Ⅳ章

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Ⅳ章

 「春名君、おはよう!」  翌朝教室に行くと、神城は教室中に響き渡る声で春名に挨拶をした。春名は恥ずかしくなって、小声で返事をした。 「ねえ、神城君」  女子の一人がおずおずと神城に声を掛ける。 「何だ」 「神城君、どうして佐藤君に挨拶するの」 「どうして?」  神城は目を丸くする。 「同じ文芸部だからだ。何か問題でもあるのか」  神城の言葉に教室のざわめきが消えた。転校生がVウォーズ最下位(現在は十九位だが同じようなものだ)の文芸部に入部した。この事実が教室の異様な空気を作り出している。神城に話し掛けた女子は何も言わずに離れて行った。神城もカーストの恐ろしさを身を持って知っただろう。順位が下の部活の者は無視されているに等しい。誰が始めたわけではない。学校中に悪しき空気が伝染して、広がって行った。この学校の規律は、昇降口前の電子掲示板の順位で決まる。順位が己の価値を決めるのだ。  放課後になり、春名は神城と部室である司書室へと向かっていると、司書室の前に昨日春名達を襲撃したサッカー部の二人ともう一人、男子生徒が立っていた。春名と神城の姿を見るなり、男子生徒がやって来る。 「文芸部の佐藤君だよね」 「そうだけど……」 「俺はサッカー部のキャプテンの五十嵐司佐(つかさ)だ」  五十嵐は眉目秀麗で爽やかな印象を受けた。春名の目をしっかりと見て話し、他の、下位の者を見下す奴らと目が違うことが分かった。こいつはたぶん、良い奴だ、と春名は直感する。 「昨日は一年の部員が文芸部を襲ってごめんなさい」  そう言うと五十嵐は頭を下げ、後ろに居た二人も慌てて腰を折った。春名はサッカー部の予想外の行動に動揺する。 「別に気にしてないから、頭上げてくれよ……」 「すみませんでした」  顔を上げても、尚も五十嵐はすまなそうな表情を浮かべる。 「言い訳だけど、文芸部を襲ったのはこの二人の独断で、サッカー部の意思ではないんだ。それを分かってほしくて……」 「本当に、俺達気にしてないから」 「そう言ってくれると、助かるよ」  五十嵐はようやく、安堵の胸を撫で下ろしたようだった。 「擁護するわけじゃないけど、こいつらもサッカー部のポイントの為にやったことなんだ。今、色々やばくて……」 「色々やばいとは?」  今まで黙っていた神城が尋ねる。 「こっちの事情なんだけど、グラウンドの使用権を争ってて。元々グラウンドは野球部、陸上部、サッカー部で平等に使ってたんだけど、野球部が弱者に使わせるグラウンドはないって言って来てさ。何とかランキングの上位十位以内に入らないとまずくてさ……」  五十嵐の顔が再び曇る。 「失礼だが、サッカー部の順位は幾つなのだ」 「九位。凄いぎりぎりなんだ」 「ちなみに野球部は?」 「二位」  神城の質問に五十嵐は沈んだ表情になる。 「俺達、本当はただサッカーをしたいだけなんだ。それなのに、部活毎の順位があって、順位を保つのに必死で練習に集中出来ないし、今度は練習場所まで奪われそうになって。ヴァーチャルで練習すれば良い話だけど、現実の試合は本物のサッカーボールを蹴るんだ。順位が高いからって何しても良いってわけじゃないのに……」  五十嵐は悲痛な表情を浮かべた。 「ごめん、愚痴って……。それに、二人の方が順位が下なのに、嫌な感じだよな」 「そんなことないぞ。むしろ、安心した」  春名の言葉に五十嵐は驚いたようだった。 「順位が上の奴らでも、俺と同じこと思ってるんだなって」 「僕らは最下位だが、何か手伝えることがあったら言ってくれたまえ」 「ありがとう」  五十嵐達ははもう一度礼をして、春名と神城の元から去って行った。 「部員がしでかしたことなのに、自ら謝りに来るとは大した男だな。さすが主将をやっているだけはある」 「そうだな」  神城の言葉に春名も同意する。それにランキングが上位の奴でも、俺と同じことを思っているんだな。春名は意外に思った。上位だからと言って、Vウォーズを肯定しているわけではない。もしかしたらみんな口に出せないだけで、この戦争を良く思っていないのかもしれない。文芸部は他校と競うことはないが、運動部のように試合や大会がある部活は、ヴァーチャルではなく、リアルで練習したいはずだ。それなら、尚更Vウォーズの順位付けは足枷になる。  その後、春名と神城は司書室で文学の話に花を咲かせた。久しぶりに文芸部らしい活動が出来て、春名は忘れていた何かを思い出した。これが普通なんだ。何にも怯えず、自分のやりたいこと、好きな事をする活動。それが、本来の部活動ではないのか……。  昨日と同じく、下校のチャイムが鳴る前に、春名と神城は帰ることにした。二階にある司書室を出て階段を下ろうとした刹那。廊下から声がした。 「お前、俺達よりも下の順位なんだから言うこと聞けよ」 「ちょっとお茶を飲みに行くくらい良いだろ」 「やめてください……」  二人の男子生徒が女子生徒に詰め寄っている。女子生徒は明らかに困っている様子だ。本当に嫌な制度だ。順位が上だからと言って、何をしても良いわけではない。春名が怒りを感じていると、横に居たはずの神城が春名の前方に立っていた。 「君達、明らかに彼女が困っているのが見えないのか。お茶ではなく、眼科に行った方が良いと思うぞ」 「は? 誰だよお前!」 「僕は神城由希也だ」  神城は何故だか、仁王立ちで胸を張って答える。 「お前は何処の部活だ」 「文芸部に所属している」 「文芸部?」  二人が笑い出した。 「最下位の部活が偉そうに何だよ」 「二位の野球部に勝てると思っているのか」 「今は勝ち負けについて話しているのではない。順位が高いからと言って、下の者を使役して良いわけではないだろう。勝手に自分達のルールを相手に押し付けるな」  野球部の顔色が変わる。明らかに苛ついた様子だ。 「……お前、むかつくな」 「実力を見せてやる」  野球部がスマートフォンを操作する。まずい。Vウォーズになる。春名の焦りも空しく、 “只今より、Vウォーズを開始します” と、アナウンスが無常に告げる。 “ヴァーチャル・フィールドが展開されます” 視界が閃光に包まれる。ヴァーチャル空間に切り替わる合図だ。 “バトルを開始します” Vウォーズが始まる。 「神城!」  慌てて神城に近付くが、神城は春名を手で制した。 「あの二人は僕だけで十分だ。春名君は彼女を頼む」  神城には何か策があるのか、余裕綽々のようだ。春名は言われた通り、女子生徒の方に近付いた。 「大丈夫ですか」 「大丈夫です。ありがとうございます……」  女子生徒は頷いたが、怯えているようだった。春名はとりあえず、スマートフォンにライオンと虎の名前を書いて召喚する。 「え、何⁉」 「驚かせてすみません。こいつらは俺達を守ってくれます」  驚く女子生徒の前でライオンと虎は野球部に威嚇をする。春名はVウォーズの時は決まって生き物を出す。その方が指示をすれば、従ってくれるので楽だからだ。仮に武器を出しても、結局は自分が武器を持って攻撃しに行かないといけない。ならば、ライオンや虎に命令をして攻撃した方が、自分のライフが減るリスクも減らせる。 「行くぜ!」  野球部の平部員の能力は巨大なミットで相手の攻撃を防御する力である。野球部員の前には壁のように、巨大なミットが出現している。この力は一見すると守りに徹した能力だと思うが、ミットを自由に操ることが出来るので、そのままミットを相手にぶつけて攻撃することも出来る。春名はこの巨大ミットで大勢の部員が一掃された光景を何度も見た。  一方、神城はスマートフォンを操作している。すると、学校の廊下が鬱蒼とした木々に包まれた風景へと変わる。また『注文の多い料理店』か? しかし、今回は西洋風の家の代わりに、野球部員の後ろに川が流れていた。 「は、何だこれ?」  さすがの野球部員も、自分達が居る廊下から森の風景に変わった事に動揺を隠せないようだ。この後、一体何が起こるのだろうか、春名も心拍数が上がっていくのを感じた。 「まあいい。早く退場しろよ!」  野球部の一人が神城にミットをぶつけようとした刹那。野球部の動きが止まった。威勢の良かった顔が青ざめている。何があったんだ?  見ると、野球部の右足が。得体の知れない赤色の手で掴まれていた。女子生徒が悲鳴を上げる。虎とライオンが唸る。あの手は……。初めて見る。いや、初めてでないとおかしい。言い伝えと聞いていた生物。頭に皿があり、カエルのようなぬめぬめとした光沢を放つ、赤い皮膚。じっと、何か言いたげに、人間のような双眸で俺達を見ている。 河童だ。 野球部が声を上げたと同時、部員は川に引きずり込まれた。まるでホラー映画の世界に入り込んだようで、ただ見ている春名まで心臓が止まりそうになる。ヴァーチャルでも、湧き上がった恐怖の感情は現実なのだ。今や野球部二人も巨大なミットも消え、何事もなかったのように川のせせらぎが耳に入る。 「今日は柳田国男の『遠野物語』から、河童の話にした。一度、河童の姿を見たくてな。河童の身体は一般的には緑色とされているが、遠野の河童は赤色らしい」  笑みを浮かべる神城に対し、春名と女子生徒は何も言葉が出て来なかった。 “勝者は文芸部です” 薄暗い森から、茜色の夕日が差す廊下へと戻る。虎とライオンも消えた。野球部は唖然としていた。まさか自分達が敗北するなど思わなかったのだろう。 “文芸部に野球部の得点が譲渡されます。詳細はアプリをご覧ください” アナウンスが終わると、神城は野球部の二人の元に進んだ。 「もう金輪際、下の順位だからと言って他人を見下すな。同じことをしたら、また僕が河童に頼んで君達を川に引きずり込むからな」 「……」  野球部は何も答えずに顔を伏せる。 「おい、何をしている」  ふいに新たな声が入った。声がした背後を振り返って見ると、そこには野球部の主将、高瀬涼雅が立っていた。身長は春名よりも低いが、がっしりとした体格で、宇田川とは別の意味で立っているだけで威圧感がある。宇田川はまだ顔に笑みを浮かべるが、高瀬はいつも不機嫌そうで、誰も笑った顔を見たことがないと言われている。 「キャプテン! これは……」  野球部員は狼狽する。 「君は野球部のキャプテンか。勝手ながら部員の不躾な態度を改めさせてもらった」 「貴様は誰だ」 「僕は神城由希也。しがない文芸部員だ」  そして神城は春名の右腕を掴む。 「こちらが文芸部の部長佐藤春名、佐藤春名だ!」 「やめろって!」  選挙のように勝手に春名の自己紹介をする神城を制するが、高瀬は二人のことは気にもせずに、野球部員の元へ進む。 「お前達、全部見ていたぞ」 「キャプテン、すみません!」 「つい、油断してしまって……」 「油断は弱さの言い訳にしかならない」  高瀬は冷たく言い放つ。 「力こそが正義だ。力を弱者に行使するのは力がある者の特権だ。しかし、弱者に敗北したとなると、お前達は弱者以下。つまり、弱い人間でもない。ただの虫けらだ」  何てことを言うのだろう。春名は愕然とする。確かに部員がしたことは許されないが、それでも同じ部員の奴らを虫などと呼ぶだろうか。 「キャプテン、どうかチャンスを下さい!」 「絶対に失った分以上のポイントを稼ぎます!」 「虫の言葉は分からない。お前達はもう野球部でも何でもない。退部だ」  高瀬の言葉に二人は絶望的な顔でその場に座り込んでしまった。 「退部になるとどうなるのだ」  神城は小声で尋ねる。 「他の部活に入り直すしかない。まあ、入部を受け入れている部活があればだけど」 「なるほど。同じ状況でもサッカー部の司佐君とは部員への処遇も態度も大違いだな」  神城の言葉に何故だか高瀬が振り返った。鋭い眼光で睨みつけてくる。 「力こそが正義だ。俺はあんな甘ったれた司佐とは違う」 高瀬は五十嵐と何か因縁があるのだろうか。確か、グラウンドの使用権利を争っていたと言うが。 「司佐君は甘ったれているのではなく、慈悲深いのだ」 「たまたま勝利したからと言って調子に乗るなよ、転校生」  高瀬は神城を睨みつけると、この場を去る。 「転校生じゃない、神城由希也だ!」  神城は背を向けた高瀬に向かって叫ぶが、返答はなかった。退部を言い渡された部員は項垂れている。さすがに気の毒に思えた。 「あの、ありがとうございました……」  女子生徒は春名達に深々と頭を下げて礼を言うと、この場から走り去った。 「……何だか、僕が想像している以上に、この学校は悲惨だな」  神城は静かに呟いた。
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