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エンジンをかけた車内で待っていると、ジャスパーは普段と変わらない顔色で出てきた。足取りもしっかりとしているが、長年の付き合いでよく知っている―こういうときこそ危険なのだ、こいつは。
「明日は大事な会議があると言っていたくせに」
「そーう怒るなって、ベネ。待ってる間にお前も楽しめたろ?」
「あんたなんかの送迎で飲酒運転なんざやらかすか」
「はははっ、下戸の堅物が、付き合いでも酒場にゃ来ねえのにな! どうやって時間を潰してた?」
「話を少し」
「どの子と。有翼のオレンジ髪の子か」
車を発進させながら、黒い髪のと言うと、ジャスパーは「あの子が?」と目を丸くした。
「たんまり金を積める奴しか相手しないって噂だぞ?」
「……暇ができた、と」
「気まぐれってことかねぇ。あの店がどういう場所かも聞いたか?」
「まぁ」
「あの子はリンの民なんだってよ。おれも会って話をしたこたぁないが、要するに居るってのがあんまり大っぴらになると問題が起きかねんわけだ。あそこで働いてるのも納得だな」
「……どうだか」
「しかしよ。うろこの装飾品は数枚分売るだけで一生遊んで暮らせるらしいぜ。しかも、自然に落ちるのを待てば持ち主に負担はかからん」
「空想は程々にしろ」
「ベネよ、お前さんも考えたろ? うろこの髪飾りや、ペンダントや……」
「それは道徳的に」
「今更、道徳だの倫理だのを語るかね」
腿の上に紙袋が載せられる。退けろと言ってもジャスパーは肩をすくめただけだった。
「先月分の売上な。無名の作家ってのがお偉方には効いたのか、思いの外よく売れたぞ。良かったな」
「あんたが出資してる工房にも職人は増えたんだろ。そいつらを稼がせてやれ」
「あれは腕がまだまだだ。売れる売れない以前の問題だよ。お前さんとは違う……前みたいな作品にゃもっと値がつくが、その気はないんだろう?」
「前?」
訊き返してから、彼が言わんとすることに気付く。
採掘が禁止された鉱物や、取引が規制されている生物の一部や―かつて自分が好んで使用していた、それらの材料が頭をよぎった。
「……あんた、売っちゃいないだろうな」
ジャスパーは答えない。赤信号で止まったのを見計らい、勝手に下りて人込みへ消えていく。北の町にいた頃から変わらない猫背姿に悪態をつく前に、信号は変わった。
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