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ワンコに胸きゅん。
十四郎がテーブル席に座ったのを確認し、暫くしてお冷を運んだ。
「お冷をどうぞ。今日はいかが致しましょうか?いつものレモネードにしますか?」
「そうッスね〜...今日は気分転換にキャラメルラテでお願いします♪」
「珍しいね、いつもレモネードなのに。」
来る度にレモネードを注文している十四郎だが、今日は珍しくキャラメルラテをご注文のよう。
加えてサンドイッチとサラダのセットも注文を受け、紙のオーダー表に書き込みを入れた。
「今日はちょっと午前の仕事が大変だったんで...糖分摂取したくなっちゃって。」
「そうだったんだ...十四郎くんって近くで働いてるって言ってたよね?大変なお仕事なの…?あっ、言いたくないなら別に言わなくてもいいからねっ…。」
この店は小規模であるため、常連客を大切にする方針がある。数多くの集客より、この店を長く利用してもらえるよう一定の顧客を得ることを日々の目標としていることもあってか、お客の個人情報の取り扱いにおいては慎重なのだ。
相手側から個人情報を話された場合を除き、それをこちらから聞き出すようなことは宜しくないと考える店長の考えを遵守し、これまで十四郎に深い関わりを求めることは無かった。
「...雪乃さんが俺のこと聞いてくるのって珍しいッスね...。」
十四郎は目を丸くさせた。そして何故か、妙にそわそわと落ち着かない様子が伺える。それに加え、瞳も微かに輝いているように見えた。
それを目にした雪乃は、頭に疑問符を浮かべる。
(十四郎くんどーしたんだろ、なんだか嬉しそう?)
「俺、美容師やってんるんスよ。今日は午前中に専門学生の見学があって、俺が担当として受け持ったんス。学生に向けて説明したり、実技面での実演をやったりして...俺そういうの初めてだったんで、流石に疲れちゃって…。」
「なるほど...そっか、それは大変だったね。確かに...言われたらそんな感じするかも。」
「そんな感じって?」
「美容師さんって感じがする。髪の毛もいつも素敵だし、ファッションもかっこいいし。」
そう言葉を伝えた時だった。
十四郎は顔を伏せ、体をふるふると震わせ始めたのだ。雪乃は、目の前の彼の行動に少々驚いてしまった。何か不快になるような事を言ってしまっただろうかと、一瞬不安に駆られた。しかし次の瞬間、その考えは消え去った。
「ほんとーッスか!?俺...かっこいいですかっ!?」
そう言って十四郎は勢いよく顔を上げると、胸元に握りこぶしを作った。瞳をキラキラと輝かせ、雪乃をじーっと熟視する。このとき雪乃には、あるはずも無いフサフサとした犬のしっぽが十四郎の臀部から生えているという幻影が見えてしまう。フリフリと縦横に振られているそのしっぽはまるで本物のよう。そして、その可愛らしさについ胸きゅんしてしまった。
「...っ!かわっ......ぃ...。あっ...うん、かっこいい、かっこいいと思うよ!」
咄嗟に口元を手で覆った。
(何この生き物っ...!いつも可愛いけど、まさかこんなにワンコだったなんて...反則すぎるっ!)
「はぁ〜〜〜雪乃さんにそう言ってもらえるなんて...俺、もう嬉しすぎて......あっ...。」
彼の、言いかけた言葉が止まった。と同時に、十四郎は茹でダコのように顔を真っ赤に染めた。
その姿が、ますます雪乃の胸きゅんを沸かせていることに彼は気づきもしていない。
そんな会話をしていると、チリリンっとベルの音が鳴った。ふと我に返った雪乃は、ドアに視線を向ける。そこに立っていたのは、もう1人のカフェ店員、広瀬裕也だった。
「二礼さん、お疲れ様。......?いらっしゃっいませ。二礼さんの...お知り合いの方...ですか?ゆっくりされて下さいね。」
「あっ......広瀬さんお疲れ様です!えっと...十四郎くん...この後ご注文の品を準備してくるから、今しばらくお待ち下さいねっ...!」
雪乃は、広瀬と十四郎を数回交互に見た後、慌てた様子で厨房へと走り去っていった。店内に残された広瀬と十四郎の2人は視線が合うも、互いになんとも言えない気まづさから視線を逸らした。
「で...では、失礼します?ね...。」
広瀬は一言そういって、バックヤードへ向かった。
店の制服を着て身支度を整えたあと、奏さんの元へ挨拶に向かう広瀬。そして、事務処理との格闘が終わったのであろう奏さんが背伸びをしている姿を目にした時だった。
「んん〜〜......疲れた。私が居ること忘れて2人でイチャついてんじゃないわよ若者め〜。あっ...広瀬くんおはよう。ちょうどいま事務作業終わったから、この後わたしも入るわ、よろしくね。」
「奏さんおはようございます、お疲れ様です......って、今なんて言いました...?」
広瀬の顔が一瞬こわばった。
「え...なにが?あ、もしかして今の独り言聞こえてた?まぁあれよ...私の存在忘れて楽しんでたってことよ、全くねぇ〜。」
奏さんの口から発せられるその言葉の意味を、広瀬はなんとなくだが察した、理解した。瞬間、彼の体の中に黒くドロドロとしたものが侵入し渦を巻いた。
「......嘘だろ?二礼さんがあんなチャラ男と...?有り得ねぇ...絶対に、なんかの間違いだ...。」
この時、小声で独り言を呟く広瀬の声は奏さんには届かなかった。
──それぞれの感情が湧き上がり、未来へと時は進む。
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