第七話 夜行バスを徘徊するもの

1/1
前へ
/100ページ
次へ

第七話 夜行バスを徘徊するもの

 Fさんが不思議な体験をしたという。  地元の友人が亡くなったという知らせを聞き、葬儀に参列すべくその日の夜行バスにあわてて飛びのった。  仕事帰りに直行しているのもあって、バスが動き出すと同時にFさんは眠りについた。  ところが夜中に彼女は目を覚ます。  バスの中を誰かが立って歩いている気配がする。靴音がわずかに聞こえた。  半覚醒状態のFさんが暗闇の中で目を凝らすと、帽子を被った男性らしき人影が歩き回っているのが見えた。  自分の席がわからなくなって探しているのかと思ったが、そうではなさそうだ。  その男性は寝ている他の乗客の顔を一つ一つ覗き混んでから、次の席の乗客の顔をまた覗くような動きをしている。運転手もそれをことさら注意するわけでもない。  一人一人の顔をのぞき込む合理的な理由が、Fさんには思いつかない。そのために余計に不気味に思えた。  (そうだ、動画に撮っておけば何かあったときに……)  音や光が漏れないように服の中でスマホを操作し、撮影状態にしてから暗闇にかざす。  しかしすぐにスマホをしまった。  男性はもうすぐ自分の席まで来るとFさんは感じた。すでに目が冴えつつあった。  時計を見ると深夜の2時半。目的地まで着くような時間でもない。  (目を閉じて、寝たふりするしかない)  Fさんは男性が早く自分の隣を通り過ぎてくれるのを願って、目を強くつぶった。  靴音が斜め後ろまで来る。何かが自分の側まで来たような気配を感じた。  (早く、早くあっちへ行って……)  自分の真横で靴音が止まる。  古びた衣類の匂いがした。クローゼットの中に長いことしまわれていたコートのような匂いだった。  しばらくして、靴音が自分から離れていくように思えた。徐々にその音は小さくなっていく。  しかし、位置関係はわからなくなっていった。靴音がするのが斜め前からなのか、後ろからなのかすらもわからない。Fさんは感覚のズレを感じ始めていた。  少し経ち、靴音がしなくなったためFさんはようやく目を開ける。  目の前に、逆さ吊りになった男の顔があった。顔には目と鼻がなく、判別できたのは口と耳だけだった。  男は天井から逆さに立っていた。  Fさんは叫ぶ間もなくそこで意識を失った。  翌朝、バスの運転手に起こされてFさんは目を覚ました。目的地に着いていた。  車内に他の客の姿はない。降りていったのならその時の騒がしさで自分も起きるはずなのに、とFさんは思った。 「あの、他の人たちはもう降りられたんですよね」 「はい。まあ、昨日の乗客はお客さんともう2人しかいませんでしたけどね」  運転手は座席のゴミを集めながらこう言った。  では、あの男が覗き込んでいた座席には誰も座っていなかったのか? そもそもあの男は何だったのか?  Fさんの疑問は尽きない。彼女は夢だと思うことにした。  なぜか運転手の服から、どこかで嗅いだような古びた衣類の匂いがしていた。  (そうだ、動画に何か映っているかも)  すぐさまスマホを確認したFさん。深夜3時1分に4秒ほどの動画が記録されていた。  しかし、ひたすら黒い闇が残されているだけだった。
/100ページ

最初のコメントを投稿しよう!

22人が本棚に入れています
本棚に追加