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 飲酒ができないと告げると、代わりに様々な料理が運ばれてきた。果物に似た香りのコーヒーに芸術品のようなパスタ、舌でとろける肉の煮込み等々、どれも見た目と香りのみでも一級品と分かるものばかりだ。  とても代金を払えないと言えば「シラーの給金から引きますので」と、店員は代わる代わる口にするばかりだ。知らぬところで一体何を言われているのか。想像すると恐ろしいものがあったが、悪い内容ではないだろうと自分に言い聞かせることにした。  恐縮しながらも味を楽しめるようになった頃、ノックもなしにドアが開けられた。呼吸も髪型も乱れたシラーが立っている。こちらが挨拶をするより早く、高いヒールの靴がその場に脱ぎ捨てられた。  ドアが閉まる。薄荷の香りがしたと思うと、シラーは俺の隣に勢いよく腰掛けていた。裸足で胡坐を組む仕草は、不思議と上品に見えた。 「……この店の料理は旨い。酒も旨いんだろうな」 「奢りだから一層おいしいんだよ」  シラーはテーブル上の瓶の炭酸水を鷲掴みし、喉を鳴らして飲み干す。  急がずとも待っていたのに、と言えばひとみを回し、 「僕が急ぎたかったの。……来ると思わなかったから」 「来なくて良いと言われたからな」 「それは……ありがと。ええと、すごい嬉しい。あはは、なんか、うん……嬉しいんだけど恥ずかしいや。なんだろこれ」  困惑にはにかみを混ぜたような顔はこちらを向かず、テーブルの空いた皿を見つめたままだ。しかし「伝言が」と切り出すと、目がぱっと上げられた。 「前に言ってた、ジャスパーさんとの話」 「そうだ。時間が空いてしまったが、あれは……いわゆる手違いというもので、今後はないようにする、と。俺の違法品が出回ることはない。この店のものにも迷惑をかけはしないだろう」 「一件落着って感じ?」 「……まだ全ては確認できていないから、ぼやけた答えにはなるが」 「分かった。教えてくれてありがとう」 「いきなり畏まるな。怖い」  本音を言ったつもりだったが、シラーは声を出して笑った。 「……交換条件はもう増えないってことだよね。僕とベネさんは平等だ。だから、だったら―答えも出たんじゃない?」  違法品を売っていたことの口止めと、うろこの利用。  シラーとの間にあるのはいびつな交換条件だったのを忘れていた。  忘れてしまうほど、ありふれたやり取りを重ねていたということか。 「―俺は」 「あ、見なきゃ分かんないんだっけ」  言い終わるより先にシラーは立ち上がり、テーブルから数歩離れた。  薄布のような衣服を翻し、ゆっくりと一枚一枚脱ぎ捨てていく。全ての所作があまりにも見事で、制止できなかった。  他の客とであれば、その仕草は焚火へ投げ入れる薪のように作用しただろう。しかしこちらの目には、荘厳な儀式のように映るのだった。故郷の北の町で見たような。ヒト以外のものが、各々の神へ捧げる舞いと似ていた。  細身ながらもしっかりとした上半身が露わになる。左の鎖骨の下に白く光る場所があった。横倒しにした三角形が、灯りの下で何色にも色を変える。  シラーが左腕を持ち上げて身体を捻ると、背中にも同じ模様があるのが見えた。 「僕のは二つなんだ。リンの民だって、嘘じゃなかったでしょう」 「…………」 「おーい、聞いてる?」 「……済まない」 「熱烈な視線をどうも。触ってみる?」 「―さ?」  シラーは、いたずらが成功した子供のように笑う。 「触っていいよ。もがないでね」 「冗談……」  足を揃え背筋を伸ばし、シラーは行儀よくソファに腰掛ける。その足元に膝をつき―自然と身体が動いていた―彼の首元へ、腕を伸ばした。  うろこ越しに伝わる温度は体温そのもの。皮膚との境目、うろこの輪郭はややざらついていた。かすかな凹凸は皮膚と同じだが、血管が透けない点や白く光っている点は明らかに異なっている。硬質だがしなやかでもあり、なんとも不思議な感触だ。  御伽噺に登場する代物だ、目も眩むような神々しさを想像していたが―地に足がついた美しさが感じられた。それはとりもなおさず、奪い、自分の所有物とすることを容易に想像させる美しさでもある。  どうすればこの色と質感を生かせるか、と考えている自分に呆れさえする。加工は最低限にしてペンダントにするか。うろこだと分からぬよう、さざれ石のようにして敷き詰めるか。合わせるなら銀細工か鍍金か―いずれにせよ、およそ他人の身体に対するものではない想像だ。  そう考えることで、自分を落ち着かせる。指先の震えを止める。 「……脇腹は色が違うんだな」  首元のものはやや青白いが、背中はより乳白色に近い色をしているように見えた。指を這わせれば、わずかに弾力も感じられる。 「生え変わりの時期も周期も違うからね。っふ、ベネさんっ、くすぐったい、あははっ」  シラーが身を捩るので手を離す。  そうだ―身体なのだから、触覚が作用するのだ。  これはリンの民のうろこである前に、シラーの身体だ。   どんな加工を施したとしても、満足がいくものは決して作れない―シラーの身体の一部としてあるべき場所にあるからこそ美しいのだと、思い知らされる。  自分の手が届かない、届かせてはいけない美しさが、彼にはあるのだ。 「……というかだ」 「うん?」  笑いを収めたシラーは、涙を浮かべたまま首を傾げる。上裸では寒かったのか、脱いだ服を適当に巻きつけながら。 「密室にいるのだから、もっと色気のあることをすべきだったか」 「え? え―っははははっ、なんで、あははっ、義務かっての!」  笑いがぶり返したらしく、今度はソファに倒れ込んで腹を抱え始めてしまった。埒が明かないので、落ち着くまで待つことにする。他の客にもこんな態度なのだろうか。接客業に就いたことはないが、変わった店員だと思われるに違いない。 「……客に見られると大変だろ」  今度こそ笑いを引っ込めて座り直したシラーにそう問いかける。 「いくら薄暗い室内でも、近くにいると見えかねない。特に首は」 「そうでもないよ。化粧で隠せるし、服や飾りでごまかせる」 「……成程な」 「家族と仲間以外で見せたのは、ベネさんが初めてだ」  思いもかけない言葉に顔を上げた。彼の表情は、簾のような黒髪によって隠されている。 「……本当に?」 「ほんとだよ。億万長者の客にだって見せてない」 「そうか。―良かった」  力強い返事に息を吐く。  うろこがもとで傷付けられてはいないのだと安堵する。この美しさはきっと一度も損なわれたことがないと、信仰心のように思っていたかった。  友人を案じてか独占欲か、境目は曖昧だとしても。 「……それでさ、返事は?」  リンの民の―シラーのうろこを使うことを、是とするか非とするか。  答えはもちろん決まっていた。 「俺は君を使えないよ。……欲しいと思う。手を加えたいとも思う。だがそれで、今以上のものが作れるとは思えない」  思うように声が出なかった。聞こえやすいようにと、俯いたままのシラーの髪を除けて耳にかけた。伏せられていた彼の瞳が、夜明けのようにこちらを見た。 「君が持つ美しさに、他のものを付け加えたくない」 「……褒めてくれてるの?」 「感じたことを述べただけだ」  二対の空に再び帳が下り、上がる。 「ベネさんは、僕が警察に言うって思わなかったの。断れば大変な目に遭うって。捕まるって。僕じゃ脅しにならなかった?」 「いいや。お前は言わないだろうと。でなければ自分で行くつもりだった」 「……でもすぐには立証できないっぽいでしょ。それにお縄になるのはジャスパーさんの方が早そうだなぁ、なんて」 「……」 「否定しないね」 「君の言う通りなんだが、あいつの顔の広さは底が知れないからな。自分に有利なカードもしこたま持っている。万が一不正が発覚しても握り潰せるし、……自分に利益があるなら、俺のことも庇う可能性が」 「わお」 「だからたちが悪いし、俺は気分が悪い……」 「うーん、そうか……」  シラーはのけぞるように身体を伸ばし、大きく息を吐く。 「あのさぁ」と、弱い響きで続けた。 「ベネさんのせいじゃないんだけど……すごいやり辛いよ」 「どういうことだ」  ほら、とシラーがボトムの腿あたりから取り出したものを見る。開いた手の上に乗っていたのは、鎖骨下の輝きと同じものだった。正確には一回りほど小さくより青みを帯びているが、うろこに間違いない。  シラーの顔とうろことの間で視線を行き来させる。彼の表情は変わらなかった。 「……これは、何だ?」 「僕があげたいんだ。剥がれたうろこの中で、これが一番綺麗だったから。今のを引っ剥がしてあげようかと思ったけど、痛そうだからやめちゃった」 「……お前が持つぶんには問題ないが、俺は捕まる」 「でしょう? そうなんだよね。ベネさんは昔悪いことしてたけど、今はしてないわけだし。僕が罪の上塗りさせるのは違うなーって」 「……」 「ま、好きに使ってよ。すぐに捨てたって良いし。切った爪のカスと一緒だから」 「そんな卑下を口にするものじゃない」 「えぇ? 面倒くさ」 「…………なぜ渡そうと」 「そんなの、あげたいって思ったからだよ。これ以上最高な理由ってある?」  綺麗だから。与えたい―贈りたいと思ったから。  あらゆる難解な理由を寄せ付けない、しかし思考停止とは違う、簡素な理由だった。 「……分かった。受け取ろう」 「後悔しない?」 「するものか」  お前の身体で輝いているそれを喉から手が出るほど欲していた、とは口に出さない。俺にも自尊心はある。何より、シラーの嬉しそうな顔を見たら、告げる必要はないと思ってしまった。 「しかしこれでは、幸福の御守りどころか、牢屋への片道切符だな」 「あっ、なんでそういうこと言うんだよ!」  この世には自分の技術が決して及ばないものがあると知らしめる、このうろこは喜ぶべき呪いで、祝福だろう。  冗談だと笑うと、シラーはこちらの肩を軽く小突いた。
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