最終話・誓う:音楽会

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 発表会の当日になった。  ちょっとしたリハーサルを終えて開演時間が迫ってきたので、文幸は航太をトイレに連れていく。ロビーで待っていたら、観覧客受付のテーブルに周たち親子の姿を見つけた。  そして思わず彼らに見とれてしまう。  なぜかといえば、おめかしした父子がとんでもなく格好よかったから。  いや、でもちょっと格好よすぎる気がしないでもない。 「周さん」  文幸は小走りに彼らに近づいていった。緊張した面持ちの周がこちらに気づいてちょっと気まずそうな顔をする。 「文幸くん。……えっと、本日はご盛会、おめでとうございます」 「あっ、えっと、ありがとうございます。……素敵ですね」 「やっぱりこんな、バリバリに決めてこなきゃよかったよ」 「そんなことないです。すごく格好いい」 「くそー、お袋にだまされたよ」  周はむすっと不機嫌な顔をして頭をかく。彼が困った顔をしている理由は、周も悠も、とびきりのおしゃれをしているからだろう。まるで彼らが発表会に出演するような盛装ぶりだ。  周は冬物のツイードの三つ揃えにポケットチーフを挿している。悠も、行儀のよいギンガムチェックのシャツに、紺のベストに長ズボン。ローファーもぴかぴかに磨いてある。ファッション誌から抜け出てきたように格好いい。  いっぽう文幸はといえば、白いセーターにキャメルカラーのコーデュロイパンツ。まるっきり休日の普段着だ。文幸の服装を見て周がため息をつく。 「お袋がさ、『お友だちのピアノの発表会を聴きにいくなら、このくらいちゃんとした服装じゃなきゃだめだ』っていうんだよ。俺、こんなところにお呼ばれしたことなんかないから、全然わからなくて」 「格好いいですよ。ほんとに」 「そうかなあ」 「はい。……悠くん、いつもカッコいいけど、今日はとびきりイケメンだね」  文幸は背をかがめて悠に話しかけた。いつもは快活な悠もちょっと緊張しているらしい。さっと周の後ろに隠れてしまった。  それでもトイレから出てきた航太が「あっ! 悠くん!」と駆け寄ってきたのを見て、「航太くん!」といつもの明るい表情になる。「悠くん、お席に行く? しょうたいしたお客さんはとくべつな席があるんだよ」と航太に手を引かれて、あっというまにホールに入っていってしまった。その背中を、文幸と周は並んで見送った。 「そっかあ、入学式の服を着せればよかったんだ」  周はそういって苦笑いする。航太の服装は、小学校の入学式で着た白いシャツと紺の膝丈ズボンだった。靴下が片足だけずり下がってるのを、本番前に直してやらないと、などと思う。  そこで開演五分前のチャイムが聞こえてきた。周は観覧席へ、文幸は保護者席へ。ホールの入り口で「あっ、文幸くん」と呼び止められた。 「航太くんにお花を持ってきたんだ。直接渡すつもりだったのに、受付で預けるように言われたから渡しておいた」 「ほんとですか。気を遣わせてしまってすみません。ありがとうございます」 「……うん、いや。じゃあ、終わったらロビーで」  周が照れ隠しのようにムスッとした顔で言葉を飲み込んだように見えたので、文幸は不思議に思う。  こんな場の雰囲気に慣れなくて居心地が悪いのかな。  このときは単純にそう思って、そのまま忘れてしまった。 (つづく)  
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