Ⅲ章

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Ⅲ章

 「それでVウォーズとは、一体どう言った経緯で始まったのだ?」  超デジタル学園から最寄りの駅までは、歩いて十五分程かかる。丁度学校から駅までの間に公園があり、春名と神城は自動販売機で飲み物を買い、公園のベンチに腰を下ろした。十月。この時期は五時を過ぎると太陽が隠れ始め、夕闇に変わっていく。これから月が顔を出す。 「さっきの部活の時にもちょっと話したけど、超デジタル学園は政府が教育のデジタル化を推し進める為、デジタル化した教育を試験的に実施する高校で、部活のデジタル化も取り組むことになった。そこまでは話しただろ」 「ああ。デジタル化で教科書もノートもなく、タブレット一つで勉強をするとは近未来に生きているようだ。しかし、授業はタブレットで構わないが、読書は紙の本でしたいと思うのは旧時代的だろうか」 「いや、俺もそう思う」  読書はタブレットと言う機械の板ではなくて、紙が良い。春名は未だに本を読みたい時は電子書籍ではなく、紙の本を購入している。 「紙に印刷された文字も電子の文字も同じ文字なんだけど、なんか違うんだよな。やっぱり、ページを捲る時の感覚かな」  春名の言葉に、神城は大きく頷いた。 「分かるぞ。読書は目で文字を追う視覚的な感覚は勿論、手で紙を触れる感覚も読書の内に含まれるように思う。僕達のように幼少期に手で紙を触れて読む習慣が付いたのなら猶更」 「だよな。電子書籍も嵩張らないから良いけど、やっぱり物質で残したいと言うか。本棚に飾りたいって言うのも紙の書籍を買う理由だな」 「僕も全く同じだ! 今度、本棚の写真を撮って来てくれないか」 「分かった」  春名と神城の会話が弾む。こんなに本の話が出来たのはいつ以来だろう。文芸部に入部した時は、皆で好きな作品の話をしたっけ……。あれはもう、一年の前の話だ。 「それで、話に戻るけど……」 「すまない。春名君の他に文学の話が出来る人が居なくてな」  神城は謝りながらも、照れたようにはにかむ。春名も同じ気持ちであった。 「部活のデジタル化が当初の目的と言うのは理解した。しかし、何故部活同士が争うようになったのだ? 元々部活動はそれぞれ同じ志を持った者達と、目標に向かって活動することではないのか」  神城の疑問はごもっともである。全てあいつが悪いのだ。 「VAの最初の目的は個々の部活の効率化だった。部活によってはどうしても場所や人数の問題で練習が制限される。でも一定の場所や空間さえあれば、すぐに練習場所に変わって、現実と同じように練習が出来る。道具だって現実で足りなくても、ヴァーチャルなら必要に応じて作れるし、練習相手が居なくても、仮想の練習相手も作れる。それに運動部なら、怪我の心配だってない」  本当に、最初は良いことばかりだと思っていた。 「文芸部だって文字に書いたことが目の前に現れるし、文学作品の世界に行けるし、最初は本当に楽しかったんだ……」 文芸部は当初、五人の部員が居た。春名は部長ではなかったし、皆が笑って活動していた。それで、良かったのに。 「……争うようになったのは、何か原因があるのだろう」 「そうだ。さっき会った宇田川が、Vウォーズを提案したんだ」  この争いの元凶は宇田川なのである。今でも、あの余裕そうな、何も不安を抱えていないあいつの顔を見ると、腹が立ってくる。 「ヴァーチャル空間で部活をやるって言っても、運動部なら同じメニューの繰り返しだし、文化部もそう変わらない。それでVAの開発チームがもっとそれぞれの部活のデータを取りたいと言ったらしく、宇田川が他の部活と対戦することを提案した。戦うことで今までにない能力の使い方を発見出来て、開発チームのデータ収集に繋がること。あとは部活動同士の交流、共に切磋琢磨することで、練習意識の向上を図ること。それがVウォーズの始まりだった」 「それは……」  神城は目が点になっている。 「反対する人は居なったのか。新たなデータを集めたいと言うのはまだ理解出来るが、それで戦うと言う選択になるのはおかしいだろう」  神城の言う通りである。ただ、あの時は……。 「俺も今となってはそう思うけど、あの時は深く考えなかった。と言うのも、最初Vウォーズは期間限定だったんだ」 「そうだったのか」 「ああ。一ヵ月限定で、それなら協力しても良いかなと思った。それに負けてもヴァーチャル空間だから傷つかないし、本当にゲームみたいな感覚だったんだ」 「そう言われると、確かにそうだな……」  神城は納得したように頷いた。 「Vウォーズのルールは、バトルが始まると全員に五千のライフポイントが与えられる。攻撃をして、相手のライフをゼロにすれば、負けた相手の所有しているポイントを獲得出来る。ライフを削らなくても、さっきのサッカー部みたいに降参すれば同様にポイントを貰える」 「ふむふむ」  神城は熱心に聞きながら、手帳にメモをしている。 「バトル毎に、ライフはリセットされる。だから負けても、次にバトルをする時にはライフはまた五千から始まる。ただ厄介なのはバトルを受けた相手は拒否することが出来ない。さっきのサッカー部の時だってそうだ」 「戦いは強制と言う訳か」 「そう。だから戦わざるを得ない」  いつしかみんな、いつ、何処で戦わないといけないのか、怯えるようになっていった。 「それで最初に部長は一万、部員は一人五千ポイント割り振られて戦ったんだ」 「そうなると、部員が少ない部活は圧倒的に不利ではないか」 「そうならないように最初は調整された。例えば、その時一番部員が多かったのが野球部で四十人居た。対して文芸部は五人。普通にポイントを割り振れば、野球部は約二十万、文芸部は三万になる。そこで文芸部の一人辺りのポイントを四万にして調整したんた」 「いくらポイントを調整して総計を同じにしても、部員の人数の差は、戦いの場では不利だ」  Vウォーズが始まった時に神城が居れば、また違った順位になったかもしれない。春名は目の前の瞳の大きな神城を見て強く思った。神城の双眸はまだ曇っていない。 「お前の言う通りだよ。でも他の部はどうだったか知らないが、文芸部は異論を唱えなかった。たかがゲームだと思っていたんだ」  俺達はあの時、Vウォーズを軽く見ていた。 “どうせ一時的なものだから” “文芸部が運動部に勝てる訳ない” 最初から真面目に取り組むつもりはなかった。 「文芸部は元々、Vウォーズには消極的だった。確かにランキングで上位になれば部費が貰えるとか、VAの開発チームから粗品が貰えるとか、そう言う特典は魅力的に思えたけど、だからと言って誰かに勝ってまで欲しいとは思わなかった。結果、神城の懸念していた通り、少数の俺達は狙われて初日で全部のポイントを持ってかれたよ」  Vウォーズの初日。何が起こったのか、今でも分からない。気が付いたら、戦いは終わっていたのだ。司書室に他の部の大群がやって来て、スマートフォンで操作する時間もなく敗北していた。帰りに順位が最下位になっていて、部員達と苦笑したのを覚えている。 “まあ、すぐに終わるからね” 当時の部長がそう言って励ましてくれた。 しかし、このVウォーズは終わらなかった。 「一ヵ月経って、ようやく順位付けも終わるかと思っていたが、Vウォーズは終わらなかった。何でも目覚ましいデータが取れたとかで、開発側からVウォーズの継続を求められた。当然反発する部活もあったが、上位の部活に返り討ちにされた」 「それはもう、独裁的ではないか」  神城は顔を歪ませる。 「そうだ。それに部活毎に順位を付けることによって、否が応でもカースト制度が現れた」 「それは当然生まれるだろう」  みんな、敗者になんてなりたくない。Vウォーズが開始された直後は、正直戸惑っている者が多かった。しかし、“ヴァーチャル”と言う聞こえの良い呼び方の所為で争いは起きた。どうせ現実ではない。たかがゲーム。そう思っていたが、これはゲームではなかった。ゲームは、プレイしている画面を切れば現実に戻れる、リセットすればやり直せる。それは出来なかった。 これは“現実”だったのだ。 「順位が上だと部費が多く貰えると言う特典は分かったが、逆に順位が下だと、何かあるのか」 「順位が十一位以下は交代で教室の掃除当番がある。あとは宇田川が通った時みたいに、暗黙の了解で上位の部活に逆らえない空気になった」 「掃除当番。何だか意外だな」  神城は不思議そうに呟くが、掃除をすると言うことは、自分が弱者であることを体現しているのだ。 「たかが掃除。気にしなきゃ良いわけだけど、否が応でも他人の視線が目に入る。掃除している俺達のことを気にしない人間も居れば、勝手に哀れんだり、同情したり、馬鹿にする奴らも居る」  春名は辞めて行った文芸部の部員達を思い出す。初めは女子部員二人が退部した。 “ごめん、私達もう耐えられない” 「プライドとか自尊心が傷ついて、他人が自分に向ける視線がどうしても許せなくて、本当にやりたい部活をやめて、上位の部活に入り直す人がたくさん居たんだ」  それから部長と部員一人も、別の部活に入ってしまった。 “もっと本気で戦えば良かった” “部長なのに、守ってあげられなくてごめんね” 今でも去って行く時の部員達の顔が忘れられない。みんな春名に対して申し訳ないと言う懺悔の表情を浮かべていた。加えて、自分の好きな物を手放さないといけないやるせなさを感じた。部室に残ったのは寂寥感だけだった。誰の声もしなくなった部室。春名以外の誰にも開かれない、忘れられた本の数々。 「……俺だけになっちまった」  春名は誰に言う訳でもなく呟いた。 「Vウォーズの得点はあくまで部員の持ち点を合算したものだから、人数が多い部活に入れば何もしなくても上位に行ける。だからみんな、部活を入り直して、平穏な学園生活を手に入れたんだ」 「まあ、気持ちは分からんでもないが」  神城は天を見上げた。空はすっかり、群青色に変わっていた。公園の街灯が春名と神城の座っているベンチを照らす。話に夢中で感じなかったが、身体が冷えていることに気が付いた。 「……春名君は、一人になっても文芸部を辞めたいと思ったことはないのか」 「俺は……」  誰も居ない司書室。最下位になったことで、誰にも話し掛けて貰えなくなった学園生活。こんなに生徒が居て人間も居るのに、春名は自分が他人から見えていないのではと錯覚に陥ったほどだ。さながら透明人間だ。それでも。 「嫌だと思ったことはあるけど、辞めたいと思ったことはないかな」 「おお。春名君は強いな」 「別にそうじゃないけど、賢治だって言ってたじゃん。雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ」 「雪ニモ夏ノ暑サニモ負ケヌ」  神城が後に続いて言って、笑みを浮かべた。春名もつられて笑ったが、本当はあいつ、宇田川に負けたくなかった。文芸部を辞めたら、宇田川に敗北するような気がした。だから、今でも文芸部に残っている。 「人生一度きりなのに、本当にやりたいことが出来ないなんて嫌な学校だな」  神城はぽつりと言ったが、その言葉は、春名の心の中で残響する。やっぱり、この学校はおかしい。 「そうだよな。表向きは、VウォーズはVAの品質向上とか言って、上手く行っているように見せかけている。何か問題が起こればこんなくだらない争いやカーストは廃止になるはずだけど、別にいじめを受けているわけでもないしさ」  さすがに教師達も暗黙のカースト制度に気が付いているだろう。しかし、誰もが見て見ぬ振りをしている。 「ところで、あの宇田川と言う奴は何者なのだ。Vウォーズを始めたり、先程出会った時の佇まいも、何だか権力を持っているかのようだな」 「あいつはあの宇田川グループの息子で、学校に多額の寄付もしてるんだ。教師が抗えるわけがない」 「宇田川グループ? あの鉄道や遊園地の?」 「そうだ」  宇田川は、鉄道会社や娯楽施設などを運営、管理している宇田川グループの息子なのである。春名も最初に出会った時は驚愕した。まさか漫画の世界のような裕福な家の人間と出会うとは思ってもみなかった。 「それは凄いな。だから、あんなに偉そうな態度を取れるのか」 「そうだ。それにVAも宇田川グループが出資しているし、本当に、いけ好かない奴だよ」  あいつの顔を思い出すだけで、春名は身体の内側から殴られたような痛みを感じて、無性に泣きたくなる。あいつによって、俺は全てを踏みにじられた。まるで蟻を足で踏みつぶすように、あいつは俺のことを殺した。俺の心を殺した。 「……春名君、怖いぞ」  神城は不安げな面持ちで春名を見ていた。 「ごめん……」 「と言う事は、文芸部の僕も掃除をしなければいけないのだな」  神城は明るい声を出す。気を使わせてしまったようだ。 「今週は休み。俺達は来週から放課後に教室掃除だ」 「承知した!」  神城はベンチから立ち上がって敬礼をする。久しぶりに、誰かの笑顔を見た気がする。そして、こんな楽しい時間も、久しぶりだ……。 「……文芸部、入ってくれてありがとう」  ここ一年、ずっと一人で活動をしていた。カーストの所為で、教室でも最下位の春名の存在は無視されていた。まるで空気だ。いや、空気は人が生活する上で欠かすことがで出来ないものだが、春名の場合は居なくても問題がない。塵に等しい。学校に行っても、教師に問題を当てられない限りは誰とも話さなかった。一言も声を発さない日も多くあった。  でも今は違う。自分は平気だと強がっていた。俺にはパソコンがあって、自分と言う存在を言葉に、文字にして表す。これで十分だと思っていた。でも、違った。本当は、寂しかったんだ。神城と話していて感じた。声が出せること、言葉を記すのではなく、言葉を発すること。そして久々に会話して感じた、喉の渇き。それがこんなに懐かしくて、もう手放したくないと、考えもしなかった。 「そう思うなら、近々春名君の作品を読ませてくれないか」 「……その内な」  春名と神城は公園を後にして、駅へと向かった。日はすっかり沈んで、月が顔を出していた。
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