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航太は本番で、一度もミスすることなく演奏曲を弾いた。親の欲目を差し引いても上手い演奏だったと思う。
文幸はまぶしかった。航太はステージの上で緊張した様子もなく、のびのびと、堂々としていた。楽しそうに難しい曲を弾きこなす姿はまぶしくて、無限の可能性を持っているように見えた。弾き終えて客席におじぎをする航太に、大きな拍手とため息が送られる。文幸もいちばん長く拍手を送った。
保護者席のすぐ前に座っているドレス姿の女の子ふたりが「かっこいいね」「来年はあれを弾きたい」と話しているのが聞こえてきた。誇らしくて、文幸は自分が噂されているように嬉しかった。
◆
発表会終了後、出演者と観覧客でごったがえすロビーの受付で、文幸と航太は差し入れの花束を受け取った。ピアノ教室ですっかり顔なじみになった、運営アルバイトの若い女性が興奮気味に紙袋を差し出してくる。
「航太くんのパパにもお差し入れがありますよ。すごいですね、親御さまへのお差し入れなんて初めて預かりました」
「えっ」
受け取った紙袋はふたつ。
ひとつは、航太への大きな花束の入った紙袋。クリスマスシーズンらしいポップな赤い花束に「おめでとう はぐろゆう」と、直筆のかわいらしいカードが添えてある。
そしてもうひとつは、小さくて細い紙袋。
細い紙袋の中に入っていたのは、鮮やかな緑色の包装紙でラッピングされた一本の大きな赤いバラの花だった。カードなどはついていない。受付で貼られた「冴島様へ」のシールだけだ。しかし文幸はもちろん、贈り主が誰だかわかっている。ラッピングの包装紙が航太への花束と同じだし、こんなプレゼントをくれるのは彼しかいない。嬉しくて胸がぎゅっとなる。
「そちらをお持ちになったの、航太くんのお友だちのお父様ですか? 背が高くてすごいイケメンだったので、テンションがあがりました」
はしゃいだ早口で話しかけてくる受付嬢を苦笑いでかわして、文幸は周たち親子の姿を探した。挨拶したり談笑する人々をかきわけて、ようやく見つけた。
周と悠は、大きな円柱の陰に目立たないように立っていた。向こうもこちらに気づいて、嬉しそうに手を上げる。周は文幸が提げている細い花束の紙袋を見て、ぶっきらぼうに口をとがらせる。
「花束も、お袋に頼んで知り合いの花屋につくってもらったんだ。そしたら『親御さん用の一輪ブーケです』ってそれを渡されたんだよ。でも……発表会のお花って、保護者には普通、あげないんだね?」
周の戸惑った顔がなんとも愛おしい。文幸は顔が緩むのを抑えられない。周は顔を赤くしながら訴える。
「受付の女の人にビックリされちゃったよ。『えっ、航太くんのパパにですか!?』だって。恥ずかしすぎるだろ。お袋にすっかりだまされたよ」
「いえ、えっと、……すごく嬉しいです」
「花屋のおばちゃんもグルだな。うちのお袋と仲良しなんだよ。あの化け物、このあと文句いってやる」
「いやいや、俺が嬉しいんだからいいじゃないですか、周さん」
文幸がフォローすると、ようやく周の表情が緩んだ。
「……そう? 喜んでもらえた?」
「はい。嬉しいサプライズすぎてちょっと泣きそうです」
「そっか、それならいいや」
顔を見合わせて笑う。しかしハッと気がつくと航太と悠がいない。すでに地域センターの玄関を出ていこうとしている息子たちを、父ふたりは慌てて追いかけた。
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