1.眩暈

1/1
前へ
/3ページ
次へ

1.眩暈

夏の日差しのように熱く、突き抜ける雲のように真っ白で、夜空の一番星のように輝いてる。 それが彼だった。 17歳の彼は私には眩暈がするほどまっすぐで眩しかった。 一年前、旦那に浮気され泥々の離婚劇を経験してズタボロだった私は運良く故郷の高校に転勤できた。 もしあのまま東京にいたら私は灰になってたかもしれない。 まだ30、いやもう30。 誰にも頼らずに一人で生きていこうと決めるにはまだ早い? そんなモヤモヤは学校から見える海を前にすると消えていく。 「真歩先生、ここから海見るの好きですね!」 そして彼の屈託のない爽やかな笑顔にかき消される。 「下の名前で呼ぶなって言ったでしょ?」 「え?でも皆そう呼んでるよ。ダメですか?」 私が前にいた高校の生徒たちは優秀で、困らされることはなかった。 けど、時々彼らの前で授業するのが怖いと思うことがあった。 まるでロボットのように見えたからだ。 でもここの生徒たちは違う。 私が授業してるのを邪魔するほどよく質問してくるし、ちゃんと私を見て話を聞いてくれる。 それが何より嬉しかった。 特に彼、乾尚之は私がこの学校に来てから何かと話しかけてくる。 久々に来た新任だからか、毎日のように質問責め。 でもどーでもいいことばかり。 好きな果物はなんだの、無人島に持っていくならなにがいいだの。 プライベートなことには一切触れてこなかった。 普通、歳とか独身かとか、何でこの学校に来たのかとか、そういうことを聞きそうなもんなのに。 でも聞かれなくて良かった。 多分、彼に愚痴ってしまう。 弱音を吐いてしまう。 生徒相手に。 一度ぷつんと糸が切れるとほどけてしまいそうなぐらい、まだ私は弱い。 そんな自分を高校二年生の彼に晒すわけにはいかない。 という教師としての自覚だけが私の支えだった。 夏休み、離婚後久しぶりに東京に向かった。 旦那とお義母さんに会うためだ。 会いたくなかった。 ほんとは行きたくなかった。 でも仕方ない。 お義母さんが私に会って謝りたいと言っている、らしいから。 お義母さんは離婚報告をした後、ショックで倒れ入院した。 で、軽い検査をしたところ初期の胃ガンだと判明した。 もう手術も終え、後は退院を待つだけ。 そうなって改めて私に会って謝罪したいと言い出したらしい。 「嫌なら断ってくれていい。」 と言われたが、そうすると後味がますます悪くなりそうなので了承した。 が、今になると断れば良かった。 どうせ病室に入って目が合った途端、泣き出されるだろうから。 そして私は思う。 泣きたいのは私の方だ、と。 そして予想通りお義母さんは謝りながら泣いて、元旦那は頼りなく突っ立ってるだけ。 私は仕方なく笑顔を繕い、お義母さんに駆け寄り、 「泣かないでください。もう終わったことですから。」 と慰める。 なんだこれ。 そう思いながら私はお務めを終えた気分でドっと襲いくる疲れと共に電車に乗った。 帰り際、元旦那がぼそっと「ありがとう。」って言った気がしたけど聞こえないフリをして立ち去った。 もう二度と会わない人、そう思うと急に他人に思える。 いや、浮気が分かる前から私たちはとっくに他人だった。 お互い、気付いてたはずだ。 駅に着くと、偶然乾くんと会った。 「真歩さん!」 「先生でしょうが。」 「え?でもここ学校じゃないし。学校以外でも先生って呼ばれたいんですか?」 「そうねぇ、学校以外では話しかけられたくないけど。」 「へぇ、冷たいなぁ。送ってあげようと思ったのに。」 「自転車で?2人乗りは禁止だけど?」 「じゃあ大人になったら車で迎えに来てあげます。」 「大人になったら私のことなんて忘れるわよ。」 「忘れないよ。俺記憶力いいんで。」 そんな話をしながら本当に家まで送ってくれた。 「そうだ、これお礼にあげる。」 東京土産を一つ彼にあげると、 「やったー!!大事にします!」 とバカみたいに喜んでくれた。 「いや食べ物だから賞味期限までに食べてね。」 「勿体なくて食べれないな。でも食べます。ばぁちゃんと。」 そう言いながら自転車で去っていく後ろ姿が映画みたいだった。 彼は子供の頃に両親を事故で亡くして祖母と二人暮らしだ。 私も同じような環境で育ってきたから彼の気持ちは分かる。 誰にも泣き言を言えない。 わがままも言えない。 早く大人にならなきゃってずっと思ってた。 だから早く結婚したかった。 焦りすぎて失敗したけど。 どうか彼が私と同じ失敗をしませんように。 そう願ってる。 それから月日は流れ、卒業式を迎えた。 彼は優秀で東京の大学に進むことになり、卒業式でも代表に選ばれて登壇した。 彼が最後に私を見て、 「中野先生に感謝します。俺たちの為にあなたがしてくれたこと全てに。」 と言ってくれた時は少し涙が出そうになった。 大したことはなにもしてない。 私はこっちに帰ってきてからずっと目の前にあることをこなしてきただけ。 そうしていれば過去を振り返らなくてすむから。 彼らにはこれから輝かしい未来がある。 そんなことを思いながらみんなを見送ってまた新たな季節を迎えた。 それから10年の月日が流れ、私は40になった。 とはいえ、なにも変わってない。 教師を続けてること以外。 何度か近所のおばちゃんたちにお見合いを薦められたりもしたけど断った。 東京にいた頃の先生たちにも心配された。 このまま一人で生きてくの?まだ若いのに。 とみんな同じようなことを言う。 そんな頃だった。 初期の乳ガンが見つかったのは。 検査をしたが転移はなく簡単な手術で済んだ。 それがきっかけで私は考えるようになった。 もし私が死んだら何が残るんだろう? そんなことをふと。 急に未来のことを考えるようになったり、今までのことを振り返ったり、自分と向き合わざる負えなくなった。 仕事を休んでる期間、家で引きこもりのように生活してるとだんだん病んでくる。 かといって、田舎にはなにもない。 散歩でもするか、と外に出ると彼がいた。 「真歩さん!」 相変わらず彼は眩しくて目眩がした。 「乾くん、どうして?」 「こっちに帰ってきたんです。」 「東京で就職したんじゃないの?」 「しましたよ。」 そう言いながら彼は近づいてきて、急に男の顔になった。 「約束したでしょ?車で迎えに来るって。」 「え?あぁ、そういえばそんなこと言ってたね。」 「だから帰ってきました。どっか行きましょう!」 私はそのまま彼の車に乗せられた。 どこに行くかなにも決めないままのドライブ。 彼はずっと、東京に行ってから今までの話を延々とした。 私は気付くとずっと笑ってた。 そういえば何年、こんな風に笑ってなかっただろう? 最後に笑ったの、いつだっけ? 「東京に住んでみて、真歩さんはこんな生活送ってたんだなとかここのご飯も食べたことあるのかなとか色々思ってました。」 「東京に住んでた頃はほとんど外食だったからね。連絡くれたら紹介してあげたのに。」 「連絡しなかったのはちゃんと一人前になって会いたかったからです。」 「ということは、一人前になれたの?」 「俺的には。車も買えたし。真歩さんからしたら俺はまだまだガキのままかもしれないけど。」 「乾くんはあの頃からガキではなかったよ。何かみんなより大人に見えた。というか大人ぶってた。分かるけどね。わたしもそうだったから。」 「両親が事故にあったのは俺のせいだってずっと思ってました。あの日、俺が二人に早く帰ってきてってワガママ言ったから。だから二度とワガママは言わないって決めた。」 「あなたのせいな訳ないじゃない。」 「でも俺のせいです。そう思ってたいんです。でも真歩さんにはワガママに付き合ってもらいたくて帰ってきました。」 「このドライブが?」 「いえ。一生僕のワガママに付き合って欲しいんです。」 「え?どういうこと?」 「俺、初めてあなたに会ったときから絶対この人をお嫁さんにしようって決めてたんです。ばぁちゃんにそう言ったら笑いながら、あんたそれはがんばらないとねぇって言われました。」 私は頭が真っ白になった。 「だからこの10年頑張ってきたんです。俺の嫁さんになってください。」 「はぁ?なに言ってるの?」 「本気ですよ。」 確かに彼の目は本気だった。 しかもちょっとやそっとじゃ諦めてくれそうにない。 あの頃から変わってない。 「私一回結婚してるの。だからもう、」 「もう、幸せになりたいと思ってない?」 そう聞かれてなにも答えられなかった。 「俺も変わってないけどあなたも変わってないですね。海を見てるあなたの横顔はいつも何故か寂しげだった。」 「それでなに?同情した?」 「同情、したかもしれない。けど、それ以上にあなたには幸せになって欲しかった。心から笑って欲しいと思った。17歳のガキなりに考えました。」 「もっと考えることあったでしょ。」 「そうですよね。でも仕方ない。出逢ってしまったから。だからあなたも諦めて下さい。」 「嫁になれって?」 「俺が嫁でもどっちでもいい。」 彼の濁りのない目を見てるとクラクラする。 でもその反面、何故か私は彼の強さにほだされそうになる。 彼とならまた笑って生きられるようなそんな気がする。 ただ、それが彼にとっての幸せなのか。 それでいいのか。 「考えてること全部分かるんですけど。」 「え?」 「俺もワガママになるから、あなたもワガママになってください。」 信号待ち、夕焼けが彼の頬を赤く染めていく。 彼は私の手にキスをした。 「もうすぐ信号が青になります。進みますか?それとも、」 「...分かったわよ。進めばいいんでしょ?」 「一人じゃない、一緒にだから。大丈夫。」 そう言って私の手を握った。 やっぱり...目眩がするほどいい男。
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5人が本棚に入れています
本棚に追加