六、『憧憬』

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「もう一個、付き合ってほしい場所がある」  一馬は少し緊張した面持ちで、玲の言葉に頷いた。  ざん、ざざん、と波の音が耳を叩く。  学校をサボっていた間に玲がいた、あの海岸だった。ふたりは今、その浜辺に並んで腰を下ろして海を眺めている。  海辺にたどり着いた一馬は、小さく笑った。 「好きだね、ここ」 「サボってる間、ずっとここにいた」 「昔からじゃん。ことあるたびに、玲が行きたいっていう場所はここだったよ」 「嘘」 「本当。無意識だったの?」 「あんまり意識はしてなかったな」 「海が好きなんだなって思ってたけど」 「別に好きじゃない。潮くさいし」 「それこそ嘘だろ」 「……よくわからなくなってきた」 「そ」  そんなふうに軽い言葉でやりとりをしているのに、ふたりの間にはずっとピンと糸が張り詰めたような緊張感が漂っていた。玲は、一馬の告白の答えを出そうとしていた。そして一馬もまた、玲がこれから話そうとしていることをわかっているのだろう。玲を促すこともせず、ただ黙って、玲の言葉を待っていた。 「考えた」 「ん」 「前に一馬に訊いたこと」 「……ん?」  が、玲が今口にしようとしているのはそれではない。いや、答えを返そうとは思っているのだ。けれど、伝えたいのはそれだけではない。  ただ、一馬のほうはもちろんそうではなかったのだろう。おそらくは、なにかしらの覚悟を決めてここに来たはずだ。そして、玲の言葉を待っていた。だと言うのに出てきた玲のその言葉に、一馬は呆けたように問い返してくる。 「好きってなんだろうって話」 「あ、ああ……」  一馬はわずかに動揺を滲ませながらも、小さく頷いた。 「俺はさ、好きって気持ちだけでぶつかり合うような恋愛は、たぶん向いてないんだ。俺は、一馬と同じだけの力をもって、その気持ちをぶつけ合うことはできないかもしれないって思う」  言ってから、玲は「いや、違うな」とひとり首を横に振った。 「好きって気持ちはあるんだ。それは一馬と同じくらいなんじゃないかな。ちゃんと、好きだよ」 「え、」  一馬が声を上げる。 「ええ、ちょっと待って、す、」 「一旦最後まで聞いて」  けれど、玲は一馬の言葉を遮って止める。一馬は口を半開きにしたまま、けれど玲に従って言葉を止めた。 「つまり俺は、一馬が好きって言ってくれたみたいな、こう、相手に感情をぶつけるみたいな、そういうわかりやすい愛情表現は苦手なんだよ。たぶん」  玲はそこまで言うと、体育座りしていた膝に顎を埋めた。 「前にさ、彼女と別れた友だちが言ってたんだよね。好きって気持ちだけじゃ、お互いに傷つくだけだって。俺にはそれが正しいのかはわからないけど、ただ、ちょっとわかるなって思った。俺のことを好きって言った一馬は、苦しそうだったから」  玲は顎を預けていた膝に、今度は頬をつける。そうやって顔を傾けて、隣に座る一馬を見る。一馬は妙に背筋を正して、玲を見ていた。その顔はあまりにも真剣で、けれど、口は先ほどの名残か半開きのままで、なんとも中途半端な表情をしていた。玲は思わず小さな笑みを零してしまう。
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