最終話の前に:もうひとつの親子の会話

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 それはまるで、失敗を打ち明けるような口調だった。  昔のいろいろな記憶が次々によみがえる。  遠い昔、周が子どものころの記憶だ。  夜中、おねしょしたことを告げにきたとき。  公園でボール遊びをしていて、ボールが思わぬ方向に飛んでいって民家の窓ガラスを割ってしまったとき。  修学旅行のお小遣いを財布ごと失くしてしまって、担任の先生に借りたお金でお土産を買って帰ってきたとき。  いまもまた、目の前にいる息子は――四十歳にも近づこうというのに――「母ちゃん、ごめんなさい」と言わんばかりの顔をしている。  マリばあは、ほうっと大きなため息をついて肩の力を抜いた。そこで初めて、自分が知らず知らずのうちに息をつめて、肩に力を入れていたことに気づく。力が抜けた拍子に、思わず「なあんだ、そんなこと?」と言いそうになって慌てて口元を引き締めた。  きっとこの日、周はここに来るまで、あれこれ頭を悩ませたに違いない。どう言おうか、やっぱり言うのをやめようか、また今度にしようか――。生真面目な息子は、そんなふうに迷ったのだろう。マリばあは、周の逡巡が手に取るようにわかった。その不憫さに胸が詰まる。何と答えようか考えていたら、周はまた、そろっと言葉を継いでくる。 「昔から、男が好きな自覚はあったんだけど。かといって女性とつきあえないわけでもなかった。だから……結婚したら、自然とそういうのは忘れられると思ったんだよ。実際、結婚してた間は、自分のそういう……指向は忘れていられたし。離婚しなかったら、ずっと忘れたままだったかもしれないな」 「……そうねえ。そうだったかもしれないわねえ」  マリばあが静かにあいづちを打つと、周は驚いたように顔を上げた。 「……びっくりしないの?」 「うーん」  マリばあは苦笑いした。  こっちも打ち明け話をしたほうがいいかしら。 (つづく)
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