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ふたりぼっち
キーンコーンカーンコーンキーンコーンカーンコーン
「あっ、ごめーん。」
理科室への移動中の出来事だった。吉田美希がマイの肩にわざとぶつかって来た。身体のバランスを崩したマイの腕を結が支えた事で転ぶ事はなかったが、そこには動物の剥製、カエルや蛇がホルマリン溶液に漬け込まれた気味の悪いガラスの容器がずらりと並んだスチール棚があった。その引き戸はガラス製で一つ間違えればマイは大怪我をしかねない。
「ねぇ!吉田さん!待ってよ!危ないだろう!?」
結が必死に呼び止めても、
「あーら、ごめんなさーい。あんまりにも小さくて見えなかったわ。」
彼女たちはケラケラと笑いながら何事もない顔で教室に入って行った。
「マイ、大丈夫?怪我はない?」
「うん、大丈夫。」
その様子を周囲のクラスメイトは目を逸らし、誰も何も言わなかった。
「はい、教科書を片付けて下さい。今日はホウ酸を溶いて結晶を集める実験をします!火を使うので十分気を付ける事!使い方が分からない人は手を挙げて質問して下さい!」
クラスメイトたちは声を掛け合いグループを作ったが、皆”問題の種”から目を逸らし、マイと結は2人だけでビーカーに水を注ぎアルコールランプに火を付けなければならなかった。その様子を背後から見ていた竹市は自分の不甲斐なさを感じながら、マイと結に何か出来ないものかと考えあぐねていた。
ミーンミンミンミンジー
ミーンミンミンミンジー
あれ以来オセロクラブを休んでいるマイはいつもより陽が高い時間に下校していた。大きく首を垂れた背の高いひまわりが風に揺れている。突き抜ける青空から日差しが照り付け、足元で陽炎が熱い暑いと揺らめいている。
「マイ。ねぇ、マイ。」
マイの黄色いランドセルの後に、結の黒いランドセルが続く。2人の足音に合わせて筆箱がカタコトとリズムを打つ。
「ごめん、マイ。」
「何が?」
「僕は何も出来なかったよ。結局、大野君を怒らせただけで吉田さんは相変わらずマイをからかって手出しばかりする。ごめんね。」
「・・・。」
黙り込んだマイの額に汗が滲む。心地のよい風はどこに隠れているのか、一向に吹く気配がしない。草木もしなびて地面に突っ伏している。どんどん歩幅が広く足早になるマイを、頭一つ大きな結が追いかけた。
ミーンミンミンミンジー
ミーンミンミンミンジー
結はマイを追い越すと物凄く申し訳なさそうな表情で、その前に立ちはだかった。
「こうちゃんに相談しようと思ったけれど、こんな時に大人が入ると問題が大きくなってしまう事があるから。それに、こうちゃんは僕の叔父さんだから”えこひいき”しているって、周りからそう思われるかもしれない。」
「何で?」
「何でだろう、良く分からないけれどそうなんだ。」
「どうして?」
「僕の時がそうだったから。」
ミーンミンミンミンジー
ミーンミンミンミンジー
「・・・どういう事?」
さあっと風が吹き抜けた。
「・・・僕、学校でいじめられていたんだ。」
マイは息をのんだ。
(結がいじめられてたの?全然そんな風に見えない。)
信じられなかった。いつも堂々として真っ直ぐで自信に満ちた結がいじめられていたなんてとても信じられなかった。
「びっくりした?僕の通っていた筑波大学附属駒場は小学校から中学校、高等学校までずっと一緒で、12年間もほとんど同じクラスメイトと勉強するんだ。」
「12年も、すごいね。」
フッと表情が曇る。
「でもね。僕はイギリス人の父とそっくりで外国人に見えるでしょう?日本人のクラスメイトとは全然違って見える。だから英語の授業で教科書を読んだり、テストで良い点数を取ったりするとね。」
足元の小石を蹴る。
「外国人のお前なら英語が出来て当たり前だとか、アメリカに帰れとか言われるんだよ?机やノートに落書きされて嫌がらせされた事もあった。」
両手を胸の前で広げてやれやれという表情をする。
「アメリカ人じゃなくてイギリス人なんだけれどね!」
「うん。」
そして結は一呼吸おくと、
「たしかに父はイギリス人だけど、僕はイギリスで暮らした事がないから日本語しか話せないんだ。だから母が(英会話教室に行きなさい)って幼稚園の頃からかなぁ、小さい頃から学校が終わると毎日塾に通っていたんだ。本当はみんなと遊びたかったな。」
いつもは大人びて見える結が幼い小さな男の子のように見えた。
キーンンコーンカーンコーンキーンンコーンカーンコーン
遠くから小学校の下校を知らせるチャイムが聞こえて来た。陽が傾き始め、マイと結の影を少し長くした。
「母が、僕の母が良い点数を取ると喜ぶから頑張った。でも、頑張れば頑張るほどクラスメイトと遠くなって、そのうち誰も口を聞いてくれなくなったんだ。」
マイはどう声を掛ければ良いか分からず戸惑ってしまった。
「僕はマイにがんばれ負けるなって言う癖に、本当の僕は東京の小学校から逃げてきた弱虫なんだ。」
土埃の畦道にポツリと雫が落ちた。
「ゆ、結。大丈夫?」
「あ、ご、ごめん。大丈夫だよ!」
「本当?」
「男の子が泣くって恥ずかしいよね。嫌だなぁ、そんなに見ないでよ。」
「結、ありがとう。そんな辛いお話させてごめんね。」
結はぶんぶんと首を横に振って見せた。
「結、だから結は私がいじめられっ子にならないように守るよって色々してくれていたんだね。」
「うん。僕みたいになって欲しくなかったんだ。」
「ありがとう。」
「うん。」
マイは結の目を真っ直ぐに見つめて、
「嫌なことは嫌だって、間違った事をした時はごめんなさいって、言葉にするのは勇気が要るけれど、大事。」
「そうだよ。」
「言えるように、伝わるように頑張ってみる。」
頷く結。
「それでね、結。」
「何?」
「男の子でも辛い時や悲しい時は泣いても良いと思う。」
「・・・・・!」
真っ赤になる結。
「そうでしょう?」
耳まで真っ赤になる結、遠くを見て話し出すマイ。
「小さい時ね。お父さんがね、小学校のランドセルを買って会いに来てくれたの。」
背中を黄色いランドセルを見せるマイ。筆箱の音がカシャンと鳴った。
「帰る時にね、私をぎゅっと抱きしめて泣いたの。すごく泣いてイネ婆に(こんなに大人が、男が泣いちゃ駄目だね)って言ったら・・・逆にイネ婆に怒られてた。泣く事が出来ん冷たい人間になるな!って。」
頷く結。
「誰かのために泣く事も大事だし、自分のために泣く事も大切な事だって。」
結の碧眼の瞳から透明で温かいものがポロポロと溢れた。マイはその頭を優しく撫でてあげたいと思ったが、目の前に居るのは自分よりずっとずっと大きな170センチを悠に超える男の子なのでそれは諦めて腕を差し出した。
「はい。」
結のおへその辺りで小さな手のひらを開いて見せる。
「・・・見てないから。結は泣いてて良いよ。私が結の手を繋いで歩くから、いっぱい泣いてて良いよ。」
マイの小さな手はとても柔らかく全てを包み込んでくれる様な優しさに溢れていた。
「ありがとう。」
カナカナカナカナカナ
カナカナカナカナカナ
「・・・・・だって私と結は、ふたりぼっちでしょう?」
カナカナカナカナカナ
カナカナカナカナカナ
砂埃の畦道に黄色いきつねのボタンが揺れていた。
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