Ⅰ章

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Ⅰ章

 「急ですが、今日から新しい生徒が来ます」  十月と言う中途半端な時期に、佐藤春名のクラスに転校生がやって来ることになった。教師の突然の発言に教室中がざわつく。転校生か。こんな狂った高校に転校してくるとは気の毒だ。春名はまだ会ったこともない転校生を哀れに思う。 「では、神城(かみしろ)君、中へどうぞ」 教師が教室の外に向かって声を掛ける。すると、転校生は緊張など一切感じさせず、まるで四月から自分の通い慣れた教室に入るように颯爽と中に入り、教壇の横に立った。  転校生はとても中性的な顔立ちで、更に制服が間に合わなかったとかで、指定のブレザー服ではなく転校前の学校の学ランを着ていた。学ランを着ているから男と判別出来るが、転校生は肌が白く瞳は大きいので、外見だけを見ると男にも女にも見える。しかし、 「神城由希也だ」  と名乗った時の声色は、中性的な外見からは想像も出来ない程低く、誰が聞いても男の声だった。その後もはきはきと自己紹介をするが、春名はぼうっとしてあまり聞いていなかった。女子に人気が出そうだな。そんなことを思っていると、教師は春名達クラスメイトに視線を映した。 「神城君だけでなく、みんなも一人ずつ名前と所属の部活を言いましょうか」  最悪だ。 春名はどん底に叩き落とされたかのような感覚を味わう。名前だけならともかく、部活まで言うのか。春名が慌てている間に廊下側の席から順番に自己紹介が始まっていた。    神城は一人一人の自己紹介が終わると、律義に「よろしく頼む」と会釈している。春名の席は教室の丁度中央の列の一番後ろの席だ。そろそろ順番が回って来る。もう腹をくくるしかない。どうせ、誰も俺の事は見えていない。前の席のクラスメイトの紹介が終わると、春名は徐に立ち上がった。神城は春名に視線を向ける。 「佐藤、春名です」  春名が名を告げた途端、神城が不可解な行動を取った。彼はただでさえ大きい目を見開き、食い入るように春名を見たのだ。 「部活は、えっと、文芸部です……」  春名はそれだけ言ってそそくさと座ると、神城は誰の自己紹介の時よりも明るい声色で「よろしく頼む!」と言った。春名は何故神城が嬉々としているのか、全く理解が出来なかった。  全員の自己紹介が終わると、いつも通り授業が始まった。昼休みになると、神城はちらちらと春名の方を見たが、春名は視線に気が付かない振りをした。幸いなことに容姿端麗な転校生を女子は放っておかなかった。女子達は芸能人の記者会見のように、どんどんと神城に質問を投げかける。神城は質問一つ一つにも嫌な顔をせずに返答するので、女子達は更に喜び、盛り上がった。途中、ある女子が尋ねた。 「ねえ、神城君。前の学校では何部だったの?」 「帰宅部だ」 「そうなんだ。でも、この学校は部活に入ることが強制されているんだよ」 「茶道部に入らない?」 「ずるい、吹奏楽部に入ろうよ」  女子達は神城に言い寄るが、首を振った。 「すまない。僕はもう入部する部活を決めているのだ」  そう言って神城は、机で一人弁当を食べている春名を見た。目が合った春名は、訳も分からずに慌てて視線を逸らした。神城と、前に会ったことあったっけ。  昼休みが終わり、午後の授業を経て放課後になると、春名は誰にも気づかれないようにそそくさと教室を出て、楽園である文芸部の部室へと向かった。  学校生活の中で一番好きな時間はこの放課後だ。文芸部に所属する春名は、図書室の横にある、司書室を使わせて貰い活動をしている。文芸部の主な活動は読書や作品の批評、自分で小説を執筆するなど、文芸に関わることであれば、何をしても良い。司書室には使わなくなった古い机や図書室に置けない蔵書が積み上げられ埃を被っているが、それがまた文豪の書斎のようで春名は気に入っている。  丁度夕日が当たり、司書室には窓から幻想的な橙色の光が差し込んでいる。机に座って毎日持ち歩いているノートパソコンを開いた。ここは誰にも邪魔されない空間で、春名は自分の身体の中から出たがっている言葉を綴る。埃臭い部屋も、何処からか聞こえる吹奏楽部の楽器の音色も、全部心地良い。  春名が入部した頃、文芸部には五人の部員が居た。それぞれが好きな活動をし、春名の書いた作品にもアドバイスをくれた。半年に一回は部費を使って作品や批評を印刷して冊子にした。初めて自分の作品が“本”となって形になった時は、春名はたまらなく嬉しかった。今でも時々読み返している。運動部のように大会に出たり、吹奏楽部や軽音部のように大勢の誰かに発表する場もなく細々と活動していたが、それでも楽しかった。  それが、今は文芸部の部員は春名一人しか居ない。去って行った部員に対して、特に何も思わない。仕方ないと思っている。悔しいのはこんな馬鹿げた制度の所為で、本当にやりたいことを奪われることだ。そうは思っても、どうしようもない。春名は頭を振って、この途方もない思案を打ち消した。よし、今日も書くぞ、そう思った時。 「たのもー!」  静寂だった司書室に馬鹿でかい声が響き渡った。声の主は学ランを着た転校生である。 「転校生⁉」 「転校生じゃない、神城由希也だ!」  神城は意気揚々と司書室に乱入する。 「なんと! もしかして小説を認めているのか?」  神城は春名のパソコンの画面を覗こうとする。 「やめろ、見るな!」 「完成したら是非読ませてくれ」  神城は何の悪気もなさそうに笑顔を作った。 「それで何の用だよ」  要件を尋ねると、神城は忘れていたと手を叩いた。 「文芸部に入部希望なのだ」  神城はとびっきりの笑みを浮かべる。入部希望は普段なら大歓迎だが、よりにもよってランキング最下位の部活に入るのは非常に危険である。 「いや、入部希望は有難いけど、やめた方が良いと思うぞ」 「何故だ」  神城は首を傾げた。無理もない。転校してきたばかりの転校生は、この学校の恐ろしい制度を目の当たりにしていないのだ。 「この学校には、他の学校と違うルールがあるんだ」 「らしいな」  神城は本当に知っているのか、知らないのか判別出来ない曖昧な返事をする。 「……本当に知っていて、この文芸部に入るのか」 「良いではないか」  全く気にしていない様子である。まあ部員が入ることは悪いことではないし、本人が良いと言うのなら良いか……。 「分かったよ。それより、ずっと気になってたんだけど……」  自己紹介の時から、神城が妙に自分のことを見ているような気がする。昼休みの時もそうだ。最初は勘違いかと思ったが、同じ部活に入って来るくらいだから確かだろう。 「前にお前と会ったことあったっけ? 妙に見てくる気がするんだけど……」 「それは春名君が僕の好きな作家と似ているからだ!」  予想外の答えに春名は唖然としてしまった。 「好きな作家?」 「そうだ。僕は佐藤春夫と言う作家が好きなのだが、君の名は佐藤春名、何と一文字違いだ! それに文芸部で小説を書くときたものだから、是非友達になりたいと思ってな」 「……」  転校生が自分を注視していた理由。それが、好きな作家と自分の名前が一文字違いだから。 「……なんだよ、それ」  春名は笑いを我慢出来なかった。 「変わった奴だな、お前」 「よく言われるのだが、自分では普通だと思っている」  学校で笑うなんて、いつ以来だろう。まだ文芸部に部員が居た頃を思い出す。思えば、ランキングで最下位になってから、誰とも話すことはなかった。 「佐藤春夫か。名前は聞いたことがある気がするけど、作品は知らないな」 「ならば是非読んで頂きたい!」  神城は一層声を張り上げる。 「お勧めの作品はあるのか?」 「佐藤春夫の代表作と言えば、『田園の憂鬱』だな。しかしまずは短編の『西班牙犬の家』を読んでほしい。あとは、僕が一番好きな作品、『のんしゃらん記録』と言って、SFの作品なんだ。まるで近未来のような世界観が昭和の時代に書かれていて驚くぞ。是非、騙されたと思って読んで欲しい!」  神城は目を輝かせながら熱く語る。この、好きなものを話す時の熱意も懐かしい。 「それで春名君の好きな作家は?」 「え、俺?」  神城は突然話題を振って来た。好きな作家。前に正直に言ったら、笑われたことがある。でも神城だったら……。神城は大きな瞳を春名に向けて返事を待っている。神城なら、絶対に大丈夫だ。 「……宮沢賢治」 「賢治か、良いではないか!」  神城は一切馬鹿にせずに同意する。以前、宮沢賢治が好きだと言ったら女っぽいとか、子供っぽいと笑われたことがある。でも神城は違う反応をした。こいつとは、良い友達になれそうだ。春名は久しぶりに心が弾む。 「俺は『銀河鉄道の夜』が好きなんだ。他にも『セロ弾きのゴーシュ』とか、『風の又三郎』とか。現実世界が舞台なんだけど、ファンタジーが混じっている不思議な世界が好きでさ。賢治は自分の理想郷を、」 「イーハトーブ」  春名と神城、二人同時に声が合わさり、思わず笑い合った。宮沢賢治は自身の心の中の理想郷を“イーハトーブ”と呼称している。賢治の作品が必ずしも賢治の心象の理想郷、イーハトーブを描いたものかは分からないが、春名は賢治が描く現実世界とファンタジーが融合した独特の世界観が好きで、それこそが賢治の理想郷だと考えている。 「賢治好きなら猶更、佐藤春夫の『西班牙犬の家』を読んで欲しい。現実世界の中に少しのファンタジーが混じっていて、きっと気に入ると思うぞ」 「分かった。家に帰ったら、」 「転校生、見つけた!」 「ポイントをよこせ!」  突如、平穏だった司書室に乱暴な声が響き渡った。 “只今より、Vウォーズを開始します” 司書室に機械的な女の声のアナウンスが響き渡る。まずい。 「転校生じゃない、神城由希也だ!」 「神城、こっちに来い!」  憤慨している神城の腕を引っ張って、急いで机の裏に隠れる。 “ヴァーチャル・フィールドが展開されます” 天井からアナウンスが告げる。一瞬、辺りが閃光に包まれて何も見えなくなるが、すぐに元の司書室に戻った。 「一体、何が起こっているのだ?」  神城は訳も分からないと言った様子だ。当然だ。初めてだと誰だって混乱する。 「お前、入学時にVウォーズの説明は聞いてないのか?」 「寝ていたからな」  春名は呆れたが、今は口よりも手を動かさないといけない。 “バトルを開始します” 「隠れたって無駄だぜ!」  声と共に壁や床にサッカーボールが高速で跳ね返る。ボールはまるで意思を思っているかのように、床や壁にぶつかっていて、動きが止まることはない。きっと俺達を仕留めるまでは永遠に跳ね続けるだろう。  机の影から奴らが入って来た方を見ると、サッカーのユニフォームを着た二人の男子生徒が立っている。サッカー部だ。とりあえず、攻撃と防御だ。春名はスマートフォンの画面にポケットの中に入れていたタッチペンで書き記す。 “トラとライオンを召喚” 文字を書ききったと同時、頭上に閃光が現れる。その光から、本物そっくりの虎とライオンが顕現する。 「凄い! どうなっているのだ⁉」  横で興奮している神城を尻目に春名は二匹に指示を出す。 「ライオンはサッカーボールの排除、虎は俺達を守ってくれ」  春名の言葉を受けて、虎は唸りながら二人が隠れている机の周囲を警戒する。対してライオンは動き回るサッカーボールを鋭い爪で空気を抜いて行く。 「文芸部、最下位じゃねえのかよ!」  サッカー部の一人が驚きの声を漏らす。 「春名君、一体どうなっているのだ」 「これは部活同士の争いでヴァーチャル・ウォーズ、通称Vウォーズって言うんだ」 「なるほど。しかし何故、部活同士で争う必要があるのだ」 「それを語るには短編小説を読むよりも長い時間が必要だな」 「今日現代文で習った、漱石の『こころ』よりも? 教科書には一部しか掲載されていないが」 「『こころ』一冊分を読めるくらいは長いぞ」  春名と神城は襲撃を受けている最中なのに笑い合う。神城とは仲良く出来そうだと確信する。 「所属している部活事に能力の特性が違うんだ。もっと言うと、部長と部員とでも違う。俺は文芸部の部長だから、スマートフォンの画面に書いたものを召喚出来るんだ」 「凄い力ではないか! 無敵に近い!」 「いや、そうでもない」  無敵だったらランキングで最下位になどならない。 「必ず文字を書かなければいけないし、書いたことが全部現実になるわけじゃない。あくまで物質や生物を召喚出来るだけで、例えば“雨を降らす”とかそういう状態を書いたら無効。“雨雲を出す”なら出来るけど」 「なるほど。それでも有利な力だと思うぞ」  尚も神城は感心している。 「調子に乗ってるんじゃねえぞ!」  サッカー部の一人が更に大量のボールを出現させ、壁や天井、際限なくいつまでも跳ね返し続ける。サッカー部の平部員の能力は、サッカーボールを無限に出せ、更に壁や床に跳ね返させる能力だったはず。ライオンやトラはサッカーボールを破壊し続けるが、サッカーボールは次々に現れる。これでは堂々巡りだ。 「このままじゃ埒が明かないな」 「春名君。と言うことは、僕にも特別な力があると言うことか」  神城は期待の眼差しを向ける。 「お前、まだ正式に文芸部に入っていないだろ」 「ところがどっこい、先生に入部届を提出してからこちらに来たぞ!」 「まずは部長の俺の許可を得るだろうが!」  春名は思わず声を上げるが、神城は平然としている。 「順序は間違えたようだが、これからよろしく頼む」  神城は居住まいを正して頭を下げる。こんな状況なのに一切動揺していない。 「スマートフォンはあるか?」 「ああ、ここにある」  神城はスマートフォンを見せる。 「まずは、専用のアプリをダウンロードしないといけない」 「それなら、先程先生から教えて頂いて入れたぞ」 「よし」  春名は誰だか知らないが、その先生に感謝する。 「文芸部の平部員の力はⅤウォーズのバトル一回のみ、Vウォーズの空間を好きな文学作品に変えられることだ。アプリを開けば、操作画面が出て来るはずだ」 「なんと、最高ではないか!」  神城は嬉々としてスマートフォンを操作するが、 「えーっと、佐藤、春夫……」  沈黙しながら、春名の目を見る。 「……検索結果0件と出て来たぞ」 「全部の作家の作品が登録されているわけじゃない」 「佐藤春夫が選べないとは、一体製作者は何処のどいつだ! 佐藤春夫全集、全三十八巻を送り付けてやる!」  神城は怒りながらも、手は止めていなかった。 「では、これならどうだ」  神城はにやりと笑う。  刹那、司書室が森の風景へと変化する。春名達を守っていた机は依然として残っているが、床は草むらになり、天井は木々が生い茂っている。サッカーボールは跳ね返る為の壁がなくなり、草むらの上に転がった。春名が召喚した虎とライオンもサッカー部を睨んでいる。こちらの方が優勢になった。サッカー部の部員の顔には明らかな焦りの色が見えたが、春名は彼らの背後に一軒の立派な西洋風の家が建っているのが気になった。 「春名君、二人をあそこに追い込んでくれ」  春名は訳も分からず、神城の言われた通りに虎とライオンに指示をした。 「虎とライオン、二人をあの家に入らせろ!」  春名の言葉通り、二匹は二人を追いかけ、家の中に入るように誘導する。 「これで良いのか」 「良いのだよ」  神城はにっと笑う。神城の目論見通り、虎とライオンに追われたサッカー部は家へと逃げ込んだ。数分して二人の叫び声が響き渡る。 “サッカー部が降伏しました” 森の何処からかアナウンスが響いた。 「ここは一体、何の作品の世界なんだ」 「家の名前を見たまえ」  言われた通り、豪勢な看板を見ると、 “西洋料理店 山猫軒” と書かれていた。 「……お前、案外酷いことをするな」 「それほどでも」  神城はライオンの鬣を触りながら答える。  この山奥の世界、そして”山猫軒“と書いた料理店が出て来る作品は、宮沢賢治の代表作『注文の多い料理店』である。山奥で山猫軒と書かれた料理店に入った二人の男は服や財布を置いていけと注文を受け、最終的には裸になってクリームや塩を塗りたくるように言われ従う。しかし最後には、この店は店に来た人に料理を出す店ではなく、来店した人を西洋料理にして食べると言う店に気が付き、二人は逃げ出すと言う話である。さしずめ、サッカー部も自分達を食べようとした”存在“に気が付いて降伏したのだろう。 「おや、想像していた肌触りと違う。固いな」  ライオンを撫でた神城が驚いている。ライオンの鬣はふさふさの毛に身を包み、撫でれば当然毛の感覚がすると思うだろう。しかし、今春名達の居る仮想空間では違う。 “勝者は文芸部です” アナウンスが告げると、不気味な山奥から元居た司書室へと戻った。 “文芸部にサッカー部の得点が譲渡されます。詳細はアプリをご覧ください” サッカー部の二人は苦虫を噛み潰した顔で、慌てて司書室から去って行く。何処からかまた吹奏楽部の音色が聞こえて来た。“仮想”現実から、現実世界に帰って来たのである。
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