ⅩⅩⅩⅥ章

1/1
前へ
/39ページ
次へ

ⅩⅩⅩⅥ章

 人間の頭の中には宇宙が広がっていると思う。自分が地球として、お母さんは太陽、裕さんは月。僕の宇宙には二つの惑星しかなかった。 それが今は。 たくさんの星や惑星があって、僕の宇宙も広がっていく。 煌めきが増して、僕の宇宙はかけがえのないものになった。  志藤四宇が星を見るきっかけになったのは、悲しくも本当の父親が関係している。小学校中学年くらいまでは良かった。高学年に上がると、父親は酒を飲んでは母の香織に暴力を振るうことが多くなった。後から分かった話だが、父親は仕事で問題を起こし、家庭で暴力を振るうことで職場でのストレスを発散していた。四宇が止めに入ると、彼にも被害が及んだ。左腕には今でも熱湯を掛けられた火傷の痕が残っている。幸いにも肩に近く日常生活で見られることはなかったが、プールの時間は嫌だった。  この熱湯の事件が遭ってから、香織は父親が寝るまでの間、四宇をアパートの隣の公園に避難させた。元々天体観測が好きな香織の影響もあり、四宇はぼんやりと星空を見て過ごした。空を見上げて、その先にある星を見ると、四宇は父親の暴力がどうでも良くなった。ちっぽけに見えたのだ。こんなに広くて、無限に広がっている空。あの空は何処まで続いているのだろう。空の向こうには宇宙があって、宇宙の先には何があるんだろう。逆に星は僕達人間を見て、何を思うのだろう。ただ光り輝いているだけなのに、どうしてこんなに惹かれるのか。四宇は図書館に行って、ギリシャ神話の本を読んだ。星にもエピソードがあると知ると、より一層星のことを知れた気がする。でも、この神話も人間が勝手に作った話だ。人間に妄想させるほど、星空は魅惑的だ。きっと遠くにあって手が届かないから、こんなに魅力があるんだろうな。  中学生になって、香織は離婚を決意した。今までは経済的な理由で我慢をしてきたが、丁度仕事で昇進し金銭的な余裕が出てきたこと、更に父親は暴力だけでなく、不倫していることも分かりとうとう愛想が尽きたのだ。 「別れるからには徹底的に慰謝料をぶんだくるよ」  香織は不倫の証拠を探すまでは我慢してほしいと四宇に言ったが、四宇はさっさと別れたかった。休みの日に父親の後をついて行き、知らない女といかがわしいホテルに入るところの写真を撮った。 「本当、最低な奴」  四宇は既に父親に対しては人間のように思えなかった。ドラマの登場人物のような、暴力に不倫と言う最低なことをする人間が居るとは思わなかった。しかも、自分の父親である。  離婚をしてからは平和に過ごした。決して金銭的に余裕のある暮らしではなかったが、四宇は幸せだった。中学生になると、仕事の忙しい母親の代わりに買い物をして、夕飯を作った。最初は焦げたり、味が濃かったり失敗だらけだったが、だんだんと作れるようになった。先に一人で夕飯を食べ、部屋を暗くしてぼんやりと窓から星空を眺める。擦れた心も夜空を見ると、回復していく気がした。香織が帰ってくると夕飯を温め、四宇はお茶やココアを飲みながら香織と話をするのが好きだった。僕はこれだけで良い。これ以上はいらない。十分、幸せだった。  中学三年の時に、裕に出会った。香織がSNSで天体観測をしているサークルを見付け、四宇を連れて行ったのがきっかけだ。ある夜、流星群を観測していると、四宇は裕に話し掛けられた。 「ほら、見てごらん」  四宇が裕の望遠鏡を覗くと、動く星々が見えた。四宇が持っている望遠鏡よりも、更に遠くを鮮明に見ることが出来た。 「すごい」 「好きなだけ見て良いよ」  裕はそう言って、三脚に設置しているカメラの操作をする。 「写真も撮るんですか」 「うん。せっかくだから、形に残したくて」  それから裕の撮った写真を見せて貰った。写真はきちんとプリントアウトされアルバムになっており、写真を撮った時の日時も書かれている。アルバム帳を捲ると、そこには四宇が生まれた時に見えたと言う火星の写真があった。 「この写真」 「あ、それね。僕が高校生の時に撮ったんだ。火星が肉眼で見える程近付いた時の写真で、写真だと火星の橙色がはっきり映ってお気に入りなんだ」 「僕、この日に生まれたんです」 「そうなの? 良いなあ。特別な日に生まれてラッキーだね」  裕はお世辞ではなく、本当に嬉しそうに言うのだった。 「……僕の名前も、この火星から付けられたんです。数字の“四”に宇宙の“宇 “で四宇。太陽から四番目の火星が光り輝いた日だから」 「素敵な名前だね」  裕は笑みを浮かべながら、四宇にその火星の写真を渡した。 「この写真あげるよ」 「え、でも……」 「四宇君の名前の由来の写真だよ。せっかくだから四宇君が持ってて」  四宇は嬉しさで涙が溢れそうになった。父親に言われたことがある。“数字の四が入っているなんて、不吉な名前だよな”今でもたまに思い出して、胸が痛くなった。 「ありがとうございます」 「四宇。ここに居たの」  すると、香織がやって来た。 「お母さん、見て。僕が生まれた時の火星の写真」 「凄い綺麗! 出産でちゃんと見れなかったんだよね。こんなに綺麗だったんだ。誰に貰ったの」 「この人」  四宇は香織に裕を紹介した。それからサークル内では三人で星を見ることが多くなった。四宇は裕が好きだった。歳は離れているが、兄のような存在だ。優しくて、星にも詳しくて、一緒に居ると安心した。この人は絶対に誰かを傷つけることはしない。この人が、良かったな。四宇は次第にある感情が芽生えた。ある日、香織に言われた。 「今度、裕と星を見に行くけど、四宇も行くよね」 「それって三人だけで?」 「……うん」 「行きたい」  四宇は既に中学三年だった。薄々香織と裕が親しいのを感じ取っていた。その事に対しては嫌悪感は一切なく、むしろ嬉しかった。お母さんはもっと幸せになるべきだ。何年も暴力を振るわれて、今は仕事して、家に帰ったら僕の面倒を見て。自分のことを考えている時間なんてなさそうだ。  裕との旅行の行先は箱根だった。旅行と言うのは学校の修学旅行くらいしか行ったことがなく、四宇は楽しみだった。日中は芦ノ湖の遊覧船に乗ったり美術館を巡り、夜は旅館で温泉に入りながら星を見た。裕は部屋に露天風呂がある部屋を予約してくれた。後から香織に聞いたが、火傷の痕がある四宇を気遣ってくれたのだ。  裕と露天風呂に入りながら空を見上げると、丁度満天の星空が広がっていた。東京で見るよりも、ずっと空気が澄んでいて、星も煌めいている。こんなに空には星が散らばっているのか。まるで宝石箱だ。四宇は思わず、本音が出てしまった。 「……僕、たまに思うんだ。裕さんが本当の父親だったら良いなって」  こんなこと言ったら困るだろうと思った。しかし、裕は涙を浮かべていた。 「参ったなあ。本当はこの旅の最後に言おうと思ってたんだけど」 「それって……」 「香織さんと結婚しようと思って」 「え⁉」  四宇は驚きよりも、嬉しさで思わず湯船から飛び上がった。僕が望んでいること。それが現実になる? 「……お母さんには言ったの?」 「うん。四宇君にはサプライズって言ってたんだけど……」  先に四宇に言われてしまった裕は苦笑していた。 「お母さんのこと、よろしくお願いします。僕は、邪魔かもしれないけど」 「何言ってるの。僕は四宇君とも家族になりたいんだよ」  そう言って抱きしめてくれた裕の肌の感触が、今でも忘れられない。初めて、嬉しくて泣いた。泣くときはいつも、辛い時だった。  中学三年の秋から裕と住むようになった。婚姻届を出すことになっていたが、四宇の名字が変わると学校で何か言われるかもと心配され、高校入学の時に合わせて婚姻届けを出し、晴れて名字が“志藤”になった。大嫌いな父親の名字から解放され、四宇は自由になれた気がした。僕は恵まれている。お母さんと裕さんと一緒に過ごせて、星も見ることが出来て、こんなに幸せで罰が当たらないかな。四宇は常々思った。 「四宇君は高校生になったら、何がしたいの」  超デジタル学園に入学前、裕に聞かれた。 「とりあえず、天文部に入る。それで友達と天体観測をしたいな」 「天体観測なら家でも出来るじゃん」 「家族と同年代の友達とはまた違うよね」 「そう」  香織の言葉に裕と四宇は一緒に返事をした。  超デジタル学園の入学式を終え天文部に入部した四宇だったが、部員は三年の女子二人だけだった。二年生は誰も居らず、一年も四宇の他誰も居なかったが、まだ来年があると入部をした。先輩達は優しく、少しでも同年代の人間と星の話が出来て楽しかった。  丁度三年が受験で部活を引退する頃、Vウォーズが始まった。部員が一人になった四宇は到底戦えるわけがなかった。更に天文部の部長の能力の知った時、四宇は一度しか使えないと悟った。そもそも争いたくない。スポーツならまだルールがあり、スポーツマンシップがある。Vウォーズにはない。誰かが傷ついているところを見るのは、苦痛であった。香織が父親に暴力を振るわれていたことを思い出す。そして何も出来なかった、助けられなかった無力な自分の姿が蘇る。戦いたくない。思い出したくない。Vウォーズは一ヵ月だけの辛抱と思っていたが、終わらなかった。   放課後はすぐに部室に行った。最下位で唯一良かったことは、もう襲われる心配がないことだ。部室に閉じこもっていれば、誰かが傷つく様子も見なくて済む。ここが僕の宇宙。真っ暗な部屋に広がったヴァーチャル空間には、自分の出したい惑星や星を立体的に出力出来て、好きな宇宙を創り出せる。さながら神様だ。……でも。四宇は神がどうして人間を創り出したのか、少し分かった気がした。  二年に進級すると、新一年生が入学する。四宇は部員を増やすチャンスだと思い、一念発起した。一年生全員の前で発表する部活紹介も、部活見学も精力的に行った。幸いに部活見学には何人も来てくれたが、何も知らない一年が“昇降口に掲示されている順位はなにか”と聞いてくると、四宇は憂鬱になった。  一年生の入部の日、指定された教室で顧問と入部の手続きをする。当然、天文部には誰も来なかった。 「来ないねえ」  顧問である園田が不思議そうに呟く。老年の園田は地学の先生である。天文部の活動には気が向いた時にやって来る。 「普通、最下位の部活になんて入らないですよ」 「すまんなあ」  園田は申し訳なさそうに志藤を見る。 「これでもVウォーズに対して抗議をしたんだ。しかしなあ、嘱託の老いぼれの言うことは聞いてくれなくてな」   園田はため息をつく。 「先生達は、Vウォーズのことをどう思っているんですか」  四宇は常々思っていた。Vウォーズに対して教師の介入はほとんどない。乱闘になった時以外は黙認されている。 「生徒達が自主的に始めたことで教師は極力介入しないことになっている。私は最初、期間限定だし、新しいことをするのは良いと思っていた。しかしなあ」  再び深いため息をつく。 「上位の部活の掲示は良いと思う。しかし、下位の部活の掲示までしてしまうと劣等感が出てしまう。志藤君もそうだが、下位の部活は文芸部も写真部も部員が一人で、決して怠慢しているわけではない。同じ考えの顧問の先生方と抗議したが、無駄であった」  志藤は少しだけ安心した。自分達のことを考えてくれる人も居るのだと分かったからだ。 「志藤君は学校は辛くないか」 「まだ、大丈夫です」 「もしVウォーズの所為で辛くなったら、その時は退職覚悟で校長に抗議するからな」  老教師は目を細めた。  もう誰も来ないと思い、教室を出て隣のクラスを覗くと、文芸部の佐藤が退屈そうにパソコンのキーボードを打っていた。顧問は居ない。諦めて帰ったのだろう。僕と同じだ。少し、安心した。 「部活見学の時にも話したけど、入部したらクラスの皆に話しかけられなくなるぞ」  更に隣の教室から声がした。中を覗くと、写真部が居た。 「それでも、どうしても写真部に入りたいんです。お願いします」  小柄な一年の男子が写真部の部長の寺下に腰を折っていた。 「寺下。宮藤は本気だ。良いじゃないか」 「……分かりました。その代わり」  寺下は頭を下げていた一年の顔を上げさせる。 「大事な後輩だ。滅茶苦茶面倒見てやるからな。勉強も分からないことがあれば、何でも聞けよ」 「よろしくお願いします。部長!」 「ちょっと先生、聞きました? 俺、部長って呼ばれた!」 「なんだかんだ、部員欲しがってたもんな」 「だって一人じゃ寂しいですよ」  良いなあ。四宇は羨ましくなってしまった。結局部員は一人のままだった。同じ部員が一人の佐藤に仲間意識を持ちつつも、四宇は自分から話しかけることは出来なかった。  だからあの日。 神城と佐藤が部室に入って来た時は、四宇の宇宙に彗星が通ったような衝撃だった。 “星を見せてくれないか” “志藤のおかげで冷静になれた” それから生徒指導で会った、髪が星みたいにキラキラしている桜。 “四宇先輩” こんな頼りない自分を頼ってくれた楓。 “四宇先輩のおかげです” 僕の宇宙には、様々な惑星が現われて賑やかになった。 だから。 目の前には宇田川が立っている。 今度は僕の番だ。  四宇は腕時計を見た。この時計は裕が高校の入学祝に買ってくれた時計だ。僕はたくさんの人のおかげでここまで生きてこられた。だから、僕の天文部の力は誰かの為に使おうと思っていた。 「宇田川君、君の能力は相手の能力を書き換えることだよね」  あと一分半。何としても時間を稼ぐ。四宇の問いに宇田川は目を丸くした。 「そうだよ。よく分かったね」 「君は相手が何らかの能力を発動しないと、書き換えることは出来ない。だから、いつも相手の攻撃を待っていた」  宇田川は自分からは絶対に攻撃を仕掛けなかった。いや、出来なかった。 「そうだけど、もしかして君も何もしないの。君が動かないと、試合は永遠に終わらない」 「いや、終わるよ」  あと一分。 「終わらせる」 「どうやって」  宇田川は嘲笑を浮かべる。 「春名も神城君も剣道部の子も居ないじゃないか」 「僕の力で終わらせる」  宇田川は相も変わらず余裕を見せる。 「僕は、自分の力を知った時、一回使えばすぐに攻略されると思った。だから、条件を作ったんだ」  宇田川はついに相槌も打たなくなった。 「僕の力は、友達の為に使うって」  あと三十秒。 「じゃあ使いなよ」  これは博打だ。でも。僕の推察が正しければ。 佐藤から聞いた、バレー部の安条の話。 宇田川の組み換えの能力は、きっと回数の制限がある。 「どうせ君は僕には勝てない。さっさと降参した方が良い」 「……嫌だ」 「恥を晒すだけだよ」  時計を見る。あと十秒。 「さっきから何で時計を気にしているの」  宇田川が尋ねる。 「これが僕の能力だから」  そう言って四宇は頭上を指差した。 「え」  さすがの宇田川も驚きを隠せない様子である。宇田川の頭上には隕石が落下している。 「僕の能力は隕石を落下させて、その場に居る全員のライフをなくす力。でも、発動まで三分がかかるんだ」  一度使えば、三分以内に攻撃されるのが目に見えている。だから、初めから使わなかった。それに味方でも、その場にいる者全員が巻き添えになる。こんな強大な力は使いたくない。僕は絶対に友達を傷つけたくない。 「なんとか出来るならしてみれば」 「……」  宇田川は何も言わず、隕石が落下した。思わず目を瞑ってしまう程の閃光が放たれる。更に轟音が響いた。目を開けると、宇田川の姿はなく、代わりに赤黒い巨大な岩が煙を上げている。 “スーパーマルチクリエイター部のライフがゼロになりました。よって、勝者、天文部”  アナウンスが流れた時、四宇は信じられなかった。 「嘘、本当に勝った……」  気力が抜けた四宇がその場に座り込むと、 「四宇君!」 「四宇先輩!」  神城と桜に抱きつかれる。 「下克上、成功だ!」 「四宇先輩、絶対に何とかしてくれると思っていました!」 「志藤、凄いぞ!」  いつもは落ち着いている佐藤も興奮気味に四宇に話しかける。 「あんな隕石、さすがの伊織君も反撃出来なかったんだな」 「いや、賭けに出たんだ」 「賭け?」  神城は聞き返す。 「バレー部の話で、交戦した後にボールを出したら何もしなかったって。しなかったんじゃなくて出来なかったとしたら。もしかしたら、神城君の能力みたいに回数制限があるんじゃないかと思ったんだ」 「四宇先輩、さすがです」  桜は嬉しさの為か、目に涙が溜まっている。 「僕の方こそ、みんなのおかげで勝てたよ」  僕は一人では勝てなかった。お母さん、裕さん。脳裏に二人の姿が過る。僕、やったよ。友達の為に、頑張れたよ。四宇の視界もぼやけ始めた。
/39ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加