ⅩⅩⅩⅠ章

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ⅩⅩⅩⅠ章

 物を買うと、必ず不良品だった時の連絡先や返品先が書いてある。どんなに気を付けても、精巧な技術があっても、間違えることはあるのだ。外側と中身が違っていても、それはしょうがない。神様だって間違えることもある。僕は外側と中身が違って生まれてきてしまった。僕は不良品。でも、何処にも行けないし、何処にも戻れない。  高橋瑞貴が自身の性別に違和感を覚えたのは、中学生になった時だ。小学生までは、男子、女子と区別があってもさしてそれが生活に影響があるわけではなかった。中学生に上がる時に制服の採寸をした。自由に服を着れる小学生時代とは違い、男子はズボン、女子はスカートで統一される。 “何か違う” 違和感を覚えたのがこの頃からであった。しかし、違和感の正体は分からなかった。“何か違う”の“何か”を探し当てる程、瑞貴はまだ大人ではなかった。  違和感を持ち続けたまま過ごし、何かきっかけがあったわけではないが、瑞貴はある疑問を抱いた。どうして男はスカートを履いてはいけないのか。女子はスカートも履けるし、ズボンを履ける。女子がズボンを履いても何も言われないが、逆だと気持ち悪がられる。何でだろう。誰がそう、決めたのだろう。その疑問は瑞貴の中で永遠に繰り返される。答えは出ない。世界がそう決めてしまっているから、従うしかない。でも本当は僕は……。瑞貴は家に誰も居ない日に姉のスカートを借りて履いた。 “ぴったり” 違和感が消える。その違和感は、サイズが合っていない靴を履いているような気分だった。サイズが大きくてぶかぶかの靴。歩けるけれど、とても歩きづらい。脱げないように気を付けなければいけない。初め瑞貴は自分はスカートを履きたい女装癖があるのだと考えた。次第に、その考えが違うものだと思ったのは自分がトイレに行く時だ。トイレは当然、男子、女子分かれている。“何か違う”自分は男子トイレに入って良いのだろうか。男子だから入るのは当たり前だ。それでも瑞貴は白い羊の群れに一匹だけ紛れた黒い羊のような気分だった。何でこんなに変な気分になるんだろう。更に仲の良かった友達とクラスの好きな女子の話になった時、瑞貴は自分が他人と違うと気が付いた。男子は気になる女子の話ばかりして、誰も“男子”の話をしなかった。瑞貴は好きとまでは行かないが、気になっている男子が居た。じゃあ自分は同性愛者? 瑞貴はだんだんと自分の存在が分からなくなる。  鏡を見ると、自分が映る。肌が白くて、髪は肩につきそう。男にも女にも見える。ここまで良い。でも喉には女子にはない咽仏。違う。声も女子と違って低い。違う……。そうか、僕、女装がしたいわけじゃない。同性愛者でもない。女の子がスカートを履いたり、男子を好きになるのは当たり前。僕は中身が女なんだ。何かの間違いで外側は男だけど、内側は女。“何か違う”の“何か”は性別だったのだ。瑞貴はその後、インターネットで検索をした。自分は何者なのだろう。「身体 心 性別 違う」検索エンジンに入れた。出て来たのは、”性同一性障害”と言う単語。ああ、これだ。そうか、僕。 「障害なんだ……」  とても悲しかったのを覚えている。自分の中身が女だと気が付いた時よりも、ずっとずっと……。それから瑞貴は自身を抑え込んだ。サイズの合わない大きな靴で上手く歩けるように努力をした。”普通”を装っていれば、誰にも障害だってバレない。たまたま外側と中身が違っただけなのに、どうしてこんなに苦しまないといけないのだろう。そして瑞貴は次第に、中身が外側と合致していないのではなく、外側に中身、心が合っていないのではと考えた。そうなると、僕は男になるようにしないといけない。どうしたら良いんだろう。でも、誰にも相談が出来なかった。きっと外側と内側が違う人間は気味悪がられる。インターネットで調べようと思っても怖かった。これ以上、瑞貴は本当の自分を知ることが恐怖であった。  高校入学を機に、瑞貴はある決心をした。これからどう言う人生を送るかは分からないが、自分を隠す必要がある。その為に演劇部に入部することにした。超デジタル学園の演劇部はほとんどが女子だった。照明や音響担当は男子も居たが、役者では瑞貴しか居なかった。他の部員がどう思うか分からなかったが、瑞貴にとっては女子が多い方が良かった。それから瑞貴は誰にも悟られないようにした。僕は演じなければいけない。普通の男子だと言うことを。  一年目は上手く行った。古典劇で王子の格好をした。みんなには評判が良かったけど、本当はドレスが着たかった。一年の後半からVウォーズが始まり、学校が混沌とし始めた。演劇部は体育館のステージの上で活動している為、まずは体育館に入る必要があり、そこにはバレー部、バスケ部、バドミントン部が活動していて攻撃を防ぐことが出来た。それからバスケ部の渡辺の声掛けにより、体育館で活動している部活は争わずに同盟を組むこととなった。演劇部はステージの上では緞帳を閉めてしまうので、あまり他の部活と接点がなかったものの有難かった。途中で女子部員が辞めたこともあって、女子の役者が必要となった。これはチャンスだ。そう思った瑞貴は思い切って自分が女装すると提案した。明確な理由や必要性があれば、女性の服が着れる。今しかない。瑞貴の中性的な外見も相まって希望通り、ドレスを着ることが出来た。役柄とはいえ、サイズの合う靴を履いた気分になった。あまり顔に出さないようにしていたが、瑞貴の嬉しさが漏れていたのか、ドレスを作ってくれた長谷川にドレスをあげると言われた時は本当に嬉しかった。あの劇の練習をしている間は、瑞貴は本当の自分を曝け出せた。  それから、瑞貴に大きな出会いがあった。瑞貴は時々練習を最後まで残って、部室から持ってきた女子の衣装を着ることがあった。さすがに女子の服を買いに行けないし、持っているのも親に見付かった時に危険である。その日も一人で洋服を着ていた。もう時間も遅くなっていたが、まだ大丈夫。そんな余裕からステージに来る人間の気配に気が付かなかった。 「まだ誰か残っているんですか」  声がした時、瑞貴は心臓が止まったかと思うくらい焦り、人生で一番汗をかいたと思う。慌てて振り向くと、バレー部の安条が立っていた。 「あ、あの、これは、次の衣装合わせで……」  瑞貴は弁明するも、焦りが先走って上手い言葉が出てこなかった。次の演劇で着ると言えば何とか切り抜けられるだろう。しかし、安条は何も言わずに食い入るように瑞貴を見る。そして口を開いた。 「きれい」 「え?」  瑞貴も驚きが声に出てしまう。 「高橋君、きれい」 「あ、ありがとう……」  安条は瑞貴に近づく。 「なんか、制服より似合ってるね」 「そうかな……」  瑞貴は安条がまじまじと見るので、緊張で目を逸らした。 「……本当は、そういう服着たいの」  安条の言葉が瑞貴を更に動揺させた。バレた? 安条とはほとんど話したことはない。安条は渡辺や柚木のようにいつも笑みを浮かべているわけではなく、常に不機嫌そうな顔をしていて笑ったところは見たことがなかった。背も百七十センチある瑞貴と同じくらいで、髪も短くボーイッシュで女子から人気がある。同じ体育館で活動をしていてもほとんど会話したことがなかった。どうして、何処でバレた? 今?  瑞貴が押し黙っていると、安条は困ったような表情に変わった。 「私は分かるよ。高橋君の気持ち」 「……どう言う意味」 「本当の自分を抑え込むって苦しいよね。まるで溺れているみたい」  瑞貴は安条の言葉の意味が分からなかった。しかし。 「私、レズなんだ。女しか好きになれない」  安条は何事もないように平然と言い放つ。瑞貴は何も答えられなかった。安条さんも僕も同じ……? 瑞貴は秘密を打ち明けた安条に申し訳ないと思い、覚悟を決めた。 「僕は、身体は男だけど、心は女なんだ。性同一障害……」 「トランスジェンダーってことだよね。私、その性同一性障害って呼び方嫌い」  安条は顔を歪める。 「障害って悪いみたいじゃん。何も悪くないのにさ」  安条の言葉を聞いた瞬間、瑞貴は初めて自分の置かれた状況を知った時の悲しみを思い出した。“障害”まるで悪いかのような言い方に勝手に傷ついていたが、それが普通などだと思っていた。でも僕の他にもそう思っている人が、居るんだ……。それだけで瑞貴は嬉しくなった。 「そう言ってくれてありがとう。僕、自分が悪いって思ってたけど、安条さんの言葉でちょっと救われた気がする」 「そう言われると照れるな」  安条は恥ずかしそうにはにかんだ。初めて安条の笑みを見た。 「……あのさ」  安条は瑞貴を見やる。 「たまにこうやって、女の子の格好してるの? 私も一緒に、」 「良いよ」  瑞貴は安条の言いたいことを察して承諾する。  それから瑞貴と安条は週に一度、部活の後に残って本当の自分を曝け出した。お互いの呼び方も苗字から名前に変わり、瑞貴は女子の格好をして、安条は好きな女子の話をした。お互いが人の目を気にせずに過ごした。瑞貴は安条が自分を男ではなく、女子として接してくれることが嬉しかった。洋服の話、化粧品の話、男子とは出来ない話が出来た。ある日のことだった。 「今度、文化祭の振替休日で平日休みあるじゃん」 「うん」  安条は瑞貴と二人の前では笑みを見せた。瑞貴は安条の笑った顔が好きだった。 「遊園地行かない?」 「いいよ」 「瑞貴は女子の格好で」 「え⁉」  瑞貴は安条の提案に思わず声を上げた。 「いや、さすがに女の子の格好で外を歩くのは無理だよ」 「そうかなあ。遊園地に行くまではいつもの格好にして、入る前にトイレで着替えれば良いじゃん。遊園地の中だったらさ、みんなテンションが上がって周りなんて気にしてないし平気だよ」 「でも……」  瑞貴は怖かった。女子だと思われれば良いが、男だと分かったらどんな反応をされるのだろう。気味悪がられたり、罵倒されるかもしれない。それに一緒に行く泉にも迷惑がかかる。 「大丈夫。一回挑戦しようよ」  泉は瑞貴に微笑む。 「瑞貴は女の子なんだから、好きな格好をするべきだよ」  こうして瑞貴は遊園地に行くことになった。安条との待ち合わせは現地で、向かうまではシャツにズボンにスニーカーと男の格好をし、ボストンバッグにワンピースとパンプスを入れた。このワンピースも安条とショッピングモールに行って安条が瑞貴に似合う服を選び、代わりに買ってくれたものだ。女子同士でのショッピングも瑞貴の憧れであった。今日はこれから遊園地に行く。それも本当に着たい服を着て。前日までは不安しかなかったが、今はそれよりも期待の方が大きかった。  現地で泉に合流すると、さすがに女子トイレに入るのは勇気が必要だったので、多目的トイレに入って着替えた。着替え終わってドアを開けると、目を輝かせた安条が立っていた。 「瑞貴、可愛い!」  安条は興奮したように瑞貴に近付く。 「やっぱり、いつもと表情が変わるね。似合ってるよ」 「泉のおかげだよ」  瑞貴はポケットからヘアピンを取り出した。 「これ、泉にあげる。勝手だけど、僕とおそろいなんだ」  瑞貴は泉に何かプレゼントしたいと思い、よく前髪を止めるのに使っているピン止めを探した。差し出がましいが、自分とおそろいのものを買った。 「ありがとう。今日はこれ付ける」  泉はすぐにピンを付けてくれた。それから瑞貴と泉は遊園地の園内へと向かった。  僕はこの日を迎える為に生まれて来たんだ。瑞貴はそう思う程、遊園地での一日が特別で、本当の自分で過ごせた日になった。ただ着る服を変えただけだ。でも、それだけでこんなに世界は変わるのだ。外側は男。男はワンピースやスカートを履くと気持ち悪いと言われる。それが怖くて今まで男の振りをしてきて押し殺して来た女の自分が、ようやく外に出れた。十七年間心の檻の中に幽閉されていた、本来の瑞貴はようやく太陽の下に出て来れた。男子の格好をしても女の自分を出せば良い。そうは思っても、中々実践出来ない。それは“人の目”のせいだ。外側が男の瑞貴は当然男として扱われる。これでは意味がないのだ。幾ら自分で女と思っていても、自認だけでは意味がない。他者に認められることで、自分は“女”として存在が出来る。ワンピースを着た瑞貴は女として見られ、瑞貴もまた女として振舞った。これが本当の自分。外側が内側に合わせる。それだけなのに、檻から出て来た瑞貴は何にも怯える必要がなく、のびのびと過ごせた。サイズの合う靴を履くと、何処までも行ける気がする。靴が脱げる心配をしなくて済む。  あっという間に閉園の時間になった。瑞貴はまたトイレで服を着替えている時に、魔法が解けたシンデレラを思い出した。女の子の服は魔法だ。そう言えば、長谷川先輩も言っていた。服は鎧。弱気な自分も好きな服を着れば強くなれる。先輩の言葉が分かるような気がした。それに安条は男が嫌いで触られると、実際そうなるのか知らないが蕁麻疹が出ると言っていた。しかし安条は、ずっと瑞貴の腕を掴んで離さなかった。本当に、僕を女として見てくれてるんだ。一緒にお揃いのキーホルダーを買った。 「また来ようね」  二人は約束をして、また行く日程を決めた。しかし二度目は叶わなくなってしまった。泉が学校に来なくなってしまった。一緒に帰る約束をしていたが、いつまで待っても泉は来なかった。連絡しても返事はない。部活にも参加していなかった。何かあったのか。もう帰るか。そう思った時だった。 「高橋君!」  いつになく慌てた様子で柚木がやって来た。 「どうしたの、柚木さん」 「どうしよう、泉が……」  柚木は息を切らしながらスマートフォンを見せる。柚木の様子から泉に何かあったのは間違いない。怪我かな? でもそうだったら、練習中は緞帳が閉まっているとは言え、外の様子に気が付くはずだ。それとも身内に不幸があったのとか?   逡巡しながら、柚木が見せたスマートフォンの画像を見ると。瑞貴は衝撃で言葉が出なかった。そこには、中学時代だろうか。今とは違う制服の泉が映し出され、隣には女子が映っている。普通に見れば何の変哲のない写真だが、二人は手を繋いでいた。画像の上のコメントには、“バレー部部長、安条泉はレズ”“女が好き”“気持ち悪い”“学校に来るな”と酷い言葉が並べられていた。 「これは一体……」  瑞貴はこの言葉を言うのが精いっぱいった。 「学校の裏アカウントで出回っているみたい。今日の午後から拡散されて、それで泉は具合悪いって早退したみたい……」  柚木は今にも泣きそうな顔になる。 「泉、学校来るよね……?」 「……」  瑞貴は答えられなかった。もし自分だったら、学校には行けないだろう。 「自分の秘密を暴露されたんだ。しばらくは……」 「何で? 泉、何も悪いことしてないよね? 女の子が好きなのはびっくりしたけど、でも今ってLGBTって言うの? そう言う人、結構多いみたいだし、別にこんな晒すことないのに……」  柚木は優しい人だ。僕らのような人間にも理解がある。でも、そう言う人ばかりではない。 「……これ、泉の中学の写真だよね? 同じ中学の人が曝したのかな。この間、バレー部がテニス部に負けたし、きっとテニス部の誰かがやったんだ……」  柚木は苦虫を嚙み潰したように言う。 「柚木さん、気持ちは分かるけど、犯人探しよりも泉がどうしたら学校に来れるのか考えよう」 「そうだね……」  柚木は我に返ったようにする。 「私、泉の家を知ってるから行こうかな。でも、迷惑かな?」 「いや、連絡通じないし行っても良いと思う」  瑞貴と柚木は安条の家に行ったが、安条には会えなかった。母親が出て来て体調が悪くて部屋からも出れないと申し訳なさそうに言って来た。  翌日、安条は学校に来なかった。瑞貴と安条は別のクラスだが、それでもクラスでは安条の話で持ち切りだった。今日は人の上、明日は我が身の上。僕が性同一性障害だと分かったら、こうやって僕が知らない人達にまで騒がれるんだな。昨日の柚木の言葉が蘇る。“何も悪いことしてないのに”全くその通りだと思う。でも、白い羊の群れの中に黒い羊が居れば、追い出されるのは当然だ。部活を終えて家に戻り、安条に電話を掛けた。ようやく電話が繋がった。 「泉、大丈夫?」 「……まあ、ね」  そう答える安条の声は、とても弱弱しかった。 「学校で私何て言われてた?」 「……何も」  咄嗟に嘘をついた。本当のことを話せば、泉はもっと傷つく。 「気持ち悪いって言われた」  安条は吐き捨てるように言う。 「裏サイトで私の写真が拡散されてるって教えて貰って、どうしたら良いのか分からなくて、逃げるように教室を出た。その時に“気持ち悪い”って。確かに聞こえた……」  安条の声が震えている。 「女が女を好きって、やっぱりおかしいよね。気持ち悪いよね。それが普通なのに、私忘れてた。いや、目を背けてた。自分が世間では気持ち悪い存在だって」 「泉は気持ち悪くないよ。柚木さんは、泉のこと凄く心配してた」 「でも多くの普通の人は私の事、おかしいって思う。みんな沙苗みたいに受け入れてくれない。たまたま女が好きなように生まれただけで、何でこんな思いしなきゃいけないの?」  涙を流していることが、電話越しでも伝わって来る。 「もう学校行けないよ。何て言われるか分からないし、怖いよ……。わたし、」  嗚咽が伝わって来る。瑞貴も自分の目から涙が流れているのを感じた。 「わたし、普通じゃない自分がだいっきらい……」  それから安条は泣き始めて何も言わなくなった。電話から泣き声だけが伝わって来る。瑞貴は自分でも何故だか分からないが、とても冷静だった。それはある考えが浮かんだからだ。 「泉」  瑞貴は覚悟を決める。 「僕、泉が学校に来れるようにする」 「え……」 「だから、演劇部の戦いを見に来て」  瑞貴が思い立った作戦は、演劇部で戦う際に自分が性同一性障害だと打ち明けることだった。そうすれば自分の方に注目が行って、安条に目が向かなくなる。こんなことをすれば安条が怒るのは目に見えているが、それでもやるしかない。  瑞貴は告白する場所として、全校生徒が見ている試合が良いと思った。しかし、覚悟は決まっても勇気がなかった。一体どうやって告白しよう。演劇部は元より勝つつもりはない。むしろ文芸部に勝ってほしいとも思っている。ならば、いきなり告白するのもおかしいし、攻撃されたらおしまいだ。そこで瑞貴が考えたのは文芸部に負けることを理由に時間を貰い、その場でファッションショーのように自分と洋服を見せることだ。そこで言う。言ったらすぐに敗北宣言をする。後で八百長と追及されても、衣装を見せたかったと言えば何とかなる。問題は長谷川先輩の許可を取れるか……。瑞貴はもう迷っている時間はなかった。  家庭科室に行くと、長谷川の他に渡辺も居た。二人になら言える。ここまで来たら背に腹は代えられない。そう思って告白した。二人は驚いていた。それも当然だ。だが、特に瑞貴に対して言及することなく、了承してくれた。文芸部に承諾を貰い、長谷川から衣装のデータを貰った。やっぱり、あの人は凄い。僕が本当に着たい服を作ってくれた。そして決戦の前日、瑞貴は柚木に話があると呼び出された。場所はバドミントン部の部室だった。 「高橋君、いや高橋さん」  柚木は慌てて言い直す。瑞貴の本当の性別に合わせてだろう。 「明日、高橋さんの本当の性別を打ち明けるんだよね」  どうして柚木はそのことを知っているのだろう。告白は長谷川と渡辺にしか言っていないし、そもそも心が女だと言うことも知らせてない。 「何で、そのことを……」 「見てれば分かるよ。本当はね、前から高橋君じゃなくて、高橋さんじゃないかって気付いていたんだ。劇でドレスを着ていた時。本当に嬉しそうに笑っていて、泉に言ったら、“あれが瑞貴の本当の姿”って言ってた。だから、なんとなくそうかなって……」  柚木は申し訳なさそうに続ける。 「それで、きっと自分のことも皆の前で言うんじゃないかって……。本当にそうしたいなら、私は止めない。言わないとみんなには分からないだろうし。でも、泉の為ならやめてほしいの」  柚木は瑞貴の両目をしっかりと見る。いつも気弱で大人しい柚木ではなかった。 「自分の性別を打ち明ければ、泉から注意を逸らせると思っているなら、やめて。きっと泉は高橋さんに申し訳なくなって余計に学校に来づらいよ。それに私、分からないの」  柚木は視線を落とした。 「どうしてわざわざみんなに打ち明けないといけないの? みんなに受け入れてもらうのに許可が必要なの? カミングアウトっていうみたいだけど、私、この言葉、好きじゃない」  瑞貴は安条の言葉を思い出した。 「……分かった。僕は言わないよ」  柚木の言っていることは図星だ。本当は自分の性別を明かすのはとても怖い。それも全校生徒の前でだ。でも安条は同じ状況になった。安条に対して申し訳ない思いがあった。ならば一緒に打ちあけた方が良いのではないかと思う。きっと安条が怒るのは目に見えているが、それでも同じ痛みを味わう方が良い気がした。しかし、柚木の言葉を受けて安堵している自分も居る。瑞貴もまた、柚木のようにどうして打ち明ける必要があるのか悩んでもいた。黒い羊が白い羊の群れの中に入るには自身の秘密を明かして認められないといけない。でも認めてもらうと言うことは、自分が異端だと言う証拠だ。それは嫌だ。どうしてたまたま外側と中身が違うと言うだけで、ここまでしないといけないのか。それは瑞貴の少しばかりの反抗である。それでも、それをしなくて良いのなら。 「……本当は、怖かった。でも、泉が怖い思いをしているのに僕だけ隠し続けるのは不公平だと思ったから」 「泉はそうは思わないよ。もし告白したら、きっと自分の所為だって後悔すると思う」 「……そう、だね」  脳裏で安条の姿が過る。一緒に遊園地に行って、とびきりの笑顔だった姿。もう三日も会っていない。 「でも僕は、どうしても泉に伝えたいことがあるから、ステージには立つよ。長谷川先輩に服を作ってもらったし。だから、」  今度は瑞貴が柚木の目を見た。 「だから、泉を連れてきてほしい」 「……うん。授業には出れなくても、戦いにだけは絶対に見に来させる」  瑞貴は安条にどうしても伝えたいことがある。それを長谷川先輩が作ってくれた服と共に言うんだ……。  戦い当日、瑞貴は自分でも驚くくらい落ち着いていた。もとより、舞台に出るのは緊張するが、当日を迎えるともう逃げられないことは分かるのでかえって落ち着くのだ。  体育館に行くと、文芸部と戦うせいか、やけに多くの人が居た。もうここまで来たら逃げられない。舞台裏で他の演劇部に指示をする。表向きは”ファッションショー”と言うことになっている。 ”文芸部・天文部・剣道部対演劇部、バトルを開始します” アナウンスが流れると部員が文芸部に向かってレフ版を向けた。デジタル空間での衣装に変わる。よし、行こう。  部員が用意した音楽が流れる。瑞貴は体育館をランウェイに見立てて歩いた。最初はいつも通り、制服の姿だ。ブレザーにシャツにチェックのズボン。瑞貴が毎日着ている服だ。長谷川先輩は凄い。僕の為の衣装を作ってくれた。”服は悩んだけど、毎日着る服だから制服をアレンジした”学生にとっては私服よりも制服を着ている時間の方が長い。初めて長谷川の作った服を見た瑞貴は、心の底からこれを着たいと思った。  一周歩き終わり、次はいよいよどんな反応になるか分からない服。本当は僕が着たい服。デジタルで衣装を変える。変えると言っても、トップスは変えない。ボトムスだけだ。チェックのズボンからチェックのスカートに変える。ひざ丈でハイソックスを履いている。会場がざわめいている。それはそうだろう。戦いが始まるのかと思ったら、いきなり演劇部がファッションショーを始めて、おまけに部長の外側が男な僕がスカートを履いているのだ。みんな僕を男だと思っているから、このスカートに違和感を覚えるのだろう。僕は本当はスカートを履きたいわけじゃない。スカートが女しか履けないから履きたいわけであって、もしズボンが女性だけの服ならば、僕はズボンを履きたいと思うだろう。瑞貴は観客の自分への視線が怖くて、誰も居ない体育館倉庫の方を見た。これからが本番だ。スカートで回って、元の場所に戻って行く。長谷川先輩が作ってくれた三着目の服。  僕は、色んな人にお礼を言わなければいけない。瑞貴は歩き出した。走馬灯のように今までの記憶が蘇る。いつも明るくて優しくて頼りになる勇人先輩。僕が性別を打ち明けた時、驚いてはいたけど何も聞かないでくれて嬉しかった。変に騒ぎたてて欲しくないんだ。 柚木さん。いつもは穏やかでにこにこしているけど、初めて柚木さんの強さを見た。柚木さんが僕を止めていなかったら、僕はどうなっていたか分からない。  素敵な服を作ってくれた長谷川先輩。僕と一緒に色々考えてくれて嬉しかった。こんな素敵な服を作ってくれて、本当に感謝します。 そして泉。瑞貴は段々と目に涙が溜っていくのを感じた。僕は性同一性障害は悪いものだと思っていた。でもそうじゃないと気付かせてくれてありがとう。僕を初めて女だと受け入れてくれて、外の世界に連れだしてくれてありがとう。おかげで僕は自信を持てた。涙が溢れて頬を伝っていくのが分かる。ああ、駄目だな僕。役者失格だ。でも良いんだ。泉のおかげで僕は自分のことが。 「今の自分が一番好き」  長谷川が作った服は制服であった。制服は男女共に上半身はブレザーとシャツで違いはない。問題はボトムスでスカートとズボンと言う明確な違いがある。それを超越したのが長谷川の服だった。前から見るとスカートに見えるだろう。しかし、振り向くと。生地は二つに分かれていて、ズボンだと分かる。キュロットだ。見方で変わる洋服。スカートにも、ズボンにもなる服。男でも女でも着れる服を長谷川が作ってくれた。しかもこの服の凄いところは。丈を変えられることだ。今は丁度スカートの丈と同じ、ひざ上になっているが、足首までスカートの丈を下げる事も出来る。自分に合わせて丈を変えられるのだ。瑞貴は涙を拭って前に立った。怖くて観客はまだ見れない。でも、これで良い。  それから敗北宣言をし、演劇部の試合は終わった。試合後に宇田川がやって来たが、目が赤く腫れた長谷川が来てくれて全校生徒に制服の新しい在り方を問いたいと上手く言ってくれた。  その後演劇部の練習場所のステージの上に行こうとすると。 「瑞貴!」  少し懐かしくて、今一番聞きたい声が耳に入った。声の主は安条だった。 「泉」  安条は走って瑞貴に抱きついた。 「……みんなの前で告白するんじゃないかって、ドキドキした」 「本当はそうしようと思ってたけど、柚木さんが止めてくれたんだ」  瑞貴の視線の先には涙ぐんでいる柚木の姿が見えた。 「……私、明日から学校行く」  泉は瑞貴から身体を離して真っすぐと瑞貴の目を見る。いつもの泉だ。 「私は世間から見たら気持ち悪いかもしれないけど、それでも自分を好きで良いって言ってくれた人が居るから」 「うん」 「それに守ってくれるって言ってくれた人も居た」  泉は振り返って柚木を見る。柚木も走って来る。 「素敵だったよ。私は二人の気持ちを本当に理解することは出来ないかもしれないけど、でも、分かりたいって思う」 「じゃあ、これから打ち上げしようよ」  泉はいつもの笑みを取り戻している。 「打ち上げ?」 「カラオケで思いっきり歌うの。ほら、色々あったじゃん?」  瑞貴は二人と昇降口へと向かう。僕は、誰に何を言われても。今の自分が一番好きだ。
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