(一)

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 この布告はいわゆる秩禄処分と呼ばれるもので、華族と士族に下賜されていた秩禄(給与)を公債証書の形にして配布し、後日少しずつ償還しようとするものであった。  これは明治政府の財政難を解消させる目的のものであったが、いわゆる士族にとっては収入が減ることにつながり、生活の困窮につながった。  不平士族は二年前すでに、佐賀において江藤新平を担ぎ上げて反乱を起こしていたが、この二つの布告が出されることにより、士族の不満がさらに高まることとなった。  そうして、同年十月、敬神党を名乗る不満を抱えた士族の一団が、熊本において決起することになるのである。 (続く)
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