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平和の祭典
「じいちゃん。始まるよ。早く」
「お。あ。もうこんな時間。隆、ちょっと音、大きくしてくれる?」
僕は最近少し耳の遠いじいちゃんの為、リモコンでテレビの音量を上げた。
21世紀から約100年ぶりだという東京オリンピック。
僕は小学生だから夏休み。今日の分の宿題を終えると、僕は朝からテレビの前でその放送を観ているのだ。
今日の放送は、体操女子。場所は代々木体育館。
じいちゃんは朝ごはんの後、パソコンデスクの前で70代チャットを楽しんでいたけれど「よっこら」と立ち上がると、座卓の僕の隣の座椅子に腰を下ろした。
「じいちゃん、好きなんだよね、この競技」
「ああ。日本のお家芸だからね」
「これ、女子だけなんだね。男子にはない」
「うん。なんでだろうね。昔からの名残らしいけど」
今日はその競技の決勝戦。
決勝に臨む8名の女子選手たちが会場に並んだ。
優勝候補の、日本、イタリア、アメリカ、フランスに加え、中国、ブラジル、スペイン、そして、紛争の末生まれた新しい国、スクモア。
レオタードを着た選手たちのぴんと伸びた背筋。自信に満ちた真剣な表情。
赤いレオタードの日本代表、小柄な須原選手は一番の優勝候補。今日の最後の演技者だった。丸顔の頬が紅潮していてかわいらしい。
「じいちゃん。始まった」
「うん。初めは中国の選手だ」
髪を後ろに結んだピンクのレオタードの中国の選手は、手に滑り止めの粉をつけると前後に高さを違えて並んだ二本の棒を見上げたのだった。彼女は踏切板を踏んで手前の一本に飛びつくと思いきや。
「あれ、じいちゃん。どうしたんだろ。戻ってった」
「うん。あ。布団」
中国の選手は、一組の布団を持ってくると二本の棒に一枚ずつかけたのだ。
手前には羽毛布団、向こうには敷布。
ばしんばしん
そして、彼女はそれを、布団たたきで叩き始めた。そのリズミカルな音。
会場から沸き上がる爆笑。そして、歓声。
「隆。こりゃ高得点だ。見事な勘違いだ」
「うん。すごいね、この選手。すごい勘違い」
さらに彼女はかけた布団を床に下ろすと、二本の棒の下にキレイに敷き直した。そして、踏み台を利用し枕を持ってそこに飛び込むと、そのまま寝てしまったのだった。
「寝ちゃった。何しに来たんだ、この選手」
「いや、隆。これは、当たればでかい高難度の技だよ」
じいちゃんが言うや否や、会場に響く大爆笑。
選手は立ち上がり、満面の笑みで胸をそらしポーズを決めると、大きく会場に手を振った。
「わあ。しょっぱなからこれ。ダークホースだ。中国、優勝しちゃうんじゃないか?須原選手、大丈夫かなあ」
「じいちゃん、得点出るよ」
テレビ画面はコーチと中国の女子選手が笑いあう姿を映していたが、一瞬後、それが大歓声に変わった。
「342点!」
「じいちゃん。世界記録更新だって」
これが「女子勘違い平行棒」だった。「女子勘違い平行棒」は選手のアイデアと演技力、そしてそこから得られる爆笑度が採点基準とされるのだ。
二本の棒を用いてものボケをして、いかに笑いの取れる演技をするか、それがルールなのだった。
中国の次に演技をしたのはアメリカだった。アメリカの選手は、高所恐怖症の新人レンジャー部隊員を模して棒の上を伝って歩いたが、大きなジェスチャーの割に今一つ笑いが取れなかった。
その次がイタリアだった。イタリアの選手は、電線を歩く猿を演じたけれど、感電して真っ逆さまに落ちる演技が迫真すぎて会場をしんとさせてしまった。
「じいちゃん。次の選手、美人だね。スクモアの選手だ」
金髪で目の大きな黒レオタードのスクモアの選手の登場に、会場が一瞬静かになったのがわかった。彼女は妖しげな視線で会場を見回すと、手に滑り止めの粉の代わりにねばねばのローションをつけ、踏切板から棒に飛びついた。
「じいちゃん、この選手、何してるの?これ、なんのものボケ?」
「いや。これは」
スクモアの選手は、まるで蛇のように棒に絡みつくと、その全身を前後させた。そしてローションでべとべとになった棒の部分を、長い舌で嘗め始めたのだった。
「じいちゃん。レッドカード出たよ。失格だって」
「やっぱ」
なんでだろ?
「なんで?」
「なんでも。そのうちわかる。あ、隆さ「勘違い平行棒」は元は何の競技だったか知ってる?」
「知らない。なあに」
「「段違い平行棒」って言う競技があったんだよ、昔。演技の難易度を競う」
「難易度を競う?」
「うん。それで随分無理して体を壊した選手もいた」
「冗談でしょ。難易度を競うなんてナンセンス」
「冗談じゃないんだよ。100年前はそれがスポーツの常識だったらしい」
「ひゃあ」
今の時代に生まれてよかった。スポーツは楽しむものだ、やる方も観る方も。
そして、オリンピックは平和の祭典だ。体を壊しちゃ身も蓋もない。
さて、7人の演技が終わって、誰も中国の選手を越える得点を出したものはおらず、いよいよ最後は日本代表、須原選手。
「頑張れ!須原!」
「ね。じいちゃん、ほら、須原選手、手につり革持ってるよ」
「期待大」
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