おにぎり

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おにぎり

竹市は悩んでいた。今、自分が担任として受け持っている6年1組では高畑マイがクラスの中で”浮いている”状態だった。原因は大人にしてみれば些細な事だが小学生6年生ともなれば子どもなりに深刻なものだ。一つの理由は見た目が外国人で、みんなの興味関心を集める転入生の日暮結と仲良くしている事。もう一つの理由は高畑マイが佐々木彩乃のボーイフレンドである大野岳の気を引いていると言う噂が立ち、そのグループのメンバーが高畑に要らぬちょっかいを出している。いわゆるいじめに近い状態だった。何とか良い解決方法がないかと考えてはいるが、当の佐々木彩乃が虫垂炎で入院しているので(らち)が明かない。事がこれ以上大事にならない様に、今はただ見守るしかなかった。 その日も暑くなりそうだった。青い屋根に白い壁の周りをドウダンツツジの小さな垣根がぐるりと取り囲んでいた。日陰になった木の窓枠には薄茶で白い腹、黒くてビーズみたいな目玉の小さなヤモリがひょろひょろっと蜘蛛の巣に掛かった羽虫をちょいと拝借と口をもぐもぐさせている。2階の部屋の机には黒い小箱の様なアマチュア無線の機械がジジジジと今にもひっくり返りそうなアブラゼミの鳴き声を模していた。 白いカーテンが風を運ぶ。畳の上の敷布団には青いチェックのパジャマを着た結がお腹にタオルケットを掛け大の字になっている。階段の下からパンパン!と手を叩く音がして、 「おはよう!起きて下さいー!日暮くーん、今日は天気も良いし海までドライブに行きませんかー!?おーい!」 結はぼんやりと天井を見て木枠の窓に目を遣れば確かに空は高く青い。ふんふんふんと鼻を動かすと香ばしく焼けた肉と赤いトマトケチャップの匂いがする。 「日暮くーーん!今日のお弁当は、なーんと!ハンバーグ入りのサンドイッチだよ!」 (こうちゃん、多分それはハンバーガーだよ。) 薄手のタオルケットを肩まで引き上げる。 「こうちゃん、今日はそんな気分になれないよ。」 そう言うと結は肩までのタオルケットを頭まで被り、ダンゴムシみたいに丸まった。 「今日がこの町での最後の日曜日だぞー!」 竹市の声はいよいよ近くなって階段を昇って来ている様だった。ダンゴムシは脚をバタバタさせ、 (いいよ、もうこんな小さな町、どこに行ってもヒソヒソ話ばかりでうんざりだ・・・・!) ダンゴムシがぐるりと向きを変えると案の定、階段を上がり切った竹市が顔を覗かせ結と目が合った。 「ーーーあー〜残念だなぁ!今日は高畑とイソギンチャクの観察に行くんだけどなーー!そうかーー!日暮くんは行かないのかーー!」 そう言いながらトントントンと階段を降りて行ってしまった。 「そうかーー、ざんねんだなぁぁ。」 結は頭まで被ったタオルケットを足で蹴り上げると敷布団を素早く丁寧に畳み、その上にタオルケットを乗せて枕で重しをした。 「あっ・・・・トイレ!トイレ!」 慌ててトイレに駆け込むとあっという間に手を洗い、パジャマのボタンを一つ外したままで勢いよくパジャマを脱いだ。袖の付け根がびりっと裂けたような音がしたけれどこれはこうちゃんには黙っておこうと思った。そして白いTシャツにウオッシュブルのジーンズをもどかしそうに履き、まるで階段から落ちたかのように駆け降りた。 「日暮くん、大丈夫ですか!」 「大丈夫だと思う!」 洗面所に駆け込むと水道の蛇口を右にひねり思い切り水を出し、これでもかと顔を洗った。そして青い歯ブラシにニュルリと歯磨き粉を押し出すとガシガシ磨いた。ガラガラガラと周囲に水滴が飛ぶ程の勢いでうがいをする、両手にはぁーっと息を吐き臭いを確認する。もう一度磨いておこう。 「行くよ!何でそれを先に言ってくれないの!こうちゃん意地悪すぎるんじゃないの!?」 髪に水を付けて手ぐしで髪を整えた。ハッツハッツハッツハッツと高らかに笑う竹市の声が台所から聞こえてきた。本当に、大人気(おとなげ)なさすぎる。玄関に脱ぎ散らかしたままのスニーカーを履きやすい様にと左右をきちんと揃えた。 「何、日暮くんは海に行くのにそのスニーカーを履いて行くつもりなのですか?縁側に私のビーチサンダルがあるからどうぞ使って下さい。」 ギシギシと鳴る廊下を進み仏間を通る。一度はその前を通り過ぎて戻った結は正座をして仏壇に手を合わせた。チーン。 (おはよう、おじいちゃん、おばあちゃん。) 縁側の軒先にはもう花の散ってしまった藤棚があり、その間をブンブンとミツバチが飛んでいた。 「こうちゃーん、ハチが居るんだけど!」 「あぁ、ミツバチだから大丈夫!」 「そうなの?」 おそるおそる手を伸ばしてサンダルを手に取り台所に走って戻った、が。 「こうちゃん、サンダルってこれ?」 「あちゃー、小さかったか!ハッツハッツハッツハッツ!」 玄関の土間で履いたサンダルは僕の足より少しばかり小さかった。 こうちゃんはいつもよりずっと明るかった。いや、明るく振る舞っていた。きっとマイと僕がクラスで孤立していることを心配しているんだ。 「こうちゃん、ありがとう。」 「どういたしまして!」 こうちゃんは魚取り網や水中眼鏡、観察用のプラケース、あとナマモノはいたみが早いからとハンバーグのサンドイッチ(ハンバーガーだと思うけれど)やお菓子は助手席に乗せ、僕は大きな麦わら帽子をかぶされて軽トラックの荷台に放り込まれた。こうちゃんの運転する軽トラックは砂ぼこりを上げながら上下左右に跳ねながら稲荷神社の赤い鳥居を目指した。 「こうちゃん、もう少し上手に運転できないの!?ングっ!」 僕はもう少しで舌をかみそうになり、こうちゃんに黙っていなさいと注意されてしまった。 赤い鳥居に口に巻物を咥えた石の狐の足元に、イネ婆とマイの姿が見えてきた。胸がドキンドキンと跳ねるのはこうちゃんの運転が下手なせいではない事は自分でも分かった。 キィぃぃ、プスンプスン こうちゃんが運転席のドアを開けてイネ婆の所へ向かう。マイは白い鈴蘭の花みたいなパフスリーブのチュニックにジーンズのショートバンツ、赤いリボンの付いたサンダルを履いていた。いつもと全然違う。 「おはようございまーす!イネさん、遅くなりまして申し訳ありません!今日は高畑さんをお預かりします。気を付けますのでどうぞよろしくお願い致します。」 こうちゃんは麦わら帽子を脱いで軽く会釈をした。イネ婆も小さくお辞儀をして、 「おはようございます。いやいや、先生なら安心して出せるわ。こちらこそお願い致します、ほれ、マイもお願いして。」 「先生、よろしくお願いします。」 マイはイネ婆に背中を押されてぺこりと頭を下げた。 「ほら、日暮くんもこっち来てご挨拶して!」 僕はオズオズと脚を片方づつ軽トラックの荷台から降ろしてマイの前に立った。白いトップスにデニムのボトム、まるで申し合わせたかのようなコーディネートだ。 「お、おはよう。」 「・・・おはよう。」 「なんかおそろいみたいだね。」 「・・・うん。」 「さあ乗って、乗って!」 こうちゃんに促され、まず僕が先に軽トラックの荷台に乗り次いでマイも登る筈だったが上手く出来ない。僕が手を差し出すがマイの手が届かないのだ。左手で軽トラックの”箱”の角に手をかけ右手をグッと先に伸ばす。 「はい!マイ掴まって!タイヤに足!」 僕らがモタモタしていると(じれ)ったくなったイネ婆が「ほりゃ!」とマイのお尻を押し上げた。うわっ!と宙を舞ったマイは大きな尻餅を付いてしまい、イタタタと腰をさすった。 「イネ婆!痛ぁい!」 イネ婆は両手を腰に当てカッカッツと奥歯が見えるくらいに笑った。それを見て膨れっ面したマイだったがくるりと僕の方に振り向いて、 「結、いつもと違って見えるね!大人みたい!」 素直な褒め言葉に思わず赤面してしまった。 「や、あの、あの。マイも全然違うね。か・・かわ・・かわっ!」 「かわいい。」と伝えるつもりが竹市が急に軽トラックのエンジンをスタートさせ、結は言葉の端っこを噛んでしまった。 (こうちゃん。わざとだ、絶対わざとだ!) 「たぁぁのしんでおいでー!」 イネ婆が思い切り手を振る。 「いってきまーーーーーす!」 ガタゴト跳ね上がる軽トラックの上で結とマイもフライパンの上のポップコーンみたいに弾けた。急加速し土埃のあぜ道を走り抜ける3人。 「結、イネ婆が持たせてくれたんだけど、おにぎり・・・・食べない?」 思わずぐうううううううとお腹が鳴り恥ずかしくて顔を隠した。 「そうだ。僕、寝坊して朝ごはん食べていなかったんだよ!ありがとう!何味?」 「昆布と、シャケと・・・梅。」 「そうなんだ!僕、梅が良いな!」 マイが竹の皮で包んだ包みの紐を引っ張ると不恰好なおにぎりが一つ入っていた。 「これ、マイが作ったの?」 「う、うん。ちょっとでこぼこしちゃったんだけど。」 「何味!?」 「・・・梅。」 真っ赤になるマイ。 「はははははは、マイも梅干しみたいに真っ赤だ!」 「結!」 軽トラックは赤い逆三角形で一旦停止し、右左右を確認すると運転席から顔を出した竹市が、 「おーい、おふたりさん。私にもひとつおにぎり下さーい!」 車は左折して海に向かった。
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