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第13話
疑問を抱いたまま更に舞台に近づくと火を焚いている以上、当然ながら人がいた。
「すみません。どうしてこの舞台は後ろを向いているんですか?」
舞台上を見つめるその男は、闖入者を咎めずに抑えた声で答えた。
「これは幣殿といいます。奥の社が神殿です。幣殿で行われる神事は全て神殿におわす天之紅津命に捧げられるものです。人に見せるためのものではありません」
「はあ、神様が観客……アメノクレツノミコトですか?」
言いつつ煙が目に入った京哉は伊達眼鏡を外して目を擦る。男は構わず続けた。
「そうです。結界を破りて神域に来たりし方々、今暫くお静かに……っ!」
そこで素顔の京哉を初めてまともに見た男は目を瞠って息を呑み、凍り付いたように身動きを止めていた。明らかに京哉を驚愕の目で凝視している。
瞬きもせず見つめられ、伊達眼鏡を掛け直した京哉は不思議な思いで男を見返した。
特徴といえば男性の割に髪が長いことが挙げられる。うなじでひとつに縛っているが、その先は腰近くまで届いていた。身に着けているのは白いシャツにジーンズと黒のジャケットで、割と普通ではあるがコートもなく結構寒そうだ。
細身だがしっかり骨太な印象で身長は霧島より少し低い程度か。歳も霧島と変わらない、二十七、八だと思われた。
まだ見られているのを意識しながらも、いつまでも見つめ合っていては霧島のご機嫌を損ねてしまうと思い至った京哉は男からさりげなく視線を外し、霧島と共に幣殿の正面に向かって歩を進める。
暫く黙ってさえいれば咎められないらしいので、その間に舞台上の何かを鑑賞するくらいは許されそうだ、その程度の興味だった。
だが幣殿の正面に出た途端、京哉は全身の血が逆流するような感覚に陥る。
舞台に目が、意識の全てが吸い寄せられた。
誰かが踊っている。
踊りというより舞っているのだ。
何の音もなく巫女が舞っている。それは剣舞だった。
真っ白の着物に緋袴を着け、金糸の刺繍を施したうすものを羽織っている。細腕が操っているのは房飾りのついた七、八十センチはあろうかという刀だ。神宝によくある枝分かれしたものではなく直刃の、磨き上げられた剣だった。真剣か模造刀かは分からない。
鏡のように熾火を映した神剣に魅入られ、京哉は剣舞に目が釘付けとなる。
鎮守の杜を渡る風の音さえ別世界のものの如く遠くなっていた。
巫女は短い黒髪を乱しているが、神懸かったように足音ひとつさせない。
激しい巫女の動きは人が発する熱気がなく、既に神子たる者なのだと思わせた。
うすものが翻る。紅の神剣が宙を薙いだ。銀光が閃き何者かを両断する。
目を見開き、息さえ殺して、京哉は立ち尽くしていた。
血に染まったような神剣から目が離せない。妖しく胸の奥がざわめいて――。
いつの間にか巫女は板の間に端座していた。神剣を両手で頭上に頂き礼をする。白刃を置いて立ち上がろうとし、叶わずその場に倒れ伏す。
「トーヤさま!」
叫んできざはしを駆け上った男を、京哉はただ目に映していた。
一方の霧島は半ば呆気にとられて舞台上の出来事を眺めていた。白木のきざはしを駆け上った男が巫女を抱き起こすのを目で追い、ふと気付いて傍らの京哉を見ると、こちらはこちらで真っ白な顔をして突っ立っている。思わず『お静かに』も忘れて大声を出した。
「京哉……京哉、大丈夫か!」
霧島が出した不意の大声で京哉はビクリと肩を震わせて我に返った。
「えっ、あっ、何でしょう?」
「何を呆けている、それとも冷えて風邪でも引いたのか?」
「何でもないですから、そう心配しないで下さい」
「ならいいが。雨に濡れっ放しだ、具合が悪ければ早めに申告だぞ」
「はいはい」
だがやはり心配で京哉の頬に手を当てたが熱はない。くすぐったそうにした京哉はしかし霧島の手を掴んで微笑むと人差し指を舐める。ギョッとして霧島は手を引いたが京哉は指を口に含んで離さない。ごく官能的な感触が霧島をぞくりと震わせた。
けれどこんな所でその気になっている場合ではない。次に手を引くと京哉は素直に手を離したが、見上げてくる目には明らかにとろりとした情欲が湛えられている。
「京哉、お前どうかしたのか?」
「何でも……ないですよ。あっ、それよりあの巫女さん、どうなったんでしょう?」
突然現実に舞い戻ってきたかのように京哉は舞台に目を向けた。見れば長髪男が巫女を横抱きにして幣殿から降りてくる。霧島と京哉は居合わせた者の作法として駆け寄った。
男は巫女を抱いたまま、きざはしに座り込む。二人は巫女を覗き込んだ。
巫女は乱れた黒髪が顔に掛かり表情が見えない。意識が朦朧としているにも関わらず、抜き身の剣を抱き締めている。霧島が見たところ剣は紛れもなく真剣だが刃引きがしてあるらしい。相当な重さであろうその白刃に、巫女はまるで縋ってでもいるようだった。
「すごい、綺麗な剣……」
「紅津之剣です」
京哉の呟きに応えた男が、押し殺したような声を出す。
「トーヤさまの御髪を除けて頂けますか?」
その声色に隠されたものを推し量ることはせず、京哉はあっさりと巫女の前髪を左右に指でかき分ける。だがその手は途中で止まった。霧島が息を呑んだのが分かる。
「――って、何これ……?」
トーヤと呼ばれた巫女は生き写しといっていいほど、京哉にそっくりだったのだ。
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