Ⅱ章

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Ⅱ章

 「今のは一体、何だったのだ⁉」  神城は興奮冷めやらぬ様子で春名の肩を揺らす。 「さすがにこの超デジタル学園は、文部科学省のデジタル化の推進校なのは知っているよな」 「存じております」  神城は何故だか改まった言い方をする。  春名達の通う超デジタル学園は、名前の通り、デジタルに特化した特殊な高校である。通常の高校のように教科書やノートなどは使わずに、教科書はタブレット端末からダウンロードし、ノートもダウンロードした教科書のデータに直接書き込むか、メモのアプリを使う。おかげで、教科書を持ち歩いていた中学時代とは違い、通学鞄が軽くて助かっている。  更にヴァーチャル空間で授業を行うこともある。例えば歴史の授業の時はわざわざ体育館に行き、ヴァーチャルで指定の時代を映し出し、当時の住居や文化などを体験する。春名の場合は日本史の時間に弥生時代に行った。竪穴式住居が本物の建物のように映し出され、中に入ることも出来た。あくまで仮想空間で本物ではないが、まるで遠い過去に旅行に行ったかのような感覚だった。このように超デジタル学園は、全国の教育機関のデジタル化を普及する前に、試験的に実施して評価を見る学校なのである。 「授業だけじゃなくて、部活のデジタル化にも取り組もうって話になって、試験的に導入されたのが、ヴァーチャル・アクティビティー、通称VAなんだ」 「VA? 先程、ヴァーチャル・ウォーズと言っていなかったか」 「VAとヴァーチャル・ウォーズ、通称Vウォーズは別なんだ。VAは学校全体の取り組み、Vウォーズは俺達生徒が勝手に始めたものなんだ。まあ今は学校も容認しているけど」 「なるほど……」  神城は不思議そうに頷いた。 「そもそも部活のデジタル化とは、どういうことなのだ」 「例えば、運動部、文化部に限らず、部員が多い部活は練習時間や練習場所の確保が困難だろ。同じ場所で練習したくても場所が狭かったり、道具が足りなかったり。それに外で活動している部活は天気にも左右される。そこでヴァーチャル空間で、部活動を出来ないかって話が出たんだ」 「なるほど。そういうことか」  神城は納得が行ったようである。 「それでゲーム会社とヴァーチャル空間の研究している大学とが協力して、試作として誕生したのがVA」  春名は神城にスマートフォンのVAのアプリを開くように言う。 「このアプリを介して操作するんだ。言わば、コントローラーのような感じ」  アプリには“VAを起動しますか”と操作画面が表示されている。 「押しても良いか」 「ああ」  神城が押すと、 “ヴァーチャル・フィールドを展開します” と、スマートフォンからアナウンスが鳴る。すると、一瞬視界に閃光が見え、また元に戻った。 「今、視界が眩しくなっただろ」 「ああ。先程もそうだったな」 「これがヴァーチャル空間に入ったってことだ。ヴァーチャル空間に入ると、自動的に俺達の全身を、何て言ったっけ、クリエイティブ・ナノマシン、通称Cナノマシンって言う目には見えないナノマシンが集まって覆うんだ。攻撃を受けても何の痛みも受けないし、怪我をすることもない。目に見えないけど、守ってくれる仕様になるんだ」 「なんと! SFの世界に迷い込んだみたいだ!」  神城は目を輝かせる。 「ナノマシンとは、確か細胞よりも小さいサイズの機械だろう」 「そう。このCナノマシンは目には見えないが集合すれば強度もあるから、しっかり守ってくれる。それにただ守って来るだけじゃなくて、VRゴーグルってあるだろ」 「ああ。ヴァーチャル空間に入り込む為の大きなゴーグルだろう。そのゴーグルがないと仮想世界の光景を見ることが出来ない」 「普通はそう。でも、このCナノマシンはゴーグルの役割も果たしているんだ。校章があるだろ」  春名はそう言って、ブレザー服の襟に付けている校章を指差した。神城も制服は違うが、同じ校章を付けている。 「この校章からスクリーン・ナノマシン、Sナノマシンって呼ばれるナノマシンが俺達の顔全体に広がって、ヴァーチャル空間を映し出してくれるんだ。勿論Cナノマシン同様、攻撃されても痛みを受けない」 「なんと! どちらのナノマシンも、もはや万能の機械ではないか。早く世に発表した方が良い」  神城は興奮したように声を上げる。 「それがまだ色々問題があるらしくてな」  聞いた話だが、Cナノマシン、Sナノマシンは共に稼働時間が短く、一日数時間が限界であると言う。更に指示通り動かないなど不具合も発生し、メンテナンスもよく行われている。VAが全く出来ない日があることも多い。 「とにかく、この校章を中心に俺達に見えないバリアとヴァーチャル空間の様子が見えるようになる。ちなみに、俺達文芸部は活動する時も制服だけど、運動部はユニフォームだったり、演劇部の衣装とか、服装を変えることもアプリで出来るんだ」 「そうなのか!」  神城はすぐにアプリを操作する。 「おお、制服がある!」  そう言うと、神城の学ラン姿が超デジタル学園のブレザー服に変わる。 「どうだ? 似合うか」 「いや、なんか微妙」 「微妙とはなんだ!」  神城は初対面が学ラン姿でそのイメージが強く、ブレザー服はまだ見慣れない。 「よく分からないのだが、服の切り替えはどういう仕組みなのだ? 先程のCナノマシンが服を作っているのか」 「いや違う。Cナノマシンで何かを作り出すには、材料となる元素が必要で今はまだ不可能だって聞いた。CナノマシンがVAのアプリからコマンド、指示を受けて、俺達にその指定された服の映像を見せているんだ。だから現実世界で見ると、神城の服が何か変わっているわけではない」 「なるほど。あくまで映像が変わるだけなのだな」  神城は頷いた。 「後は、ヴァーチャル・フィールドの説明だな。ヴァーチャル・フィールドは仮想空間のことを指す。俺達がアプリを起動すると、その場所、今だとこの司書室が仮想空間に変わる。もっと言うと、Cナノマシンが広がって仮想現実のエリアを決めて、外部に影響が出ないようにバリアを作る。だから、今司書室に入る人には“ヴァーチャル・フィールド展開中”って文字が見えて、VAのアプリで認証しないと入れないんだ」 「なるほど」 「まあ、仮想空間に変わるって言っても、元々そこに存在しているものはそのまま残るから、机とか本とか、俺達の身体同様、Cナノマシンで保護される」 「だから、先程の注文の多い料理店の世界に変わっても、机や本は残っていたのか」  神城は合点が行ったようである。 「そう。仮想空間って言っても、何処か全く別の空間に行くわけではなくて、今自分達の居る場所に仮想空間が上書きされるって言えば良いのか。だから、元々あるものは消えるわけじゃなくて残る。教室でVAを起動しても、その場に机も椅子も残る。だから校庭とか体育館とか、何もないだだっぴろいところで起動すると、より仮想世界に入った感じがするな」 「そうなのか」  神城はそう言うと、アプリを見る。 「先程戦った時の僕のアプリには、“好きな文学作品の世界をヴァーチャル空間に展開出来る”としかなかったが、今は春名君が使っていた、“文字で書いたものが現実になる”とあるぞ」 「さっきのVウォーズは、部長、部員によって使える能力が限られているが、VAは部長、部員関係なく同じことが出来るんだ」 「では僕も、何か書いて良いか」 「勿論」  神城は新しいおもちゃを貰った子供のようにわくわくとしている。 「この場合、何か文字を書かないといけないのだな」 「そう。タッチペンって言うと出て来るぞ」 「なんと」  神城は目を見開き、タッチペンと呟いた。すると、神城の手にスマートフォンの画面に文字が書けるタッチペンが現われる。 「春名君、これは一体どういうことだ!」 「そのタッチペンもCナノマシンで作られたものだ」 「いやしかし、Cナノマシンでは、物は作りだせないと言っていなかったか」  神城は首を傾げる。 「ごめん、言い方が悪かった。Cナノマシンは集合して、物の骨組みを形成することが出来るんだ。だからタッチペンそのものにはならないけど、同じ形にはなれる」 「なるほど」 「それでタッチペンと認識出来るように、Sナノマシンで色だったり、外観の映像を映し出すんだ」  神城はタッチペンを興味深く見た後、スマートフォンに文字を書いた。机の上に小さな光が放たれたかと思うと、茶色の猫が出現する。 「何処からどう見ても本物だ。凄いな」  猫はにゃあと鳴く。神城は撫でるが、やはり手が止まる。 「先程のライオンもそうであったが、全く毛の手触りがなく、金属を触っているようだ」 「Cナノマシンが骨組みを作っているだけだからな。ふわふわに見えても、実際はCナノマシンの鉄の集合体で、猫の映像が被さっているだけだ」 「猫のように見えているだけか。今が一番仮想現実を体感しているようだ」  残念がる神城を見て、春名は笑ってしまう。 「と言うことは、先程のサッカーボールもCナノマシンで形作られたものなのか」 「そうだ。アプリの指示を受けて、ナノマシンが骨組みを作って、その物の映像を見せるんだ。本物と変わりないクオリティーだろ」 「仰る通りです」  神城は大きく頷いた。 「そうだ! 僕はまだ試したいことがある」  神城は再びスマートフォンを操作する。 「宮沢賢治と言ったら、『銀河鉄道の夜』だろう」  神城は春名に向けて、にっこりと笑う。刹那、夕日が差し込む司書室から、黄色い電灯のついた鉄道の車内へと世界が変わる。 「銀河鉄道だ!」  神城は子供のようにはしゃぎ、車内を見渡し、それから窓の外を見る。 「春名君、三角標が見えるぞ!」  春名も車窓を見る。野原に大小さまざまな大きさの美しい三角標が並んでいる。三角標は、地図などを作る為の測量を行う際に使うもので、三角形の形をした櫓である。銀河鉄道の世界では、橙や青色に光っている。窓から見える野原は夜空で、三角標の光は星々、まるで星空を見ているようだ。  今春名達が居るのは仮想空間である。本物ではない。本物でないと、幻影、偽物で価値がないと思う人も居るだろう。しかし、春名は仮想でも、それを見て発現した感情や思いは本物であると思う。 「……綺麗だな」  VAが始まった頃、春名も神城と同じことをした。銀河鉄道の世界に入り込んだのだ。まさか自分の一番好きな作品の世界に入れるなんて、夢にも思わなかった。あの時はまだ純粋に、VAに感動して楽しんでいた。 「こんな奇想天外なことを体験出来るとは、転校してきて良かったな」 「……」  浮かれている神城とは対照的に、春名は仮想空間に居るにも関わらず、現実世界の状況を思い出して憂鬱になる。春名も、最初は神城のように凄いと思っていたのだ。それが今は……。  春名がふと腕時計を見ると、下校時刻が近づいていることに気が付いた。部活動は原則夕方五時まで活動が出来る。しかし五時に帰宅すると、昇降口で他の部活と鉢合わせする可能性が高く、また神城が狙われる恐れがある。それに、頭を下げるのだって嫌だ。 「神城、今日はもう帰るぞ」 「なんと! まだ下校時刻ではないぞ」 「訳があるんだよ。それに帰りにVウォーズの説明もするから、今日は一旦帰るぞ」 「がってん承知の助」 「いつの時代だよ」  人と話をするのって、こんなに楽しかったっけ。春名は失っていた何かを徐々に取り戻していくような感覚を覚える。そうだ、俺は全てを諦めて、慣れようと必死になっていた。いつしか大事なことも忘れて。  春名達は司書室を後にし、下駄箱のある昇降口に向かう。昇降口の前には、巨大な電子掲示板がある。 「あの電子掲示板にVウォーズの順位が書かれているんだ」 「おお」  神城は掲示板へと近付く。掲示板には、順位が高い順番から部活名と獲得したポイントが表示されている。 「Vウォーズって言うのは、部活毎にポイントを争う戦いのことだ。各部活の部長が一万ポイント、部員は五千ポイント割り振られていて、ポイントの合計数が部活のポイントになる。戦いに勝利すれば相手の持っているポイントを全部獲得出来るんだ」 「なるほど。それでこの掲示板にポイント数の順位が反映されると」  神城はまじまじと掲示板を見る。 「文芸部は何位なんだ」  神城は上の順位から順番に文芸部を探すが見付からない様子だ。 「一番下だよ」 「なんと、最下位!」  神城は驚いたように言うが、 「いや、最下位より一つ順位が上がっているぞ!」  神城は指差す。確かに順位が一つ上がって、十九位となっている。 「お前が入部してくれたからだな。五千ポイントが加算されたし、サッカー部に勝った分もあるし」  刹那、誰も居なかった昇降口に声が響いた。誰にも会わないように早めに帰ろうとしたが無駄であった。声がした方を見ると。 春名がこの世で最も会いたくない人物が居た。 宇田川伊織である。中学時代、春名の心を殺した男。そして、このVウォーズを始めた張本人であり、Vウォーズの頂点、ランキング一位の部活の部長でもある。  宇田川は先頭を歩き、後ろに部員達が歩き連ねている。よりにもよって、こいつと鉢合わせするなんて。春名は苛立ちを覚えたが、すぐに理性が湧き上がった怒りの感情を抑えた。 「神城、礼をしろ」 「どうしてだ」 「そう言う決まりなんだ」  状況が分からずきょとんとしている神城の頭を、手で押さえて下げさせる。早く行ってくれ。春名の願いも空しく。 「春名、君は顔を上げてよ。僕と君の仲じゃないか」  宇田川は不敵な笑みを浮かべながら、春名と神城に歩み寄った。宇田川は身長が百八十センチある春名よりも低いが、堂々とした立ち振る舞いと余裕のある雰囲気が春名と同じくらいの背丈を思わせる。宇田川は銀縁の眼鏡越しに、春名に視線を送る。 「……」  対して春名は何も返事をしなかった。いや、したくなかった。こいつだけは、絶対に許せない。無言を貫く春名の態度は気にせず、宇田川は春名の横に立っている神城を見た。 「君は、噂の転校生だね」 「そうだ。神城由希也と申す。失礼だが、名前を聞いても?」 「僕は宇田川伊織」 「伊織君か。よろしく頼む」  笑みを浮かべる神城は違い、宇田川は一瞬だけ顔を強張らせた。 「お前、初対面の癖に宇田川さんを名前で呼ぶとは失礼だな」  宇田川の後ろに立っていた眼鏡の男子生徒が口を出した。 「良いよ、別に」 「しかし……」  宇田川は不服そうな部員を制する。 「ところで、君はどの部活に入部するか決めたのかな」 「ああ、文芸部だ」  神城の言葉に、またもや宇田川の表情が凍る。 「へえ……」  そう言うと、宇田川は値踏みするように神城を見る。 「君も小説を書くのかい」 「いや、僕は読む専門だ」 「僕も読書好きなんだ。好きな作家は居るの」 「佐藤春夫だ」  誇らしげに答える神城に対し、宇田川は冷たい視線を向けた。 「へえ。地味な作品ばかり書くよね」  宇田川の言葉に春名は怒りを覚えたが、神城は春名よりも冷静であった。 「確かに一見地味な作品が多いが、よく文章を読むと、他の作家にはない繊細な世界観が佐藤春夫にはあるのだよ」 「ふうん」  宇田川はどうでも良さそうに相槌を打っているのが分かった。春名はもう我慢が出来なかった。 「お前、読書家とか言うわりに想像力がないんじゃないか。人の好きな物や大事なものを否定されたらどんな気持ちになるのか、考えられないのか」 「僕はまた、君を怒らせてしまったみたいだね」  苦笑する宇田川を春名は睨みつけた。こいつだけは死んでも許せない。 春名と宇田川は同じ中学で、一時期はとても親しかった。しかし、ある事件のせいで、春名は宇田川をこの世で一番憎むこととなった。 そして、大きな誤算。  宇田川に一度は殺された春名だったが、高校でやり直そう、生まれ変わろうと誓った。超デジタル学園はデジタル化を推進している特殊な高校で人気があり倍率は高かったが、偏差値は中の上と言ったところだ。てっきり秀才と言われた宇田川は進学校にでも行くかと思っていたが。入学式の朝、期待に胸を膨らませ、桜が舞い散る校門をくぐり、校舎へと歩いていた時。 「春名、高校でもよろしくね」  確かに絶縁したはずの、もう顔を見ることもないと思っていた人物の声が、背後からして。 春名は背筋が凍った。 その時、江戸川乱歩の『孤島の鬼』を思い出した。洞窟で、主人公の箕浦が“蛇”となった諸戸に襲われた時の、とてつもない不快感と一晩にして白髪になってしまったほどの恐怖。春名は箕浦の気持ちが分かったような気がした。俺はあいつから逃げてやり直したいのに、宇田川はそれを許さない。幸いにもクラスが別だったが、それでも宇田川はVウォーズを始め、否が応でも春名の目に入った。何処まで俺を苦しませば、気が済むのだろう。それともこいつは、永遠に……。 「じゃあ、またね」  宇田川はそう告げると、仲間達と何処かへ消えた。本当に、いけ好かない野郎だ。 「……僕は、君と伊織君の間に何があったかは知らないが」  神城は不安そうに春名を見た。 「エドモン・ダンテスとフェルナン・モンデゴのような、因縁の相手と言うのが分かったぞ」  神城の言葉に春名の中で炎のように燃え盛っていた怒りが鎮火していく。 「……エドモン・ダンテスって何だっけ。『モンテ・クリスト伯』?」 「またの名を『巌窟王』とも言う。黒岩涙香が訳した」  神城はあどけない子供のように、にっと笑う。春名の心がだんだんと落ち着いていく。 「俺、作品は知っているけど、読んだことがないな」 「復讐を題材にはしているが、壮大な人間模様が繰り広げられ、一読すれば世界中で読まれている理由が分かるぞ。気になるのなら家に文庫本があるから貸すが、その前に佐藤春夫を読んで欲しい」 「分かってるって」  神城により、春名の心から怒りの炎は消え去った。二人は昇降口で上履きから靴に履き替え、校舎を後にした。
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