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19 過去を知る人物
「あっ」
「ん?」
「あの男……」
神谷は抱擁をといて、エルの視線の先を追った。
「ああ、あの子。このあいだ具合悪くなったオメガの子?」
「オメガなの?」
「オメガじゃない?」
「どうしてわかるの?」
「雰囲気? そんな感じ?」
「ふ――ん」
神谷はエルを見た、そして不思議そうな顔をした。
「どうした?」
「いや、なんでエルはそんなにあの子のことが気になるの?」
「なんでって、別に、ただ、なんとなく?」
さきほどの記憶云々の話から、エルが記憶を取り戻すのは得策ではないとエルも思った。
もし思い出して神谷の言う通り、本当に親の仇のように神谷を憎んでいたとしたら、今あるこの感情をどう処理していいかわからなかったからだ。
神谷を受け入れている今現在のエルの心が、神谷を拒絶したら、今度こそ狂ってしまうのではないだろうか。それに得た知識で番というのが、いかに重要なのかも知ってしまった。
今さら真実を知って番を受け入れられないなんてことになったら、エルの命に関わる。もう番を受け入れられない感情はいらない、そう思ったエルは、この間のあの男との逢瀬も神谷に知られてはいけないと思った。
きっと、彼から過去のエルの何かしらを知ることはできるだろう。
”俊”という名前がエルの本名なのは間違いない。そして神谷といるエルに驚いたあの男の顔からして、エルと神谷が一緒にいるべき相手ではないのだろう。番が神谷だと知って、エルのことを知らないと言ったあの男こそ、神谷と会ってはいけない人物なのかもしれない。
隣に座る神谷を見ても、あの彼を知っているようには見えなかった。だとするとあの彼は、一方的に神谷を知っていた、エルの過去の知り合いなのだろう。そして神谷に良い感情は無いように見えた。
「なぁ、もう帰ろう」
「そうだね、これ以上ここでエルに触るとキスしたくなるから、出ようか」
「……」
「そんな目で見ても、キスはしたいんだよ?」
「わかったから、ほら出るぞ!」
エルは神谷の手を握った。いつの間にか自分から外では自然に手を繋ぐようになっていたことに気が付かないエルは、普通に手を引いたが、神谷は少しずつ変わるエルの行動に嬉しくて仕方なかった。
ふと神谷は先ほどの男がいた方向を見ると、男はエルを見ていた。そして向こうも神谷の視線に気が付いたようで目が合うなり、あからさまに目をそらされた。店内の監視カメラの位置だけ確認して、エルに引かれるままにそのカフェを後にした。
神谷は翌日、あらゆる手段を使って、あのオメガの素性を調べ尽くした。すると神谷が望んだ以上の結果が出てきたが、それだけだった。部下から上がってきた報告書をパソコンで見て、そのままファイルは閉じた。
そしていつもの日課である、自宅カメラを起動させてエルの行動を見ながらも、次の仕事の資料に取り掛かっていた。何事もなく、それはいつも通りの神谷の流れだった。
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