空欄を埋める

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空欄を埋める

 人の運命を決める職に就いている。  天界東洋エリア日本国の管理部天人(あまびと)・人間運命課で働いている俺の仕事を簡潔に説明すると、こうなる。人ひとりの一生が記載されている書類、運命書。その項目のひとつ──運命の相手欄に記入するのが俺の日々の業務だ。  最初は各エリアの尊い神様たちが直接記入していたらしいのだが、生命の数が増えすぎて手が追いつかなくなり、一応神様ではあるもののかなり下っ端の有象無象である我々天人にも仕事が降りてきたのだ。西洋では下っ端天使たちが同じような仕事を請け負っているらしい。  生死という大きな判断は位の高い神様たちが担っているが、細々とした項目は下位の俺たちに分担されている。まぁ、自分で考えることはなく、神力が宿った作業用のくじを引いて出た内容を書き込むという簡単な作業なのだが。  運命書は、内容を書いた瞬間から効力が発生する。その性質ゆえ、まずは生まれる前に決めておかねばならない事柄を担う部署に書類を回す必要があった。そのため、全ての項目は生前区分と生後区分に分けられている。  運命の相手は生後区分にあたり、その中でも更に後のほうに回しやすい項目という扱いになっている。そのせいで、あらゆる部署を巡り巡った後、最後に書類が回ってくる率が高かった。  運命のふたりが出逢うギリギリまでこちらに書類が届かないこともあれば、相手がまだ生まれていないため白紙のくじが出てしまうこともある。一向に片付かない書類が増えやすく、かと思えば突然特急作業が舞い込んできたりもする。そういう、しわ寄せがきやすい厄介な部署に俺は配属されていた。  今日も今日とて、白紙くじが出て保留になった書類を、机の引き出し内にある【未決】と書かれたファイルに綴じている。結構、分厚い。出社したら真っ先に、これら保留書類を捲りながらくじを引くのが俺の日課だった。  人間だけでも多いのに、そこに加えて天人の分もあるのだから、偉い神様たちも分担作業に踏み切るというものだ。  名だたる偉大な神様たちの壮大な命運とは異なり、俺たち下っ端天人の書類はほとんど人と同じ項目で作られている。しかし、寿命が人とは比べものにならないほど長いため、比例して運命の相手欄の保留件数も多い。下手したら、五百年生きていて、いまだ相手が生まれていない天人なども存在するくらいだ。  俺も三百年ほど生きているが、未だに運命に出逢えてはいなかった。もしかしたら、同僚の誰かの未決ファイルに俺の書類が綴じられているのかもしれない。  そんなことを考えながら、黙々と作業をこなしていく。手元に回ってきた本日分の書類は残り一枚。これが終われば、古馴染みとの楽しい酒盛りが待っている。  俺は、くじを片手に引き寄せながら、最後の書類に目を通した。 「なぁ。俺の運命の相手、もう決まってると思うか?」  天界にある俺の家で酒盛りをしていたら、相手が突然そんなことを言い出した。チトセという名の、俺の古くからの同僚だ。 「なんだよ急に」 「メグルは相手とか気にならねぇの?」  日本酒を御猪口に注ぎながらこちらをじっと見てくるチトセに、俺は軽く眉を下げる。 「うーん、別に気になんないかなぁ」 「マジで?」 「ああ。俺の書類、ウチの誰が担当したのかなー、もしかしてまだかなーって考えることはあるけど」 「あ、それ俺だわ」 「え?」 「だから、俺がお前の書類持ってんだって。ちょうど今日、手元にきた」  世間話のつもりで疑問を伝えたのだが、まさか目の前の男が当事者だとは思わなかった。しかも、今日。タイミングが良すぎるだろう。 「ほんとに?」 「マジ」 「……誰だった?」  記された運命の相手を聞くことは、ウチの課の天人同士であれば問題とはされていない。特権というやつだ。別に、他の天人だって申請さえすれば教えてもらえる項目ではあるのだ。ただ、その手続きがとんでもなく面倒なので、実行に移す者はほとんどいないというだけで。いや、そんなことはどうでもいい。  不安と少しの期待を持って回答を待つ俺に、やっぱ気になるんじゃねーか、とチトセが不服そうに口を尖らせる。 「目の前に答えが転がってるなら、話は変わってくるだろ?」  で? と先を促せば、彼は酒を煽ってからつまらなさそうに口を開いた。 「まだくじ引いてねぇから、知らね」 「はぁ? じゃあなんで、わざわざ俺に伝えたんだ?」 「お前の反応が見たかったからだよ」  反応、とオウム返しをすれば、チトセは少しだけ表情を改める。真っ直ぐこちらを射抜いてくる金色の瞳に、心臓が大きく跳ねた。 「なぁ、メグル。相手が誰ならよかったんだ?」  急に雰囲気が変わった馴染みの友に、咄嗟に返す言葉が見つからない。混乱した俺が落とした沈黙に対し、先に痺れを切らしたのはチトセだった。 「まぁ、誰でもいいんだけどな。どうせ、俺の名前を書くつもりだし」 「……え?」 「そんで明日、俺の運命書担当を探し出して、まだ書いてなきゃお前の名前を書かせる。もし記入済みだったら、保管庫行って俺が書き直す」 「いや、待て待て、ちょっと待った」  あまりにも職権乱用が過ぎるし、まずもってどちらも叶うはずがない。  保管庫に収納されている決定済み書類の書き換えには、相当上位の神様の許可がいる。明らかな誤記でもない限り、却下されるのが常だ。未記入の場合でも難しい。くじを使わずに虚偽を記入した者には罰が与えられることになっており、その大抵が地獄行きだった。どれだけ脅したところで担当者が応じてくれるわけがない。  なにより。 「チトセ、俺の運命の相手になりたいのか!?」 「そうだっつってる」 「い、今までそんな素振り全然見せなかったのに」 「当然だろ。今日、お前の書類が手元にきて気づいたんだから」 「なんだそれ!」  展開が早すぎてついていけない。ついさっき気づいて、それで地獄行きも辞さない決意をするってどういう感情の動き方なのか、俺にはさっぱり理解できなかった。 「仕方ねぇだろ! お前の本来の運命の相手なんて、知りたくねぇって思ったんだよ!」  思わず声を荒らげてしまった俺につられたのか、チトセも大声で言葉を返してくる。その盛大な告白に、俺は口を閉じるのも忘れて驚いていた。 「俺の運命の相手も、ほんとはどうでもいい。お前じゃないなら意味ねぇし」  更に畳み掛けてくる目の前の男に告げる言葉が見つからない。それほど強烈な衝撃が、俺の脳と心臓に直撃していた。そういえば、チトセは雷を操れるんだったっけ、と絶対にいま必要ではない情報が脳裏を過ぎっていく。 「逃がすつもりねぇからな」  言葉通りの強い眼差しで心を刺されてしまった俺は、ただ瞬きをすることしかできなかった。  本当に、無茶苦茶だ。  こっちは二百年以上も片思いをしてきたというのに。こんなにあっさりと、長年の切なさやもどかしさを覆されるなんて。  この男の強引で率直なところに惹かれたのだから、もうどうしようもないのだけれど。  はぁ、と大きく息を吐く。騒がしいままの胸の上に手を当てながら、俺は返答を絞り出した。 「書いてもいいよ。お前の名前」 「……それは、罰を受けて地獄に落ちろってことか?」  不正に対する罰のこともちゃんと覚えていたんだ、と少しだけほっとする。全く安心できる内容ではないのだが、それは一旦置いておくことにして。 「違う。俺も、お前がいいってことだよ。……チトセ以外の名前書かれんの、嫌だから」  両思いであることを噛み締めながら想いを告げた途端、強い力で引き寄せられた。勢いそのまま、唇を重ねられる。  その夜、熱に溺れた俺の心臓は、破裂しそうなほど大きな音を立て続けていた。  翌朝、自分の席に座った俺は、鍵がかかった机の引き出しから保留書類を取り出す。昨日、最後に残っていた一枚。  それは、チトセの運命書だった。  どうしてもくじを引くことができず、空白のままにしていたチトセの運命の相手欄に、迷うことなく俺の名前を書き込む。  くじを引かぬまま書類に虚偽を記入すれば、すぐにでも天罰が下ることは重々承知している。まぁ、正確に言うと、まずは上司である課長にことの次第が伝わる仕組みになっており、そこから更に上の偉い神様たちへと報告が入るという流れなのだが。なので、課長が出社したら、俺とチトセは憤怒の形相になった彼によって即座に課長室に呼び出されることだろう。  けれど、このままくじを引かずに空欄のままで放っておいても、同じことなのだ。この運命課に書類が届いてから三日以内にくじが引かれなければ、どのみちそれ相応の罰が待っている。  だからこそ、チトセは俺の運命書に自分の名前を書くと宣言したし、俺もチトセの運命書に俺の名前を書いた。  まぁ、これで地獄に行くのも一緒だ。  驚くだろうなぁ、と口元をゆるめながら、俺の運命の相手欄に自分の名を書き記しているのだろうチトセの姿を眺めていた。 ◆ 「お前たちは馬鹿なのか? まずは試しに一度くじを引いてから判断しておけば、こんな阿呆みたいな叱責を受けずに済んだんだ! この大馬鹿早とちり運命野郎ども! いくら運命同士だからって気が合うにも程がある! 地獄に落とされずに済んで良かったな!」 「「ごもっともです、すみません……」」
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