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4 バースの世界
警察署内に入り個室に案内されると、部屋の真ん中にはテーブルと椅子が置いてある小さな部屋だった。パイプ椅子は二つテーブルを挟んで置かれ、二つは壁に折りたたまれたまま立てかけてあった。セットされている椅子に案内されたエルはそこに座ると、向かいに警察官が座った。
「君はバース性も自分がオメガであることも、男が妊娠することも知らない。それで間違いない?」
「ええ! 男が妊娠する!? 知らないよ、そんなの。なんなの、なんのファンタジー? そのバースって言葉もオメガも知らない。俺が知っているのは、男は妊娠しないし、異性同士のカップルしか子供はできない。大多数の人は同性と体の関係は持たない。それが俺の思う現実だけど……」
警察官は頭を抱えていた。人は困ったら本当に頭を抱えるのかと、エルは客観的にその現状を見てしまい、逆に申し訳ない気持ちになった。
「お巡りさん。なんか、ごめんね。面倒な客が来て」
「あっ、いや。すまない。俺もこんな状況は初めてで。どう? 気分は悪くなっていないか?」
「あっ。うん、大丈夫みたい。でも俺を囲った神谷って男の言ったことが、納得できたよ。だから子供がどうだとか、番がどうとか言っていたんだね。結婚しようって言われた時は、こいつ本当におかしいって思ったけど、この世界は男同士でも結婚できるってことだね?」
警察官は驚いた顔をした。
「求婚されていたのか。じゃぁ君は愛されて番にされたんだな」
「そういえば、愛しているとも言っていたな。運命だとか、やけにメルヘンな頭の持ち主だったけど。運命ってそんな言葉を成人男子に使われて俺、思わずゾクってしたよ。この男、本当に気持ち悪いなって、ははっ」
「待て、運命なのか?」
運命。
運命なんて、まともそうな成人男性が聞き返す。しかも警察ともあろう大人の男が話す内容ではない。そう思って、エルは自分が当たり前に思うことをしゃべった。
「お巡りさんまでそういうメルヘン好きなの? いくらイケメンからでも、そんなこと言われて喜ぶ人いないんじゃない。運命なんて言葉は寒いだけだよ」
「いや、メルヘンじゃなくて。もういい、聞きなさい。最後までバースの話をするからね」
「えっ、うん」
エルは警察官の真面目な顔に「メルヘン」では片付かない何かが、まだあるのだろうと察した。だから今度は黙って全ての事実を聞くことにした。
「この世界には、男と女がいる。男が女を愛して子供が生まれる……それは知っているね?」
「うん」
まるで幼い子供に、子供がどうやって生まれるかを説明するかのような話だった。
「そしてここからが、君が知らない話。というか忘れてしまっている現実になるが、男と女は更にアルファ、ベータ、オメガという三つの性がある」
「え?」
エルは本当に知らない話過ぎて、驚いた声が出た。警察官はエルの反応を見ながら少しずつ話していく。
「アルファは、男女ともにオメガを孕ませることができる優秀な遺伝子を持つことからトップの人間に多い。ベータはたぶん君の思う一般的な男女だな、ごく普通の人種。そしてオメガは男女問わず妊娠可能で、発情期があることから社会的立場が弱く、守られる存在だと俺は思う。ここまでわかる?」
「えっ、じゃあ、男も女もアルファ、ベータ、オメガってのがあって、世界には六個の性別があるってこと?」
警察官の話によると、自分はオメガらしいので、劣等種なのかとエルはがっかりした。
「そうだ。ただ一般的にはほとんどの人がベータとして生を受ける。アルファは人口の二割、そしてオメガはもっと少ない一割。世界の七割は君の言うところの普通の男女だ」
「ふ、ふーん。凄い世界だな」
警察官の真面目な顔に、これがこの世界の真実だと受け入れるしかないというのはわかる。しかし物語の中の世界のような話に、エルはいまいち真実味を感じていなかった。
「そして君はオメガだ。オメガには、女性はもちろん男性にも子宮がある。そしてオメガは三カ月に一度、発情期と呼ばれる期間がだいたい一週間続き、ひたすら精液を体に入れることしか考えられなくなる。君が意識とは関係なく求めていたというのは媚薬ではなくて、ヒートと言われる発情期間中だったからだと思う。その際の性交は、男女ともに妊娠しやすくなる」
ヒート、発情期、そしてずっと朦朧としていた意識。エルは、確かににあの期間ずっと神谷を求めていた。それが不快だと思わなかった。性交中は最高の快楽があり何も考えられなかった。それはエルがオメガで発情期だったから。警察官の言葉に妙に納得してしまった。
そこで、エルは思った。
――そうか、ここは異世界なんだ。異世界転生って本当にあるのか。
エルの中ではなぜか覚えがあった。自分のことを思い出せない中、なんとなくエルがいた以前の世界で流行っていた事柄。
異世界転生……、小説やアニメでよくある設定。
ざっくり言うと、不幸な主人公が今と違う世界へ転生して、チートを授かり幸せになる物語。エルは自分の中にある常識とあまりにかけ離れていること、さらには自分自身やその変な妊娠設定を全く覚えていないことを考えると、記憶喪失ではなく、異世界に来たことによって以前の生活を忘れたのだろうと悟る。
言葉は自然にわかる。地名も警察も知っている。普通の事柄については全く問題ないのは、よくある設定だ。でも、なぜ自分が? しかもチートは今のところ見つからず、最大の能力は妊娠できること。そんな要らないものを授かっても意味がないどころか、なんと不幸すぎるのだろうと思った。
もしやエルは前世か転生前に徳を積んでい人生を送ったのかもしれない。だからこそ、今度は不幸になってこいと逆チートな転生をした――そう考えるしか答えが見つからない。
疑問だらけだったが、この世界をやり遂げたら、夢落ちで戻れるのかもしれない。そうだ、きっとそうだろうと、エルは答えを見つけた気でいた。いわゆる現実逃避に近いものだが、客観的に見てこの状況をこなそうという考えに至ったのだった。
「ここまで大丈夫?」
「うん、なんか納得したよ。あの時ずっと変な感じがあって、自分は男なのに男に掘られて気持ちいいって嫌だったけど、それならしょうがないのか?」
「君は妙に男気あるな。納得したならいいけど」
警察官はそう言って、優しい顔で笑った。エルはこの人なら話を信じても大丈夫だと、なぜか確信していた。それにこれまであった経緯と、この男の話はなぜか妙にしっくりと交じり合う。
「でね、アルファはオメガの発情期に反応する。アルファとオメガはフェロモンという普段から心地よく香る程度の独自の香りを持つ。発情期はそれが噴出されるほどで、普段気づかないベータでさえも触発されるんだ」
「へぇ」
エルはもはや、自分のことではなく異世界の物語を聞いているかのような面持ちだった。警察官は続ける。
「発情期中のオメガは誰彼構わずフェロモンで男女を誘う。これはもう自然現象でオメガが悪いというわけではなくて、そういうものだ。だからオメガは発情期の期間は抑制剤を使用して、フェロモンを抑えるんだが、これは個人差があり、それでも完全に抑えきれない人もいる。アルファの精液を摂取すれば楽になるんだ。法律でも発情期は仕事や学校を休む義務が決まっているし、アルファに至ってはオメガの嫁がいる場合、発情期を一緒に過ごす休みが法的に認められている」
「ってことは、アルファはオメガの嫁がいたら三カ月に一度は休んでいいってこと? なんかその休みの理由が恥ずかしすぎるね」
この世界は凄い。公にセックスするからお休みしますっていうことを、当たり前に警察官から教わった。エルはとんだ世界に来てしまったとがっかりした。
「正確には三カ月に一回、一週間の休みだ。ちなみに俺の嫁もオメガだから、そういうことを堂々としているわけだ。決して恥ずかしいことではないよ。愛し合うのは自然の摂理だ」
「へ、へぇ。ちょっと待って、さっきアルファは女性でもオメガを妊娠させられるって言っていたけど、女の子がどうやってケツの穴に精液をいれるわけ? そもそも女の子は、挿入するブツをもってないでしょ」
いくらファンタジー世界でも、そこはおかしいとエルは思った。まさか、コウノトリがこの世界にはいるのだろうかと。
「ああ、アルファ女性は興奮すると、普段は隠されているが男と同じモノが出る。アルファ女性は妊娠させられるし、妊娠もできる。子宮も精子も両方持っている。オメガ男性もまあ、同じだけど。なにせオメガ男の男根は小さいから、それに比べたらアルファ女性のアレのデカさはアルファ男性と同等だからな。アルファ女性は、最強だ」
「……す、すげぇな」
エルはただの興味本位でこの世界の常識を聞いていたが、あまりに突拍子なさすぎることに驚いた。ここはエロに特化した世界なのかと。自分がここに来たことは、何が目的なのだろうか。
それを考えたところで答えは見つからないので、ひたすら呆然としていた。
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