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北の町へ向かう早朝、シラーが雑貨屋へ見送りに来た。俺は伝えていなかったのだが店長が連絡していたらしい。店長本人はまだ眠っている。昨晩、車の点検を手伝ってくれた疲れがあるのかもしれない。
シラーはあくびをしながら「気を付けてね」と月並みなことを言う。彼にそうした言葉は似合わない気がして、思わず小さな笑いが出た。
「なに笑ってんの……クルマ、事故起こさないようにね」
「君だってたまに二輪の操作が怪しいからな」
そうかなぁ、とシラーは首を傾げる。大きめのシャツの首元から鎖骨が見えそうになっており、反射的に直してしまった。
「あ、ありがと」
「気を付けろ」
「ははっ、ベネさん相手だとどうもね。……あのさ、餞別ってんじゃないけどさ。困らせちゃうかもしれないこと、言って良い?」
「全く以て餞別じゃないな。何だ?」
直接的にはともかく、間接的にシラーへ山程迷惑をかけたことは間違いない。どんな内容でも聞くが、と少し身構える。
「僕、もうちょっとお金が貯まったら、リンの民の生き残りを探しに行くつもりなんだ。でも、もし見つかんなかったときはベネさんを頼りたくて」
金銭的に? と呟くと、躊躇いもなしに首を横に振られた。
「ベネさんの模様が欲しい。僕のうろこと皮膚に入れて。身体に彫ってよ」
「……」
「駄目?」
「……刺青は専門外だが?」
「そのときまで練習しててよ。……ま、僕が人探しを成功させるのが一番だけど」
「意図が読めないんだが……」
「僕だけのうろこが欲しいんだ。傷だらけのうろこになんて誰も見向きしなくなる―だけど僕にとっては最高の、僕だけのうろこでしょう?」
シラーはにやりと、歯を見せて大きく笑う。
すぐに頷きたいのを辛うじて堪えた。あのうろこは自分のものだと錯覚しそうになる。シラーは誰のものでもないのに。
手に入れたいものを眼前に差し出されるのがこんなに苦しいとは、思いもしなかった。
「―……君の言う通りだ。まずは目標を達成して、それからだろう。俺は技術と免許を習得して……」
「っはは、まったくベネさんは真面目だな!」
小さい子供が戯れるように、両腕を首へ回し。シラーはぎゅうと抱き着いてくる。
「いつまでだって待つから、頼んだからね」
「……考えておく」
「警察送りになったって、ほんとにいつまでも待つから」
「君こそ、……達者でいてくれよ」
「また一緒にご飯行こう」
「旨い店を探しておくといい」
「……他のひとの身体にも手ぇ出したら駄目だよ?」
「も、は余計だ」
そうして。
リンの民のシラーに、しばしの別れを告げた。
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