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屋台通りの反対側、駅裏には雑居ビルが立ち並んでいる。古い鉄筋造りの一つは、ジャスパーが管理している不動産だった。北の町にいた頃からだが、彼の資産は着実に増えているらしい。入口から階段にいたるまで、絵画や壺などが美術館よろしく飾られている。
商業ビルと名はついているが、どこでどんな店をやっているのかは前々からよく分からない。事務所ばかりの階や服屋だけの階、喫茶店に理髪店などが揃う階もある中、ジャスパーが指定したのは最上階の私室だった。
曇天を写し取ったような色合いのカーペットのほかは何の変哲もない応接室には、炊事ができる簡易設備もあった。湯が湧いたと叫んでいるケトルと、コーヒー豆の香りが出迎えてくれる。
「寛ぎに来たんじゃないんだが」
「なんだよ、挨拶くらいしろよ。そんでたまには俺のコーヒーを飲め」
「あんた淹れるの下手くそじゃないか……」
真剣な顔で湯を注いでいるジャスパーは「その辺に座っててくれ」と顎で椅子を示す。
「少しは上達したんだ、この蒸らす過程というのが重要でね……。ベネ、先日は助かったよ。記憶があまりないんだが、親切にも迎えに来てくれたんだろう?」
「頼まれたからな」
「あれ以降店へは行ったか? おれの名前で入れるようにしてあるが」
「……いいや。そのことで話をしに来た」
ジャスパーがカップを二つ机へ置いたのを見、改めて口を開く。斜め向かいに座った彼はいつものように笑っているものの、感情を読み取るのは困難だ。
「どうしてアレを売ってる。処分しなかったのか」
「……聞いたのか」
驚いた様子もなくジャスパーは問い返す。
彼に手渡した、違法となる作品の数はもはや分からない。しかし片手で済む数でないのは確かだった。
「見もした。あれは、この町にあっちゃならないものだ」
「作ったのはお前さんだけどなぁ」
「…………」
「分かったよ、睨むなよ。捨てろってお前さんに頼まれた。おれもそうしたつもりだった。でも、在庫整理で残りを見つけちまって…………魔が差したんだ。普通の作品に混ぜたらそうそうバレない。動物じゃなく植物由来なら、ってよ」
「どちらも同じだ。どうしてそんなことを」
「売れるからだよ」
こともなげにジャスパーは答える。
「で、おれは稼ぎたいからだ」と、組んでいた脚の上下を替えて、
「お前さんの作品でもっと稼ぎたい。同郷のよしみってのもあるが……その才能を多くの人に知ってもらいたい」
「違法品じゃなくたって売れる」
「あぁ売れるさ。けど値段が違ってくる。貴重なもんを使ってるって言や倍以上になるんだぜ。……話題性も付加価値もないと、お前さんはここじゃ一生無名だ。分かってんだろう」
痛いほど知っている。作品に施した技術が客を引きつけるのではなく、素材の物珍しさが価値として認識されることもあると。今更失望を覚える話でもない。―評価されるために手段は選ぶなと、碌でもない考えが未だに頭の端に浮かぶことも、無くはないが。
それを打ち消すように、深く頭を下げた。
「それでもだ。気持ちはありがたいが売らないでくれ。……もう同じ過ちを犯したくない」
「損失補填はしてくれんのか?」
「正規品の売上は全部お前にやる」
「……冗談通じねぇなぁ」
ジャスパーはわざとらしく溜息を吐いた。
「前から頑固だったが潔癖じゃあなかったろ。 北の町の特産品とか何とか言えば売り捌けるぞ? 今ならまだ」
「一度抜け道を覚えたら抜けられなくなる。だからいい。頼む」
「……ベネ。取り敢えず顔上げてくれや」
ジャスパーはカップに角砂糖を一つ落とし、口をつけた。
「お前さんは違法品の話を誰から聞いた。単純に気になる……おれが酔って、店で余計なこと口走ったんだろうけどよ。あの、リンの民の子からか」
「……そんなところだ」
「まーあ懇意にしているようで」
「シラーから経緯を聞いたのか?」
「へ? いや、未だに会ったことねえし……待てベネ、聞いたって何だ? 経緯?」
「何度か共に食事をしているから。そのことをあんたに話したのかと」
「しょっ、食事、お前さんマジか」
ジャスパーは椅子から腰を浮かす。
客として金を落とすでもなく仲良く食事とはいかがなものか、ということか。代金は各々で支払っているため、シラーの利益にはなっていないか。
「週に一度は夕飯を……友人とも違うが、親しくはなった」
「んだよそれ。妬いちゃうくらい親しいじゃねえの」
ジャスパーは姿勢を戻して大きく深呼吸する。
「ダチも殆どいないお前さんがどうしたよ。惚れたか? 懐かれたか?」
「丁度良い遊び道具だと思われているのかもな……」
シラーは食事のたびに、うろこを使う気になったかと聞いてくる。真剣味のない調子で、合言葉のように。
確たる返答ができないでいるのは、俺自身が揺らいでいるせいだろう。欲と理性と。自己満足と名声との間で。
しかし揺らいでいては、美しいものの姿を捉えることさえままならない。うろこを―あいつを真っすぐ見てやることができない。
それは、ひどく惜しいことに思えた。
「ジャスパー、重ねて言うが。あれは売っちゃいけないものだ。絶対に。素材に優劣も何もない……どんなものだって俺が美しくしてやれるよう、もっと腕を磨く。だから」
「…………」
「お願いだ」
「……わっかりましたよ。『ちゃんと』してる作品だけ売るし、お情けで売上は今まで通り払ってやるよ。お前さんに嫌われたかないし、芸術家を食わせてやるってのも気分が良いからなぁ」
「―よろしく頼む」
再度頭を下げる。コーヒーにも礼を言い―上達したのは本当だった―すぐに部屋を出ようとしたが、「そういや」とジャスパーは背中に声を投げかけてきた。
「規制が全国的に厳しくなるって報道は聞いたか? 北の町でも昔のようには作れなくなる。好きなようにできる時間はもうないぞ、ベネ」
「……潮目だな」
振り返らずに手を上げて返す。口の中にはコーヒーの苦味が残っていた。
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