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屋台通りには若者向けの店が多く、シラーが選んだのは肉料理専門店だった。揚げた肉に生野菜を合わせて注文すると、信じられないという目を向けられた。何を食べるのも勝手だろう。シラーが選んだのは串焼きの盛り合わせと四種の焼肉盛り合わせだ。この身体のどこににこの量が入るのか疑問だったが、みるみるうちに肉の山は小さくなった。
「話というのは、それで」
半分ほど食事が進んだところで切り出すと、正面に座ったシラーは頬を膨らませたまま「お店の子が」と低い声で呟いた。
バッグから取り出した小さなアクセサリーをテーブルに転がす。木製のそれらは、照明の下で独特の光を放った。
「こんなの持ってて、貸してくれて。でも……違和感があって」
「違和感?」
「お兄さんがつけてたタイピンに似てるって思ったんだ。見覚えない?」
「……似てる、ね……」
覚えがあるも何も、どれも自分が作ったものだった。
植物を意匠としたピアスも、金具を使わずに仕上げたリングも。
「似合ってるって褒めたら買うようにすすめられて、断ったら今度は売る側の勧誘! やんなっちゃうよね」
「そう、か」
「だってこれ、取引が禁止されてる木材だよね?」
「―……そう、なの、か」
「超有名な香水の原料になるやつだよ。こうやって嗅いでも良い匂いがするし……」
シラーはリングをつまみ、花の香りを楽しむように顔を近付け目を閉じる。
「お兄さんも知ってるでしょう。だってこれ、お兄さん……ベネさんが作ったんだから」
「……な」
一瞬、息ができなくなる。喉元に刃物を突き立てられたかのように。否定し、笑い飛ばすことさえ出来たのに―表情も声も、何も繕えない。
シラーは口の中身を飲み込むと、ジンジャエールを豪快に煽った。
「こう見えて私―僕も目利きなんだ。綺麗なものが好きでよく集めてる。本人が思ってるより、デザインに作り手の癖って出るんだよ。このブローチなんか、彫られてる模様がお兄さんが付けてたタイピンと同じだ」
「……それだけで俺が作ったものだとは断定できない」
「出来ちゃうんだなぁ、これが!」
こちらへ身を乗り出し、シラーは耳元で囁く。先程より数段低い声だったが、周囲の喧噪にかき消されず言葉は届いた。
「悪いことは黙って見過ごせないからね? よくよくその子から聞いたら、贔屓のお客さんから買ったって言うんだもの」
「……まさか」
「そう。ジャスパーさんから買ったって。あのひとの口の軽さも相当だね。自分がどうやって稼いでるか、どんなひとが作ったものを売ってるか、全部話してくれたって。それでお兄さんの名前も知ったんだよ」
「……」
猛烈に眩暈がした。酔ったあいつならやりかねない。
「ベネさんは売れっ子なんだね。その子、ちゃんと合法のも持ってたよ」
「お気に召したようで何よりだ……」
降参するように手を挙げる。座り直したシラーは追加の串焼きを両手に持ち、旗のように揺らした。
「大丈夫だよ、ベネさんを警察に突き出したりしない。誰にも言わないでいてあげる」
「君が黙っていてもそのうちどこかでぼろが出る」
「あっはは、そうかもね。じゃあ―なんで作品を売ってるの?」
純粋な問いかけが、胸の中心に突き刺さる。
「暮らしてくのにお金が足りないから? ベネさんはヒトでしょう。それでも生活すんのが大変?」
ヒトに合わせて作られた社会には、ヒトが最も向いているのだろうが。それは全てのヒトが容易に暮らしていける理由にはならない。
言うまでもなく。シラー達のような他種族はなおのこと。
「俺の理由は……今は良いだろ。君が俺に便宜を図る理由の方が大事だ。君は何を望む。して欲しいことがあるのか」
金銭や権利の要求かと訊くと、シラーは「使ってほしいんだ」と小さく言った。
「使う? 店に来いってことか?」
「お金ないならいいよ来なくって。僕のうろこだよ」
リンの民のうろこを使ってほしい。
一言ずつ区切り、シラーは囁く。
「僕、綺麗なのを見るのもだけど作るのも好きで、独学でね」
空き皿を乱雑に積み上げ、テーブルの中央にできた空間を囲むようにシラーは肘を立てる。脂染みだらけの天板の上には、貝を加工したボタンのようなものが乗っていた。手製だと一目で分かる不揃いな輪郭や穴の並びが、却って愛嬌だ。
「君が作ったのか」
「そう。剥がれたので作った。定期的に生え変わるからねー」
「……」
「あ、売ってはないよ! 自己満足!」
「そういう問題じゃない……」
リンの民が、自分のうろこを自分の好きなように使っている。
本人に害はなく悪用もしていないが、なんというか、頭が痛くなる話だった。
「でも僕じゃこれが限界なんだ。ベネさんなら、もっと綺麗なのを作れるんじゃない?」
シラーは睨みつけるようにこちらの顔を見上げる。煽るような―挑戦を促すような強い光が、俺を射抜く。
「お願いをきいてくれるなら、剥がれたのじゃなくってさ。この、今のうろこをあげる」
彼は片手を胸の中心―心臓の辺りに、ゆるりと這わせる。
思わず生唾を飲み込んだ。
その身体のどこにうろこがあるのだろうかと、俄かに思考がシラーへ引き寄せられる。衣服を取り去って、よく研いだナイフを皮膚とうろことの間に突き立てて。神話の中の英雄が、勝利の証として手にする宝のように―
「……実際に見ないことには、返事はできない」
「へえ?」
なおも輝くシラーの目には、俺の考えなど見え透いたものだろう。滑稽にすら写っているかもしれない。しかし、一度抱いてしまった考えは消えそうになかった。うろこを得るのは自分だという、浅ましく馬鹿らしい考えは。
幸福は要らない。美しいものが欲しい。それらを用いてより美しいものを作りたい―他ならぬ自分の手で。
それは俺の中に元より燻っていた欲なのか。それとも、シラーの話に興奮を覚えているだけなのか。手に入れられるのなら、どちらでも良かった。
「……違法品を売っていたのを言いふらして欲しくないのは事実だ。交換条件というのは、まあ、納得できなくもない……」
この期に及んで、理性が残っている振りをする。馬鹿な奴だと、世界の全てが自分を嘲り笑っているような心地がした。
とうに、触れてはいけないものに触れて、変容させ―壊してきたのに。
「要求はすぐには呑めない。考える時間が欲しい」
「分かった。しょうもない時間稼ぎだろうけど、付き合ったげるよ」
シラーは微笑む。たわむれのように、俺の手の甲にある彫刻刀の傷を指でなぞりながら。
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