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20 思い出す
エルは最近の日課である、神谷の過去の動画を漁っていた。
いつも通り、ネットサーフィンのようなただの流れ作業の中に、ひとつ何か心を揺さぶられるような画像が見えた。それはいつもの神谷の講演会の動画ではなく、神谷がテレビ番組に出演した際の短い動画だった。とてもキラキラしたイケメンが、笑顔で画面に向かって話している。その声、その顔、全てがエルにはキラキラして見えた。いつも自分を愛していると言う男ではなく、よそ行きの作られた顔だったが、その姿がエルには引っかかった。
そして、耳が、細胞が、全てがそこに映る神谷に集中した。
「うっ、はっ、ああ、なんだ、これ」
急に体が熱くなった。発情期の記憶があまりなかったが、これはあの神谷と初めて交わった時のような感覚に似ている、そう思った。
手は自然と自分の誇張する部分を触る。もう片手は神谷に開発された胸の突起を触った。
「あっ、はぁっ!」
この部屋は神谷によって見守りという名の監視をされている。昼間から一人盛っているなどという失態を見せるわけにはいかなかったエルは、急いでトイレへと歩みを進めた。
トイレは唯一、神谷がカメラを設置していない場所。それを知っていたので、トイレで応急処置をして手を洗った。
神谷から連絡はない、ということは仕事に集中をしていてエルの監視はしていなかったのだろう。自分が神谷の動画を見て発情したなどと知られたら、神谷のことだ。喜んで連絡をしてくるに違いない。それがない今、エルは安堵した。
落ち着いた今なら大丈夫だろうか、そう思うも、再度確認するのが怖くなった。だが、あの動画には自身の記憶の何かが隠されている。
大きく深呼吸すると、またエルは動画を見始めた。先ほどの動画から画面は既に自動で次の動画へと動いていた。
今度は警視庁が出している公式の動画だった。初めて見る? いや、何か知っている。エルはそう思った。
それはいつもの講演会と違って、少し難しい内容だった。それでも、今のエルでは初めて見たはずだったが、画面の中の神谷の言うセリフが、神谷が話す前なのにわかってしまった。
画面の神谷が言葉を発する。
『抑制剤だと言い、実際は発情誘発剤をオメガに売りつけて、むやみやたらとオメガが自衛のために薬を飲むことに対して否定的な一部のアルファが犯罪に手を染め、オメガの一生を奪うという卑劣な犯罪が……』
「……ハビコッテ、イマス……オメガが自衛するには……」
その続きの言葉を、エルは動画で話す神谷の言葉にかぶせた。
『はびこっています。オメガが自衛するには、安価だからと言って街で抑制剤を買わないこと』
そして案の定、エルが言った言葉を動画の神谷は話す。
『自分自身がフェロモンを管理できるように、普段からヒート時は必ずかかりつけ医の処方する抑制剤を使用することです。少しでも安価だからといって、かかりつけ医以外からの購入は、今後の人生を狂わせることとなります。抑制剤は高額で買えないと言うならば、低所得者証明を提出すれば国が決めた機関での受診や医療費が……』
エルはこの後に続く、神谷のセリフのすべてを知っていた。続きも言葉に出せるくらい、先の言葉もわかっていた。
どうして自分は見たこともない神谷の動画の内容も、言葉全ても間違えず暗記していたのだろうか。そんな疑問が起こり、警視庁が出している関連動画を次々漁るも、やはりオメガ犯罪についてのすべての神谷の言うセリフがわかってしまった。
その時ふとエルの脳内に、誰かと、自分の会話が流れてきた。
『また見てたの? そんなに真面目な動画で顔赤くして興奮できるなんて、俊くらいだよ。よっぽど彼が好きなんだな』
『えっ、好き?』
『そうだろ、ファンになったんだろ?』
『ファン?』
『彼がそんなに気になるならさ、一回会いに行ってみなよ!』
『そんな、僕みたいな底辺のオメガが、あんな凄い人となんて会えるわけないよ』
記憶の中に流れてくる話の相手は、あの時のカフェで出会ったオメガ男性だった。そしてエルは俊という名前で、自分のことを”僕“と言っていた。
『大丈夫だよ、俺が俊のために孝彦に頼んで、神谷恭一の講演会のチケットをゲットしてやる』
『神谷恭一の……』
――神谷恭一の、チケット?
そして頭の中の場面が切り替わる。
『で、どうだった? 講演会!』
『うん、ヒートが来た』
『え? どういうこと』
『神谷さんが会場に入ってきた途端、女性たちは興奮して周りは騒がしかったんだけど、僕だけはなんだか急に静かな世界にいるみたいに、周りの声も聞こえないくらい彼だけが、彼の声だけが僕の中に入って来たんだ。そしたら急にヒートがきて、慌てて会場を出た。ごめん、せっかくチケットもらったのに』
初めて実物の神谷を見に行った時、自分はヒートを起こしたと友人に言った。
好きなアイドルに合うと女性はホルモンが活発になって、生理が急に来たと言う話を聞いたことがある……だからその現象が起きたんだなと、友人は言った。
また違う日の場面が、頭に流れてきた。
『ねぇ、もう一回だけ会いに行ってみたら? その乱れたヒートの原因かもしれないし、もう半年もそんなヒート繰り返して、いい加減オメガの機能がおかしくなるって』
――あっ、まさか、これは、俺の記憶?
『無理だよ、無理。また興奮してヒート起こしたら、それこそ犯罪者として捕まっちゃうから』
『でも、もしまた会ってヒート来たならさ、それこそ一回抱いてもらえるチャンスじゃない? 俊は処女だから重く考えがちだし、一度経験した方がいいって。そうじゃなくても一度会って確認しなよ、それで神谷のことを諦めたなら、今度こそ俺がアルファを紹介するから。番がいないと俊だって生きづらいでしょ』
『そんなこと……』
『大丈夫だって、まさか二度もヒートなんて来ないからさ。あの日は初めて推しに会った衝撃だよ。とにかくもう一度生で見ておいで。このままじゃその乱れた発情期のせいで社会生活できなくなるよ、それこそ死活問題だし』
エルはその瞬間に全てを思い出した。そして涙が溢れてきた。
『どうしても緊張するなら、これ、使って』
『これは…?』
『孝彦のとこで売りさばいているモノ。大丈夫、むしろヒートになれば、神谷もイチコロ!』
エルは、いや、俊はこの時全てを思い出した。
「あ、ああ、俺は……僕はっ、神谷さんを……」
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