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03_無自覚さんの降臨なのだ
「あたしがバスクチーズケーキを楽しみにしていて、めちゃ買いたいのも知っていて、それで先に商品を買ったわけ?」
「うん」
「──最低だね」
「市場の自由競争を舐めたらいけませんぞ」
「なんか使い方違う、っていうか、え、ちょっと待って」
それって、とあたしは口元に手を当てる。知っていた? なにを? どこからどこまで? ひょっとして……いつもあたしの前になんかやっていたのは?
「うん」とこれまた沼崎は心を読んだかのようにうなずいた。
「新川、全然気がつかないんだもんな~。いつまでおれ、こんなことやってりゃいんだろうって、正直疲れちゃったさ」
あたしは目をするどく細める。
それって……あたしの前で地下鉄定期券継続チャージしていたのも、図書館で本を借りていたのも、レポート提出をしていたのも、豚丼を注文したのも、ラスいちのメロンパンを買って去っていったのも──。
「偶然なわけないっしょ」
「はあっ?」
「しいていえば『運命』?」
沼崎は嬉しそうに空になったバスクチーズケーキのプラ容器を掲げてみせる。キャッチコピーの『運命の恋』のテープが夕陽に反射してきらめいた。
「いやあ、大変だったさ~。お前の動きを予想して、数秒前に行動をする。早すぎても駄目だし、遅かったらストーカーだし」
「わざとだったの?」
それって、えっと、と目を白黒させるあたしを沼崎は実に嬉しそうな顔で見ている。
なんだか腹が立ってきた。
あたしがこの一か月ちかく、どんなにイライラしていたか。全部お前のせいだって、自覚はあるのか、沼崎よおっ。
「だけど、まあ、楽しかったな」
「は?」
「そりゃ最初はいつお前が驚くかなってわくわくして仕掛けていただけなんだけどさ。ほら、お前ってリアクション最高だから。ご近所だから、いつでも仕掛け放題だし」
「ちょっとっ」
「お前って意外とかわゆいのな。仕掛けのタイミングみるためにずっとお前のこと、見てきたんだけどな。弁当の蓋を開けて嬉しそうにしたり、ラベンダーの花が咲いていたら顔を近づけて嗅いでみたりよ。ころころ表情が変わって、見ていてあきなかったし」
な、な、な、とあたしの顔が熱くなる。こらえきれずにあたしは叫んだ。
「あんた、あたしのこと、どんだけ好きなのよっ」
「へ?」と沼崎が動きを止める。
「いや、おれは」といいかけて沼崎は言葉を切った。
呆けたような顔であたしを見つめて動かない。
やがて沼崎の鼻がひくりと動いたかと思ったら、じわじわとその耳が赤くなっていた。それから頬から白目まで真っ赤になる。
ふっとあたしから視線をそらし、伏せた目のまま口元に手を当てた。その首筋も見事に真っ赤だ。
こいつ──無自覚だったのか。
それであたしに逆ストーカーをしていたのか。
なんて、なんて──馬鹿なんだ。
ギュッと胸が苦しくなる。しまった、と思ったけれどもう遅い。
これは……えっと、うっわ、やばい。
おのれバスクチーズケーキよ。なんてことをしてくれたんだ。
図らずも運命の恋になっちゃったでしょうが~。まさに商品のキャッチコピーどおり。陳腐すぎて泣けてくる。
でも、と沼崎の目を見る。沼崎もこっちをそっと見てきた。まったくもう、と笑みを向ける。
「……あたし、馬鹿って結構好きかも」
いっそう耳を赤くして、沼崎は反則級の笑顔を見せた。
(了)
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