発熱

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発熱

その夜、雨に濡れた結は熱が出た。 ブルルルル、プスンプスン バタン!バシャバシャバシャ!仕事を終え家に帰った竹市は「うおっと!」水溜りを避け損ねてウシガエルの様な声で叫んだ。それを玄関で腕を組み仁王立ちして見ていた悦子は呆れ顔で、 「あなたちはどうしてそんなにびしょ濡れで帰ってくる訳!?」 (悦子)からフェイスタオルを手渡された竹市は泥が跳ねた顔を拭きながら心配そうな顔をして暗い2階の部屋を見上げた。 「姉さん、結の調子はどう?医者に行かなくても大丈夫かい?」 「少し熱は高いわね。」 2人はギシギシと階段を上り仄明るいペンダントライトに照らされた結の顔を覗き込んだ。上気して目が潤んでいる。 「結、どう?病院に行く?」 久しぶりに額に触れた母の手はヒヤリとして心地良かった。特に喉も痛くなかったし咳も出ない、ゾワゾワとした悪寒もなかった。 「・・・・・大丈夫・・・・このままゆっくり寝ていたい。」 「そう?」 「大丈夫かい?」 「結がそう言うなら大丈夫でしょう、浩一は心配性ね。」 「姉さんはもう少し心配した方が良いよ。」 すると大きくて茶色の番傘にバタバタと激しい雨音を連れて人の気配がした。トントンと玄関の開戸を叩く音がする。 「こぉんばんは、竹市先生ぇ、おるかね。結が熱出したって聞いちゃけ、煎じ薬持って・・・・来たけどなぁ。」 稲荷神社のイネ婆の声だった。 「私が出るわ、はーーーーい!」 ギシギシと階段を降りるとそこには頭に白い布巾を巻き、雨合羽を着たイネがニヤニヤと笑いながら、手には風呂敷包みを持っていた。隣には見たことのないおさげ髪の女の子がびしゃびしゃに濡れた赤い長靴を履いて立っている。 (・・・・・あら、この子。) 「あんらぁ、悦子ちゃんもう来とったんかい。これまた別嬪(べっぴん)さんになったのぉ。」 イネはカッツカッカッツと奥歯が見えそうな大声で笑った。 「あらぁ、イネさんお元気そうで何よりです。結がお世話になりました。それに・・・・この・・・・薬、くさっ・・・。」 悦子がまるでそれには思い当たるといった風に思わず鼻を摘んだ。これは小さい頃から熱を出すと必ずイネが持ってくる発熱によく効く野草の煎じ薬だった。イネは「ニヤあ」と笑うと風呂敷包みを解いて中のタッパーウェアをほんの少し開けてみせた。 「・・・・くっ、臭っ!」 「これは効くデェ。くっくっくっ・。」 その騒ぎを聞きつけた高市が階段を降りてきて、 「あぁ、イネさん。ありがとうございます!オナモミの煎じ薬ですね。助かります!これは・・・・お湯で煮出せば良いのかな?」 「そうさね、鍋かヤカンにひとさじかふたさじ入れて20分ほど煮出して熱いうちに飲ませてごらん。明日には熱も下がるじゃろ。」 「お、高畑も来たのか。結に会って行くか?」 少し考えたマイだったが、 「あ、あの・・・先生。やっぱり良いです。お大事にって伝えて下さい。」 ケロケロけろケロ けろケロケロケロ ケロけろケロケロ イネの手には懐中電灯が暗がりを照らし、番傘と黄色い傘があちらこちらに水溜りの出来た畦道を歩いて行く。 「マイ、足元、気をつけや。」 「・・・・・・うん。」 田んぼにフワリフワリと季節外れの蛍が飛んでいる様な気がしたが、それがイネの懐中電灯に照らされた小さな蛾だと気付くまでそうそう時間は掛からなかった。口に巻物を咥えた石の狐を横目に赤い鳥居をくぐる。 (そうだ、初めて結に会ったのはここだった。ヒグラシの羽化を観察していたら見知らぬ男の子が声を掛けて来て一時間だろうか、いちばん星が光るまでそれを眺めていた。) 「マイ、結じゃが熱が下がったらすぐに東京に向かうそうじゃぞ。」 「・・・。」 「お前たちケンカでもしたのか?」 「分からない。」 「もう一度”最後”に会いに行かんでも良いのか?結は東京に帰ってしまうんじゃぞ?」 最後にという言葉がマイには酷だった。その時間が刻一刻と近づいて来ているのだ。結がこの町から居なくなってしまう。その後ろ姿を見る事が辛かった。 「・・・東京じゃない。」 「なんじゃぁ、マイはもう知っとんたんかい。」 イネ婆は大きく溜息をついた。 「・・・結から聞いた。」 「なら尚更じゃ、外国に行ってしまったらもう会えん。後悔はないんか?もう2度と顔を見る事は出来んかもしれんぞ?」 「・・・明日まで考えてみる。」 「それがええ。」 いつかの様に石段に灯籠の灯りが映った。
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