六、『憧憬』

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 玲はごろりと寝返りを打ち、ため息をついた。 (全然眠れない)  仰向けになり、自分の目を覆うように顔に腕を乗せてみる。いつもならばとっくに眠っている時間だというのに、眠気はまったくと言っていいほど訪れてくれそうにない。玲は顔の上からずるりと腕を退けると、もう暗闇に慣れてしまった目で夜の天井を見つめた。  玲の冴え渡った頭の中では、今日の下校時のことが何度も何度も繰り返されている。好きとはなにかを尋ねた玲に、穏やかに微笑んだ一馬の表情。玲を責めるでもなく、それが玲なのだと理解して受け入れた上で応えてくれたその優しさ。隠しきれない期待を滲ませた瞳で玲を見つめ、そして、逃がしたくないとでも言うように玲の手首を握った大きな手の熱。  思えば、あんなふうに一馬から触れてきたのはいつぶりだろうか。もう何年も、一馬が玲に直接触れてくることはなかったように思うのだ。たとえば鞄の紐を引っ張ったり、袖を掴んだりしていた。 (あっつ)  玲はかぶっていた布団を蹴り飛ばして体から退かした。体が、顔が、ぽっぽと火照って熱い。玲は大の字になって、深呼吸をする。そうやって体を冷やそうとする。けれどやっぱりうまくいかない。  ――隣にいられる、絶対的な理由がほしい  そう穏やかに言った一馬を、玲は「綺麗だ」と思った。夕焼けを背負ってキラキラと輝いて見えたからかもしれない。穏やかだけど、相も変わらぬその瞳が真っ直ぐな光を宿していたからかもしれない。そんな風景が、一馬の姿が、脳裏に焼きついて離れない。  それと同時に、先日に気がついてしまった自分の胸の内をまた思い出す。  ――俺は、一馬に、なりたかった  より一層、玲の胸は熱を持った。玲はまたため息を吐き出すと、早々に体を冷やすことを諦めた。のろりと上体を起こす。眠るのもいっそ諦めてしまおう、と思ったのだ。幸いにも明日は休日だ。朝早く起きなければいけないような用事もない。  玲はベッド脇にある窓を開くと、窓の桟に肘をついて外を眺める。昼間は暑さが目立ってきたこの頃だけれど、夜はまだまだ涼しい。ひんやりとした控えめな風が玲の火照った頬を撫でた。  一馬に憧れる。それは、自身でも随分前から認めていた感情でもあった。一馬は玲にはないものをたくさん持っている。一馬みたいになってみたい、一馬みたいに生きてみたい、と漠然と思ってきた。  それだけだったはずなのに、その漠然とした憧れに、今、意味が見出されようとしているのかもしれなかった。玲は自身の感情、その胸の内を、深掘りし始めている。  ――好き、だから  一馬が冗談にしようとした告白。ちゃんと考えると伝えたときの一馬の嬉しそうな上気した頬。今日の、一馬の熱い手。  それから、自分は今振られているのか、と眉尻を下げた一馬に首を横に振ろうとした自分。  ――隣にいてもいいっていう権利がほしいんだ。無条件の権利が  隣にいるのに理由が必要なのか、玲にはよくわからない。特に一馬は玲の隣にいて当たり前の存在だし、自分もまた、なんの理由もなく一馬の隣にいてもいいものだと思っていたから。でもそれは、幼馴染みという関係があってこその当たり前なのだ、と初めて理解した。もしも玲と一馬が家も近くなく、親同士も特別に仲がいいわけではないただのクラスメイトだったならば、こんなふうに当たり前に隣にいるような存在ではなかっただろう。  じゃあ、今ふたりが当然のように隣にいるのは、幼馴染みであることが『理由』だとしたら。  その『理由』はきっと、透と友里子の関係のようになくなったりはしない。ふたりは恋人であるという『理由』をなくして、顔も合わさなくなってしまった。あんなに仲がよさそうだったのに、だ。きっと別れたカップルなどそんなものなのかもしれないけれど、恋人がいたことのない玲には、それはよくわからない感覚だ。  とにかく、そんなふうにこの『理由』はなくなりはしないけれど、幼馴染みは別の『理由』で上書きされかねないものでもある。『幼馴染み』は、たぶん『恋人』には勝てない。隣に立つ『理由』においては、たぶん。 (なんか、嫌だな)  自分以外の誰かが、いつか、一馬の隣に立つのだろうか。そんなことを考えると、腹の底にふつふつと黒い澱のようなものが湧いてくるのを感じる。玲は自分の腹に手を当てた。気持ちが悪い。玲はそこをやわやわと撫でる。 (一馬も、これが嫌だったのかな)
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