花畑のソワレ

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花畑のソワレ

「だから,それは鼻頭の幽霊だと思うんだ」  綺麗な花々に囲まれながら,彼は言う。青々としたり,碧々としたり,とにかく寒色系の花弁に包まれて,私は暖色系で彩られた鞄を持ち直す。 「もっとも,もっと正確に言えば鼻頭の守護霊,だけどね」  彼がもう夜に青黒く染められた花に,立てた人差し指を近づけると先端に蝶が止まった。 「綺麗な蝶」  と私が思わず漏らすと, 「いや,これは蛾だと思うけれど」  と彼は平然とした顔で言う。いきなり,彼の人差し指に止まるその虫が,世の悪の根源であるかのような嫌悪感を覚える。この花畑に来たのは,もちろん意中の彼に会いたい,という儚くも淡い乙女心に従ったのもあったが,実際に彼に相談があったからで,用はしっかりとある。彼は用がないとなかなか取り合ってくれないのだ。鼻に黒いもやがかかっている,と気がついたのは,朝に鏡を見た時だ。 「鼻頭になんかいるよ」 「え,やっぱり?」  と,悍ましくなったので,彼に相談しにきた。彼は讃岐(さぬき) (むらじ)という名だが,本人が嫌っているのと,呼びにくいのも相まって,周りからは(れん)と呼ばれている。特に親しみは込められていない。  なぜなら,彼は生物学を専攻してはいるが,心霊現象に興味があるらしく,独自でよく研究している。そのせいで,「変態マッドサイエンティスト」という烙印がついてしまい,不気味がられているからだ。 「が貼ら」 「鼻頭の幽霊で思い出したんだけど,幽霊は普通取り憑くとしたら人間のどこかの部位に宿るんだけどね」  私の世界一面白い駄洒落は無視されたが,彼の話が始まったので聞くことにする。 「だから鼻頭,なんて局所的な物は珍しいんだけれど」  思わず,局所的な部位でお馴染みの,自分の鼻頭を触る。朝に,鏡を見て,触れた時と同じく,特に普段と感触は変わっていなかった。 「幽霊は普通,あんまり人に危害を与えないんだけど,唯一頭のてっぺんに居座る幽霊だけは乱暴なんだ。幽霊,よりも怪物だね。人の悪意を操って,普段は我慢できるものも,暴走させる」 「さながらブタゴリラみたいに?」 「剛田武みたいに,ね」  まあとにかく,と連くんは続ける。 「きいちゃんも気をつけてね」  きいちゃん,とは私のあだ名だ。私の名前は(),と一文字の名で,決して母や父が戸籍登録に名前を間違えたわけではない。双子の妹と二人で,二字熟語になるような名前なのだ。  もしも苗字が鈴木だった暁には,あまりの呼びづらさに全ての鈴木と,両親を恨んでいたことだろう。既に父は亡くなってしまったが。
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