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2.陽炎
彼女に出逢ったとき、俺は直感的にこの人と結婚するって思った。
でもそれは一目惚れとかそういうものじゃなかった。
実際、俺は彼女にドキドキしたりしなかった。
でも気がつくといつも見てる。
心配になる。
海を見つめる横顔はいつもどことなく寂しそうに見えた。
でも17の俺が慰めの言葉をかけたところで。
そう思って敢えてどーでもいい話ばかりした。
無人島に持っていくなら?
って聞くと、
「紙とペンかな。」と答えた。
「紙とペンなんて役に立たないですよ。」
「役に立つとか立たないじゃないの。せっかく無人島に来てるんだからそこで発見したこととか思ったことを書き留めておきたい。それにもし、無人島で死んでもいつか私の日記を誰かが読んでくれるかもしれないじゃない?」
彼女は変わっていた。
こんな変わってる人が本当に俺の奥さんになるのか?
でも、ある日東京土産を持って歩いてる彼女の姿を見たとき思った。
この人はどうしたら笑ってくれるんだろうか?
って。
これは恋とかそんな甘酸っぱいものではないけど、確かに俺は彼女を大切に思った。
卒業してから10年間。
俺は東京で色んな人と出会った。
時に素敵だなと思う人とも。
だけどいつも頭の片隅に彼女がいた。
寝る前、ふと思うんだ。
彼女は笑えてるだろうか?
10年間会ってなくても、俺は彼女の顔や声を忘れなかった。
不思議だ。
きっとこれから先、彼女以上の存在には出逢えないと思った。
だから迎えに行った。
だいぶ見切り発車だったし、強引だったかもしれないけど俺は彼女と結婚するという確信だけはあった。
「で、結婚するって言っても乾くんは東京でしょ?」
「ですね。お互い仕事辞めれないし。」
「じゃあ別居婚にしよう。」
「え?」
「そうすれば今まで通りだし。」
「今まで通り、ではないよ。」
「え?」
「夫婦だから。これからは俺のこと頼ってください。俺も頼りたいんで。」
「...じゃあ一つおねがいしたいことがある。」
そう言われてなにかと思えば、壊れた戸棚を直してほしいってことだった。
「ありがとう、助かった!買い直すか迷ってたのよ。」
「あとは?何かありますか?」
「尚之って呼んでいい?」
そう言われてやっと俺は彼女を抱き締めることができた。
「俺が真保さんのこと先生って呼べなかった理由、今分かったかも。」
「なに?」
「呼びたくなかった。教師と生徒っていう壁を作りたくなかったんだと思う。」
「そんなのあんまり感じなかったけどね。」
「頑張ったんだよ。」
「ねぇ、ワイン飲まない?こないだ友だちにもらったんだよね。」
そう言ってグラスとワインを持ってウキウキしてる彼女が可愛かった。
不思議なもんで、俺たちは13も歳が離れてるのに会話が成り立っている。
何故か見てきたものが一緒だったりする。
それはばぁちゃんのおかげかもしれない。
「こんな昔の曲よく知ってるねぇ。」
「ばぁちゃんが好きだったから。」
「今度カラオケ行こう。どっちがより古い曲知ってるかだね。」
「...真歩さんが笑ってるの見てると嬉しくなる。」
「え?なによ急に。」
「急じゃないよ。あの頃からずっと思ってた。」
「あの頃は色々あったからねぇ。そりゃ笑えなくもなるよ。」
「もう忘れられた?」
「忘れはしないけど。」
それから彼女は離婚のこと、乳ガンの手術をしたこと、死を意識したこと、そして俺のことを話してくれた。
「尚之はいい男だ。あの頃から変わってない。あなた自覚してなかっただろうけど結構モテてたよ。」
「え?」
「でも女の子に目もくれなかったから。全然気づいてもなかったでしょ。勿体ない。」
「まぁ、俺は真歩さんしか見てなかったんで。」
「ほんとに?」
「ずっと見てた。でも、なんていうかそれは見守ってたという方が正しいかも。」
「17歳の男の子に見守られてたの?」
「だって真歩さんいつも寂しそうだったから。」
俺がそう言うと彼女は抱き締めてきた。
「バレてたか。もう君に隠し事はできないなぁ。」
「隠し事。じゃあ俺も一つ暴露する。」
「なに?」
「実は、童貞です。」
彼女はしばらく唖然とした。
「彼女は1人も作らなかった。」
「え?10年だよ?」
「うん。一応ね、何人かにアタックされたりはしたんだけど。」
「もったいない。遊べばよかったのに。」
「そんなタイプじゃないから俺。」
「まぁ確かにそうだね。」
「もし、17で真歩さんに出会ってなかったら遊んでたかもしれないけど。でも出会ってよかったと思ってる。」
「ほんとに?気を遣って嘘つかなくていいわよ?」
「ついてないよ。真歩さんは10年間誰とも付き合わなかったの?」
「ないない。私は1人で生きてくって決めてたからね。めんどくさかったし。柿崎さんとこのおばちゃんに何度かお見合い勧められて断るの大変だったけど。」
「お見合いしてみればよかったのに。」
「確かにねぇ。一回ぐらいはしてみてもよかったかもね。」
「嘘だよ。乗っからないでよ。」
俺は彼女にキスをした。
「緊張した。」
「緊張が移った。」
「もう一回していい?」
「なんで聞くのよ。」
彼女は強気に見えて俺より緊張してたらしい。
後から聞いた。
それから俺たちはお互いの日常に戻った。
変わったことといえば彼女の名字が変わったことと、ほぼ毎晩ビデオ通話をすること。
週末はどちらかの家に行き来すること。
彼女は柿崎のおばちゃんに何度もお見合いを勧められた結果、俺と結婚したことをカミングアウトした。
そしてあっという間に情報は回り回って、東京にいる俺に同級生たちが聞いてきた。
「お前、略奪婚したってマジ?」
一緒に東京に出てきた綾瀬に呼び出され、第一声がこれ。
「略奪って。彼女、うちの学校に来たときはもう離婚してたし。」
「どうやって口説いたのよ?」
「うーん、口説いたっていうか。単刀直入に言ったというか。」
「先生、めちゃくちゃ鉄壁じゃん。お前凄いな。」
「鉄壁?」
「だってあの頃、先生にめっちゃ言い寄ってた奴いたよ?あの教材の営業の...」
「え?そうだったの?」
「何度か食事に誘ってんの見たけど、毎回断られてた。」
「へぇ。」
俺が覚えてる限り、あの営業マン結構イケメンで仕事できそうな感じだったのに。
確かに鉄壁。
じゃあ何で彼女は俺と結婚したんだろう?
そういえばあの時は浮かれててちゃんと理由を聞かなかった。
それに、俺は彼女から好きとか言われてないし...
そんなことを考えたら不安になってきた。
この一抹の不安が後に俺たちに影を落とすことになるとは思いもしなかった。
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