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転校生
「はい、みんな席に着いて!そこ、オセロは片付ける!あと、夏休みの宿題でまだ先生に出していない人は今すぐ持って来る!」
夏休みが終わってしまったけだるい教室に朝日が差し込む。秋口とは言え日差しはまだ強く、窓際の後ろから3番目の席で、肩までめくりあげたカッターシャツの腕はジリジリと痛んだ。
「はい、大野くん!君は宿題1つも提出していないじゃないか!せめて絵日記とか読書感想文とか、本のあとがき丸写しでも良いから明日までに出しなさい!」
「ウィーっす。」
窓際の後ろから3番目の席で机の上に脚を掛けながら椅子をガタガタさせている彼の名前は大野 岳。この小学校の殆どの男子生徒が地元の少年野球に所属し、その全員が丸刈りであるにもかかわらず、大野 岳だけは薄茶の髪を上の毛と下の毛に段差をつけ、その中の部分と襟足をざっくりと刈り上げたツーブロックで通学する(自称)帰宅部男子だ。確かに目鼻立ちも整い身長170センチ、脚も長く”はすに構えた”態度もさまになっている。
「明日だからな!」
「はーい。」
竹市に生返事をした岳はボリボリと頭を掻きながら前の席に座る背中をちょいちょいと突く。
「高っち、”夏休みの絵日記帳”見せて。」
「・・・・・・いや、恥ずかしい。」
「恥ずかしい!いやーん、良いね!良いよその反応!」
「・・・・・。」
岳は目の前でぱんっ!と手を合わせて拝むように食い下がった。
「お、ね、が、い、天気だけでも見せて!」
拝まれたのは三つ編みを肘まで垂らした高畑マイだった。マイはこうして事ある毎に自身に関わって来る大野 岳の事を常日頃から疎ましいと思っていた。それでもどこか憎めない岳のテンポに巻き込まれて、今回も夏休みの絵日記を読み上げる約束をしてしまった。
その隣で岳とマイのやり取りを苦々しく見ているポニーテールは佐々木 彩乃、岳のガールフレンドだ。彩乃もどちらかといえば派手なタイプで密かに足の爪にラメの入った赤や青のフットネイルを塗り職員室に呼び出された事もある。何より彼女はこの教室のリーダー的存在だった。岳と彩乃はLINEも交換し毎晩LINE通話でその日の出来事やテレビドラマの事、ウザい家族の愚痴などを長々と話している。この前の日曜日は隣町のゲームセンターに2人で遊びに行き、岳がすみっこぐらしのぬいぐるみを取って彩乃にプレゼントしてくれた。確かに2人はこうして”付き合って”いるのだが、岳が度々こうしてマイに”ちょっかい”を出すので彩乃は内心面白くない。
「・・・・これでもうないかー?残りの宿題は明日までに必ず提出する事!それが出来ない人は親御さんに連絡するからそのつもりで!」
落胆のため息が教室の中に沈み込む。
すると竹市がおもむろに黒板の方を向き、カッツカッツカッツカッツと白いチョークで三文字の漢字を書き殴った。
「せんせー、字がななめってるんで読めませーん!」
「それなんですか?熟語?」
「クイズですかー!?」
「字が汚くて全然分かりませーん!」
各々が好き放題に手を挙げ好き放題に質問する。竹市が左手でこめかみを押さえながら呆れた顔をした。
「どうして君たちはそんなに・・・・そういうのを”蜂の巣をつついた様な”と言うんだ!少しは待つという事を覚えなさい!来年には中学生になるんだぞ!」
黒板に白いチョークで書かれた三文字。日暮 結。
(ひぐらしゆい・・・・)
改めてこうして文字にして見ると、昨夜のあの出来事が夢ではなかったのだとマイの胸はドキンと跳ねた。パンパン!と竹市が手のひらに付いたチョークの粉を払うように手を叩くと1番前の席の生徒がゲホゴホと咽せる。
「あ、すまんすまん。・・・・・それじゃあ、改めて紹介したいと思います。これはひ、ぐ、ら、し、ゆ、い、と読みます。この教室でみんなと一緒に勉強する転校生です。親御さんの都合で1ヶ月しかいませんが、それまで色々と分からない事があると思います。何でも教えて上げて下さい!」
教室の中がそれこそ”蜂の巣をつついた”ように騒めいた。
「おい、結だって、むすぶ?」
「違うよ、聞いてなかったのかよ。結、だよゆい!」
「えええ。美人かなぁ可愛かったら良いな〜!」
「何で1か月なの?訳ありだよね〜!」
名前からして可愛らしい女子が転校してきたのだと思い込んだ男子児童たちは一気に色目気だった。噂好きな女子児童の興味は1ヶ月だけの転校生、しかも親の都合とは何だろうとコソコソと机に隠れて詮索している。
「日暮くん、入りなさい。」
「はい。」
教室が水を打ったように静まり返った。
身長は高市より頭ひとつ分大きい。制服の半袖カッターシャツから伸びた華奢で長い腕は陶器のように白い。髪の色は金色に近い薄茶で、前髪は柔らかなカーブを描きながら窓からそよぐ風にふわりと揺れた。長く豊かなまつ毛がゆっくりと開くとこれまで見た事のない淡いグリーンに深い青を少しずつ垂らした碧眼の瞳。ぽってりと肉厚で艶のある小さな唇が少し大人びた声を発した。
「初めまして。日暮 結です。短い間ですがよろしくお願いします。」
その瞬間、隣室の5年担任が「何だ、どうした!」と慌てて駆けつけるくらいの感極まった女子児童の歓声が教室中に響いた。
「何、何、なになになになに、天使じゃん!」
「イケボー!まじイケボ!鳥肌!」
席から立ち上がって教壇の横に立つ結を凝視する者、両手を繋いでぴょんぴょん飛び跳ねて喜びを分かち合う者。
「スタイル良くない!?」
「外人でしょ!?何で日本語で話すわけ!?わけわかんないんですけど!」
「ゆいとか、沼よ沼!ゆい沼!」
男子児童が”可愛らしい女の子”とは真逆の”かっこいい男子”の転入に、皆がっかりと肩を落としたのは言うまでも無い。
(・・・・・マイはどこだろう?)
結はざわめき立つ群れの中を見渡し窓際の席に白い丸襟のブラウスに紺色のリボン、美しい黒髪の三つ編みの女子児童を見つけた。少し俯きがちなその女子児童がマイであると気付いた結は教壇の上からひらひらと手を振って微笑んだが、その子は一瞬息を呑んで目をそらした。周囲の視線が一斉にそちらを向いた。
「・・・・・何、どうしたの?知り合い?」
ヒソヒソとした声があちらこちらから聞こえてくる。
(・・・結、お願い、話しかけないで。)
(あれ?あの女の子、マイちゃんだよね?)
昨夜マイとは稲荷神社の参道で自己紹介し合った筈なのに、どうして今、自分の事を知らない振りをするのか結には到底分からなかった。それこそ口に巻物を咥えた石の狐につままれた気持ちになった。
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