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18 エルと神谷の出会い
土曜の夕方、エルの好きなカフェに来ていた。
「エル、お待たせ」
「あ、ありがと! 旨そうだな」
「エルは本当に、ここ好きだね」
「うん? だって自分の金じゃ絶対こんなに頻繁に来られないもん。持つべきものはお金持ちの番だな」
今では神谷が一人で注文できるまでに成長したので、エルは先に座席を取っていて座って待っているだけという家同様に怠惰なデートをしていた。
「なんだか、僕の価値がそれだけなのは寂しいけど、こんなの普通過ぎるよ? 僕の価値の一つでもあるお金ならもっとあるから、普通に贅沢させてあげたいのに、いつもここって、エルが控えめ過ぎて泣けてくる」
「う、俺のことディスってる? 俺の価値観って偏っているのかな? 恭一とだいぶ違うのは気づいていたけどさ、きっと庶民でもないくらいの底辺の生活水準だったんだよ。なんでこんな俺が、恭一の運命なんだろな? なんか悪いな」
記憶を失う前は、どうしてこの男と出会うことができたのだろうとエルはふと思った。
神谷ほどの上級国民みたいな代表の男がいるような場所に、どうしてエルはいたのだろう。神谷がエルを見つけた時、エルは荷物を一つも持っていなかったそうだ。身一つでヒートを起こしていた。だから身分を証明するものが一つも無くて、いまだにエルの正体はわかっていない。
一応、犯罪者との照合をしたので、凶悪犯でも、指名手配犯でもないということがわかっただけだった。そして行方不明リストにも登録はされていない。社会のごみかもしれないが、社会に迷惑はかけていなかったと信じたいエルだった。
「そんなこと言わないで。僕はエルに出会えた奇跡に感謝しているんだよ」
「ふ――ん」
無関心を装ったが、エルは密かに喜んでいた。
「あの日、僕は渋谷の会場で、ある講演会をしていた。警察ではオメガ犯罪を減らすために、オメガ自身に危機管理能力を身に着けてもらいたいと奮闘しているんだ。その一環で僕は一般のオメガ相手に講演会や講習会を開いている。それは知っているよね?」
「ああ、動画とかでも見たよ。恭一すごいよね、なんか説得力あるし、あんな話を聞いたら気を付けなくちゃって思うから、俺でも理解できるような話し方で親しみ持てて良かった」
「エルにそう言ってもらえると、とても嬉しいな」
ここは土曜の夕方の人気カフェ。
そんなところで番相手とはいえ、満面の笑みを浮かべるイケメンに、まわりがほうっとする。エルはなんだか気恥ずかしくなった。その笑顔はエルのためだけにあるような、そんな錯覚に陥った。エルが照れると、神谷はエルの頬を撫でる。家での触れ合いのようなことを外でされると、さらにエルは戸惑っていた。
「ちょっと、ここ外だから。そういう触り方は」
「どういう触り方?」
神谷は小憎らしい笑顔で、エルに聞いた。
「もう、だからそんな笑顔を振りまくな! 俺以外のやつがお前を見てドキドキさせたらどうする」
「ん? 嫉妬?」
エルは自分が言った言葉に焦った。いったい自分は何を言っているのだと……。
「なんか日本語おかしかったな、とにかく外で気安く触るな」
「だめだよ、エルが僕の番だと周りに見えるようにしないと。エルがナンパされたら相手の男をどんな手を使ってでも検挙しちゃうかもしれないから、僕に誤認逮捕させないでね?」
神谷は笑顔で、不当なことをいうとエルは思うが、家でも外でも、いつだって神谷は神谷のままだと、逆に安心もしている自分にエルは驚く。
「なんだか、俺、恭一がいないとだめになりそうで怖いわ」
「怖くないよ、ダメになればいい。というか僕がエルの側に居ない日は来ない。これからもずっとエルは僕だけだよ」
「うん? なんだか怖いセリフのような気もするけど、まぁ、いいか。それより、その講演会ってもしかして俺も観客席にいたのかな?」
神谷は真面目な顔に戻した。
「いや、あの日のチケット購入者と、講演会の聴衆者を全て監視カメラで確認したけれど、エルはいなかった。だから本当にたまたまあの日、あそこにいてヒートを起こしていたのだろうと警察内部では推測されたんだ、ただ……」
そこまでしていしたのかと驚いたエルだったが、話を途切れさせるのも悪くて、そこについては何も言わなかった。
「ただ?」
「エルの香りを確認したのは、あの日が初めてじゃないんだ」
「ん、どういうこと?」
神谷はエルに、というよりも自分自身に確認するように話し出した。その内容は、神谷は以前にもエルの香りをオメガ相手の講演会の会場付近で、確認したことがあると言った。
神谷は半年くらい前に、一度だけ会場内でオメガの香りを確認したが、それはすぐに消えてどうしても探せなかった。
初めて確認した日から、神谷は会場のセキュリティーを強化して全ての聴衆者の身分も連絡先も登録制に変えて、もう一度あの時の香りに出会った時、後追いできるシステムを作った。だが、それ以降は確実な香りを確かめることはできなかった。
そして残り香くらいの、自分以外のアルファは全く感知できないフェロモンをたびたび感じていた。そこで、神谷は会場の外も見回るようになった。そしてあの日、エルを発見した。
「だから、もしかしたらエルも僕を探してくれていたのかなって」
「え? じゃあ俺は、恭一の香りを知っていて、周りを探っていたとか?」
エルは自分達の日常に、そんな交わりがあったのかと驚いた。エルの普通の毎日の中に神谷もいた、そう思えると少し嬉しくなった。
「わからないけど。何度もニアミスはしているんだよ、それはエルからも僕に近づいてくれていなければ起こらないよ。エルが言った通り、僕たちはきっと住む世界が違う、だからいくら僕だけが行動したって出会えない、エルだって僕を探してくれたんじゃないかな? 僕たちが出会ったのはお互いが行動したからだと思わない?」
「俺が……ああ、わかんねぇや! 本当にこうもさっぱり記憶って抜けるもの?」
神谷はエルの頭を撫でた。
「医者は、初めて運命と出会った衝撃が大きすぎたんじゃないかって言っていたね。事例が少ないからなんとも言えないけれど、だからエルが記憶を戻すのは僕としては少し怖いんだ。以前のエルは僕を探してくれていたかもしれないって思って嬉しい反面、記憶をなくすほどの衝撃って、どうとっていいのかもわからなくて……」
「よっぽど嫌な奴が運命だなって思ったとか? 親の仇とか?」
エルは笑いながら言ったが、神谷は悲しそうな顔をしたので、エルは言葉を間違えてしまったと後悔した。
「ごめん、憶測で変なこと言ったな」
「いや、いいよ。でも僕は警察だしね。僕が捕まえた犯罪者の家族とかで僕に恨みを持つ人がいないほど、潔白に生きてきたわけじゃないからね」
「やっぱり俺、犯罪者なの!? それも酷いな。ほら、あとは恋敵だったとか!?」
「その説はもっと嫌だな。ということは僕を好きな誰かを、エルが好きだったってことじゃないか!」
「ああ、そうなるか?」
神谷は少し元気がでてきたようで、エルも安心した。
「今は何もわからないから、憶測でしか考えられないし、あまり否定的なことを考えたくないよ。でもエルの記憶が戻っても、僕たちは大丈夫だって思えるんだ。エルこそ僕という運命を求めていたんじゃないかって、思いたいだけかもしれないけど。それにどちらにしても番になった以上は、もうどうしようもない。たとえエルが僕を思い出して嫌だって思っても、エルは僕の番としてしか生きられないから、ごめん。諦めてとしか言いようがない」
「……うん、そうだよな? オメガは番解除されたら衰弱しちゃうんだっけ? じゃあ今が円満ならこのままでもいい気もするなぁ」
神谷はエルを抱きしめる
「うわっ、お前また。ここは公共の場だからさ」
「エル、愛している。たとえエルの記憶が戻っても、どれだけ僕が嫌いかを思い出したとしても、離さない」
「こらこら。お前を嫌いとかまだ言っていないんだから、決めつけるなよ」
「愛している」
「うん」
エルはさまよっていた手を神谷の背中につけて、しっかりと神谷を受け止めた。その時、エルの視界に、あの男が入った。
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