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古びたガラポンの前で
カラオケの映像で見たのと同じくらいオレンジ色に燃えている空だった。時刻は17時39分。LINEの通知が800を超えていてそれを消してから、お店の端に止めていた自転車の鍵を開けた。
あの後終了5分前の連絡電話で僕は歌うのをやめた。たぶん僕の理解は合っていたと思うし、その証拠に彩女もそれから上機嫌でいた。今は鼻歌交じりにガラポンの前でしゃがんでいる。
昔、僕たちがドはまりしていたアニメのキーホルダーだ。小学生の移動距離範囲内のどこを探しても見つからずに半べそでその日を終えた記憶がある。このカラオケ屋は別に小学生の時にこれない距離ではないと今では思う。
それでも当時はどこまででも行けるような気がして、どこまででも行って、実はどこにも行けていなかったのだ。こんなしょうもないガラポン一つに一日を費やして、手に入らないだけでべそかいて。本当にしょうもなくて、本当に楽しい時間だった。
「ねぇ、これやろうよ」
まぶしそうに目を細めて僕の顔を見てくる。自転車を停めて近寄ると、僕の影の中に彩女がすっぽり入りこむ。
「何円?」
「えーっと、100円」
「やっす」
「ねー、昔はこれがすごい高く感じたのに」
百円を落とした時の絶望感といったらとんでもなかった。30円のお菓子を買うにも真剣で、何十分も駄菓子屋にいた記憶がある。金銭的にも行動的にも子供の頃よりはうんと自由になったのに、今でもなぜか不自由さを感じてならない。
彩女は肩にかけていたカバンから水色の長財布を取り出して固まった。
「100円貸して」
「ちゃんと返せよ」
「ちゃんと返すよ、そのうち」
「は? なら貸さねー」
「ちゃんとは返すって、ほら貸して」
手元の財布をひったくられそうになったのを阻止して、100円玉を手渡す。上げるつもりで貸した100円玉がガラポンに吸い込まれていく。
「これ私好きじゃない」
「人から金借りといて文句言うな」
6種類のうちの1種類だけ彩女が嫌いなやつがあることを思い出した。それを引きあてるところが彩女っぽくて笑えた。
「これあげる」
「これで100円返したことにはならないからな」
「じゃあ返して」
押し付けられたものをひったくられる。このズル賢いところも昔のまんまだ。
「明日、学祭行く?」
「行かない」
「なんで?」
「なんでって」
花火があるからとは言わない。毎年花火を見ると小学生の時を思い出して大変なんだ、色々と。
「じゃあさ、明日遊びに行こうよ、久しぶりに、2人でさ。あ、そのとき100円返すよ」
「100円を人質にされたらしょうがない」
「あと来年こそは一緒に花火、観ようね」
「いや」
「一緒に観てくれたら藤悟のこと、許してあげるのになぁ」
どうやら許してもらいたいなら、彩女と花火を観なければならないらしい。
「……わかったよ」
「約束ね」
古びたガラポンの前で、昔のような屈託のない笑顔の彩女を、綺麗だなと思った。
了
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