い社用車は京哉が予想した道より一本手前で右折した。昨日三人でくぐった門とは別に、車で入れる門があるらしい。
銃口をアキーム=グラチェフの顎の下に食い込ませて京哉は脅し上げる。
「突然の訪問だけど、頭をスイカみたいに割られたくなければ……分かるよね?」
これも翻訳ソフトで覚えた拙い英語だったが、身動きできずに脂汗を浮かべた社長の傍で秘書がカクカクと頷いた。お蔭で門衛小屋も全員の引き攣った笑いでクリアし、ラボの敷地内に難なく侵入を果たす。
車寄せに停まった社用車の中で秘書とドライバーには社長からの携帯での許可があるまでは動くなと言い含めた。
「異変があったら即、社長の命を頂戴するからね。それだけじゃない、貴方たちのことも何処まででも追って殺すよ。了解?」
既に大詰めも近く、無表情になった京哉の脅しが余程怖かったようで、もはや顔を茶色くして震え上がった秘書とドライバーがいつまで我慢できるかは分からないが、二人で三人の人質は手に余る。置いてゆくしかない。
それに京哉とレイフは昨日ここから逃走したばかりで、彼らが騒がずとも中に入れば同じことなのだ。
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