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オッドは勢いよく立ち上がり、鬼気迫る様子でノーデンスの左手を掴んだ。
「俺が言いたいのはズバリ、指輪です。どうして指輪をしてないんですか、既婚者だと分かれば勘違いされずに済むんですよ!」
彼の悲痛な叫びにより、ようやく訴えたいことが伝わってきた。赤の他人に下心を持たれないようにしろ、ということだろう。
「結婚指輪持ってるでしょう!?」
一応この国では、婚姻の証として夫婦が選んだ指輪を持つことになっている。しかし身につける義務はない。それこそ皆首にぶらさげたり小袋に入れたり、各々好きなように所持している。
「ノーデンス様は駄目です。その容姿ですから、何も知らない方は男女問わず近寄ってきます。だから指輪は見えるところに。ちゃんと指に嵌めてください」
「断る」
オッドの頼みを一蹴して、煤臭い工場を出た。ところが彼は後を追いかけて、尚もノーデンスの行く手を阻む。何故そこまで必死なのか分からないが、諦めて歩みを止めた。
「夫か。そういやそんなのいたな。でも今は関係ない、出て行ったんだから! 俺のやり方が気に食わないって言うなら、田舎に引き篭って別々で暮らした方がずっと幸せだろう。お互いに……」
ポケットから小箱を取り出し、中にある銀の指輪を手に取った。
「これが愛の証? 同じものなんて何百個でも作れるのに? こんなもん犬の首輪と一緒だろ」
組み立てられた足場は下から風が拭きあげてくる。見下ろせば奈落の底のような穴に囲まれていた。指輪を地下へ落とせば、そうそう見つけ出すことはできないだろう。
本気でやるつもりはなかったが、手すりに凭れて指輪を弄るとオッドが急に嗚咽しだした。
「俺は……ただ心配なんです。お二人に何があったのか分かりませんが、笑顔でいてほしいんです。ここ一年、ノーデンス様はいつも無理をされてるように見えるから」
初めこそ怒気も含んでいたが、今の彼からは悲哀の情しか感じられない。さすがに笑顔も消え失せ、ノーデンスは口を噤んだ。
「指輪も、貴方の身を守る為に必要なものです。だからどうか捨てないでください」
オッドは顔を両手で覆い、ぐすぐすと泣き始めてしまった。二つ歳下とはいえ、同世代の中では聡明でしっかり者だった。そんな彼が涕泣する姿を目にし、さすがに動揺する。
彼は彼で、色々な不安と闘っていたようだ(しかも諸々の原因が俺)。
それに気付けなかった自分はまだまだ……。
「ノーデンス様になにかあれば、俺達の生活も終わりですよ。王に必要とされているのは特別な力で武器を強化できる貴方がいるから。貴方のおかげで成り立ってるんです」
「馬鹿言え。それに一族は俺が守る。ここで潰えるようなことは絶対にさせない、し」
むしろ今まさに、王に謙る毎日を変える計画のため奔走している。
その計画のことは言えなかったが、オッドの近くへ寄って頭を撫でた。
「大丈夫。俺だって、お前達がいるから生きてられるんだ。お前達の武器造りの腕は世界一だと思ってる。困らせてすまなかった」
無理やり顔を上げさせて、彼に微笑んだ。オッドはしばらくうんともすんとも言わなかったが、やがて目元を袖で乱暴に拭った。
「……すみません、取り乱して。自分達の生活がどうこうと言うより、ノーデンス様が元気がないように見えて、それが一番気になってました」
「元気だよ」
翻り、風で揺れる前髪をかき上げる。辺りはすっかり黒一色となり、自分のスーツが異様なまでに存在感を放っていた。
「では指輪をつけてくれますね」
「それとこれとは話が違う」
「いいえ、同じ話です。はい、つけて」
「あ! こら、離せ!」
まさかの武力行使に気圧されてしまう。オッドは指輪を奪い取ると、ノーデンスが逃げられないよう背中に手を回した。腕を押さえ込み、白く長い指に素早く指輪を嵌める。
「……!!」
「ほ、ほら。やっぱりとてもお似合いですよ。お美しいですー」
とってつけたような言葉の上、オッドはまだ腕を離そうとしない。相当信用されてないようだ。
しかも今の状態、ほとんど抱き着かれてるみたい……。
背中に彼の体温を感じる。心臓がばくばく鳴っているのは、彼ではなく自分の方らしい。
「オッド……もう分かった。これから毎日つけるって約束するから離せ」
「本当に?」
「あぁ」
即答するとようやく、彼は安堵した様子で離れた。
「ありがとうございます」
少々……いや多分に不満はあるが、彼の顔を見たらまぁいいか、と思ってしまった。
「やっぱりノーデンス様は襲われる危険があるので、俺が近くにいない時は気をつけてくださいね」
「はいはい……」
心配性なのか何なのか。誰よりも強いから心配はいらないけど、今日ぐらいは彼の言うことを聞こうか。
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