六、『憧憬』

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「玲は確かに食わず嫌いだけど、無関心ではいられないタイプだもんな」  そしてそんなことを言った。その声は先ほどまでの悪戯めいたものではなくて、真剣味を帯びている。でも玲を責めるようなものでもなく、穏やかで優しい。 「前に訊いたことあるだろ。おまえ、なにに興味があるのって」 「うん」 「俺、おまえが答えられないってわかってて訊いた。ごめん」 「……うん」 「玲は、いろんなことに興味がありすぎてひとつに絞れないんだよな。俺はそういう玲が羨ましくて、」 「え?」  と、一馬の言葉が意外なもので、玲は思わず遮るように声を上げてしまう。一馬は苦笑を浮かべる。 「情けないよな。本当にごめん。ないものねだりなんだよ。なんにでも関心がある玲にちょっと嫉妬したりもしてた」 「いや、そうじゃなくて」  玲は首を傾げる。 「どうして俺を羨ましがるの? 俺は、一馬みたいにひとつの道に一直線のほうが羨ましいけど」  そんな玲に、一馬は驚いたように目を見開く。そして次の瞬間には、吊り目がちな目尻をふにゃりと下げ、顔を破顔させた。はは、と声を出して笑う。 「そっか。玲は、俺が羨ましいの」  唐突に笑い出した一馬に、玲は戸惑いながらも頷いた。 「うん。俺は一馬みたいになりたかった。だから、すごく悩んでた」 「学校サボってみたり?」 「そう」  うんうん、と玲が一馬の問いを肯定すれば、一馬は「そっか」とまた笑う。 「俺はずっと絵を描くことにしか興味がなかったから、そのほかのことになにも目を向けないままここまで来ちゃったんだ。それを後悔したことはないけど、ただ、たまに思うんだよ。こんなふうにこれだけに目を向けてていいのかなって。ほかにもっと別の、なにかすごいものがあるんじゃないかって。かと言って、じゃあ別のなにかに目を向けてみようと思っても、やっぱり興味がなくてさ。すぐに飽きちゃうんだ」  だから、と一馬は言う。 「玲みたいに、まあ多少の食わず嫌いはあるにせよ、手当たり次第に手を出して、みんなそこそこに面白がれる人っていうのは、俺にしてみれば羨ましいことなんだ」 「そう、なんだ……」  玲は驚きを隠せない。玲が一馬を羨ましい、憧れると思っているのと同じように、一馬もまた、玲を羨ましい、と思っていたのか、と。 「結局、ないものねだりなんだ」  納得したようにそう呟けば、一馬は笑って「そうだね」と頷いた。  それから、玲はまた目の前の絵を見上げる。そして、眠れなかった夜に考えていたことを、ふと、口にしてみる。 「俺ね、昨日眠れなかったときに、思ったんだよね」 「うん?」  一馬の相槌は優しい。 「この絵、俺はね、太陽が夜に憧れてると思ったんだ」  もう一馬の解説で自分の考えは違っていたことはわかったけれど、言わずにはいられなかった。 「あの消えそうな月とか星とかさ。太陽が昇れば、掻き消されちゃうわけじゃん。太陽は、そういう暗闇とは一緒にいられないわけで。だとしたら、きっと夜に憧れるんだろうなって」  そう言ってから、玲は「あ」と気がつく。 「これも結局、ないものねだりってことか」  玲の言葉に、一馬は目を細めた。 「自分が持ってないものとか、どうしたって持てないものに、人は憧れるんだろうね」 「うん。そうみたいだ」  それから玲は、一馬に向き合う。 「ねえ、」  思っていたよりも堅い声が出た。玲の緊張を感じ取ったのだろう。一馬の顔からも笑みが消える。強張った表情で、「なに」と促してきた。
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